2001年4月7日
4月6日公判レポート
警察見張番・萩野谷敏明
注:これまで、被告監察医・伊藤順通氏の実名を伏せてきましたが、今回より公開します。理由は下記の通り。
- 監察医は公職であり、その公務についての訴訟である以上、プライバシーを保護する理由が無い。
- 被告監察医は、これまで7回の公判のいずれにも自身で出廷せず、専門的内容の説明にも弁護士を立てるばかりで、いたずらな公判の遅延を招いている。その行為は極めて不誠実・悪質であり、社会的告発に値することはあっても同情の余地はないこと。
■公判の概要
保土ヶ谷事件の民事裁判も、これで7回目となる。今回は、実際に故久保幹郎氏の死体解剖が行われた証拠物とされる「摘出臓器」の提出が被告側からあったので、この裁判もいよいよ大詰めへと向かっていく一里塚となるものと思われた。この日の傍聴人は37人、法廷に備え付けの椅子が足らず、
数人の立ち見がでる有様であった。
これだけ傍聴人が多いと、裁判長もヤル気がでるのだろうか。普段はか細い声も今回は
傍聴席に届くまで大きいし、これまでの頼りない印象とは一転して、議事進行の細部にプロの神経を尖らせていた。TBSの取材記者、ジャーナリストも数名出席していたので、事件の行方は今後、いっそうの社会的関心を呼んでいくだろう。
とにかく、このように珍妙な光景を目にすることは、誰にも一生に一度、あるかないかのことではないか。目の前にある家庭の漬物保存用と思しきビニル製タッパに入った「摘出臓器」が、本当に解剖した死体から出てきたのか、解剖すらあったのかどうか、その真偽を正すための公判である。
そして、その「摘出臓器」を提出している伊藤監察医ご本人は、3年前、本当に解剖したなら保存してあるはずの臓器を出してみろと迫る遺族に向かって、次の言葉を吐いている人物である。
「そんなものあるか。俺も警察の被害者だ。俺ばっかりいじめるな」(遺族談)
果たして閉廷後も、鑑定物件としての不備を指摘するDNA鑑定人押田教授の不満の声がやまず、居残る傍聴人は言うに及ばず、噂を聞きつけた裁判所の職員までがヤジ馬に加わって教授を取り囲み、「関係者以外は退出して欲しい」と促されるまで、その説明にじっと聞き入る異常な「活気」を呈した裁判とはあいなった。
結果から言えば、今回提出された臓器は、これまで原告が要求し、被告も保存してあると書面通知している「心臓のまるまる全部」ではなかった。あくまで「臓器片」であり、また、そのプレパラート標本であり、何がどれで、いつ、誰が、どのような化学処理をしたのかを特定する専門的な添付書面が存在しない、鑑定の対象物としては極めてずさんなものである。
添付書面に代り、被告側弁護士が伊藤監察医から聞き取っただけのメモの説明が繰り返された。ちなみに、証拠物件の詳細とその正当性を述べ、自らの潔白を証明するべきこの公判に、伊藤監察医は、またしても出席してない。
■争点のおさらい―なぜ「摘出心臓」か
詳細を報告する前に、保土ヶ谷裁判に詳しくない読者のために、なぜ「摘出心臓」が公判の焦点になっているか、これまでの経過も含めて、「おさらい」をしておくことが有益だろう。既に詳細を熟知されている方は、この項を読み飛ばして貰ってけっこうである。
狭い意味の保土ヶ谷裁判は、この日の公判の冒頭で裁判長が、DNA鑑定人で日大の押田教授に鑑定依頼の目的を明言した、下記の2項に集約される。
1)提出された「臓器片」は、果たして亡久保幹郎氏のものか、その子息2人のDNAと照合して、真偽を確認する。
2)本物であるとして、「心筋梗塞」でなければ本当の死因はなにか、その「臓器片」から鑑定する。
これだけを見れば、亡久保幹郎氏の死因について、運転中の「心筋梗塞」、つまり病的な発作による自過失事故か、それとも交通事故による頭部強打などの別の死因にもとづくものであって、それぞれ保険の扱いがことなるから、遺族が「得べかりし利益」を得られなかったとして、死因を「心筋梗塞」とした伊藤監察医を相手に求償をする民事訴訟が起こされているにすぎない。
しかし、より広い意味の保土ヶ谷裁判は、これまでの刑事告訴を含むものである。そして、そもそも死体の解剖は存在しない、解剖がないのだから、証拠物である「摘出臓器」も存在しない、出されているものは誰か他人の、とてつもないペテンにもとづくものだ。どうして、このようなイカサマが罷り通るかは、神奈川県警と横浜地検がグルになった事件の真相隠しという「巨悪」が存在するからだ、というものである。
平成9年7月18日の深夜、保土ヶ谷区三ッ沢交差点内に、ハザードランプを点灯し、明らかに事故車両と見られる破損したジープがあった。久保幹郎氏は、そのなかで昏倒した状態でいるところを、住民の通報で駆けつけた保土ヶ谷署パトカーの巡査に発見された。しかし、なぜかその巡査は、彼をただちに病院に搬送せず、酔っ払いであるとして側道に車両を移動させるにとどめた。そして翌朝、別の住民が幹郎氏を発見した際には、すでに彼は事切れていた。よって、この事件は、新聞の見出しでも「保護責任者遺棄致死事件」として扱われている。
ところが、19日に保土ヶ谷署からジープと亡夫の遺体を引き渡された佐紀子夫人は、葬儀をすませたのち、次の2つのことに驚愕する。
- 18日深夜のパトカー出動の事実を知らされず、当直の警察官から「その日は事故の通報がなかった」として、病院に搬送しなかった事実を覆い隠すようなウソを言われたこと。
- 亡夫幹郎氏の遺体には何らメスが入った形跡がないのに、死因を「心筋梗塞」とした「死体検案書」なる司法解剖結果が出ていたこと。
幾つかの事実関係の組み合わせから、もっともありうべき事件の真相として、遺族夫人と筆者は、18日深夜にパトカーで現場に駆けつけた保土ヶ谷署員は、取り調べか何かの理由で、亡久保幹郎氏を保土ヶ谷署にいったん連れていったと考えている。
病院に直ちに搬送せず、署内で重篤化して死んでしまった責任のがれのため、その後、ウソで塗り固めた一切の筋書きが組まれたと考えている。
その推測が正しければ、久保幹郎氏の遺体は、保土ヶ谷署員によって19日の夜明け前にもとのジープ内に戻され、わざと別の通報者に発見されるよう仕向けられている。
そして、第一通報が19日朝なら、前日の交通事故とパトカー出動はあってはならないので、「その日は事故の通報がなかった」と遺族にウソを言い、パトカー出動の事実も告げず、19日朝に「心筋梗塞」で死んでいることを発見されたとする、でっちあげの「死体検案書」が保土ヶ谷署員の要請で作られた。
幹郎氏の遺体を引き渡す際、夫人に応接をした保土ヶ谷署員は次の主旨のことを、夫人に言ったという。
「車の中で死んで発見されたため(ご主人の遺体は)警察にきた。病死だと保険が安いし、まだ子供達にもお金がかかって大変だろうけど、頑張るんだよ」
この警察官は、久保幹郎氏の司法解剖に立ち会ったとされ、自身の判を「死体検案書」に押している人物だ。
ところが古来、ウソにボロは付き物である。警察は監察医のメスが入っていない遺体を引き渡し、それは遺族ばかりでなく、葬儀社の社長も確認していた。18日深夜のパトカー出動の事実も、やがて子息による周辺の聞き込みがきっかけで明らかになる。では、第一通報は前夜ではないか。
TV報道もされて疑惑が高まるにつれ、県警監察官室は答えに窮した。そして事実を究明して関係者を処断する真摯な姿勢は示さず、かえってマスコミに「泥酔者だから、目が醒めれば自分で運転して帰るだろうと考えた」と、驚くべきデタラメな発表をした。(→監察官室発表)
そうなると、小さいウソが大きなウソを呼ぶ。ボロがボロを呼び、汚いボロを隠すための更に大掛かりなウソが仕組まれる。県警が隠蔽工作に荷担したとなると、警察の信用・権威はどうなる?
平成11年9月は、ただでさえ覚せい剤犯隠避事件で、県警は上から下まで大揺れだ。そうして、遺族夫人から県警のウソを追及するよう提訴された横浜地検は、県警と監察医をかばって「死体解剖はあったと認定できる。嫌疑なし」として訴えを却下、内部関係者の証言だけを根拠にする、ずさんな調査で隠蔽工作に荷担をした。
(ひとつでもウソの「死体検案書」があれば、他にもあるのではないかという世論の追及を免れるためであったと筆者は推測をしている。)
県警はおろか地検までが……と、唖然とする思いの遺族夫人は、東京高検に不起訴処分異議申立ての提訴をした。しかし、高検も訴えの「理由がない」の一言で門前払いをする。
それでも遺族夫人はあきらめなかった。自動車安全運転センターから「人身事故」の認定を受けた夫人は、保険会社の所在が東京にあることをもって、保険会社を相手取り、「死体検案書」どおりの「心筋梗塞」ではなく、事故認定の訴訟を東京地裁に起こした。
平成12年7月10日、この公判に立ち会ったジャーナリスト柳原三佳氏によると、この日、伊藤監察医は自身出廷し、次のように述べている。
「私は、警察官立会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理組織的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」
ところが、この証言は、一連の刑事訴訟とは別の意味で重要な意味をもち、現在の横浜地裁での民事裁判につながっているのである。では、解剖していない遺体に「摘出心臓」があるのか、というわけだ。
「出せるものなら出してみろ」という遺族夫人の訴えで、平成12年10月以来、公判7回めにしてようやく出てきた「証拠物件」の真偽いかんにより、伊藤監察医の「死体検案書」が、でっちあげのものかどうかが証明され、でっちあげと証明されれば、そこから芋づる式に県警・地検の隠蔽工作がばれていく可能性が高いのである。
この反対は、幹郎氏の遺体にじかに接した夫人、子息2人、葬儀社社長がうちそろっての勘違いであり、「胸から下腹部にかけてのY字切開」に気がつかず、実際に「摘出心臓」が伊藤監察医の管理下にあるということである。
本日の公判で、実際にブツが出されてきたことに、「よもや」という思いが筆者の脳裏に浮かばなかったといえばウソになる。しかし、目の前に展開された公判の状況は、これまで遺族側の言い分が正しいものとして監察医・県警・地検の非を鳴らしてきた筆者の考えを、あたらめて裏付けるものであった。
おそらく、被告側弁護士が繰り返す苦し紛れの説明の数々に、傍聴人の誰もがセセラ笑いを禁じ得なかったに違いない。
■2つの証拠物が全てか?
被告側弁護士が出してきた証拠物は、次の2つである。
ひとつは、下記概念図1のような、家庭の漬物保存用など、一般にも利用されていると思われる直径25cmぐらいの樹脂製のタッパに入った、「心臓、肝臓、肺臓」の「臓器片」のホルマリン漬け混合物。
原告側の今村弁護士から、前回の合意ではシリンダーに入っている臓器の提出であったのに、なぜ直前になってタッパに移し変えたのかという質問が出た。被告側弁護士からは「シリンダーはガラス製であり落とすと割れる。取り出しやすいように臓器を移し変えた」との説明があり、「中味の正当性が問題なのだから、容器は関係ないはず」との反論が成された。ところが後刻、鑑定人押田教授の指摘により、容器の移し替えは鑑定の上で大事な要素であることが判明する。今村弁護士の更なる質問により、被告側弁護士から、心臓がまるごと全部は入っていないと説明あり。
もうひとつは、下記概念図2のような、お線香のケースぐらいの箱に収められた、心臓の一部を含む55枚のプレパラート標本。
この後、押田教授と被告側弁護士との間で、次のような会話があった。
押田「これで全部ですか。これ以外に保存臓器はないですね」
被弁「全部だと思います」
押田「プレパラート標本は、幾つか壊さないと鑑定できません。壊していいですか」
被弁「よいと思いますが、あとで確認します」
(ここで、裁判長が書面で回答して下さいと被告側弁護士に要請。)
押田「本当に、これで全部ですね?」
被弁「全部だと思います。一応、あとで確認しますが」
押田「ブロックはないのですか?」
被弁「?」
押田「このタッパに入った臓器片から、いきなりプレパラート標本は作れません。今の医学では、できないのです。臓器片から、小さいブロックを切りだし、それからプレパラート標本を作ります。ブロックがあれば、幾らでもプレパラート標本は作れます。だから、ブロックがあるはずです。ブロックはないのですか?」
被弁「あとで聞いてみます」
この会話と前後して、押田教授からは専門的な質問が矢継ぎ早に出された。その幾つかは、次のようなものである。
- シリンダー保存された臓器をタッパに移し変えると、成分が変質する。移し変えから何日が経過しているのか。(恐らく、密閉されたものが、外気に晒されるからだろう。筆者も詳しくないので後刻確認する。)
- 使用しているホルマリンの希釈率はどれくらいか。シリンダーに保存された当初のものを、そのまま使っているのか。
- プレパラート標本に使われている染色方法は、どのようなものか。
- プレパラート標本にする際、ブロック切り出しは行われているはずである。いかなる資格を持つ誰がいつ、どの臓器について切り出しを行い、そこから採取した標本は、このプレパラートのどれに該当するのか。
これらの質問は、伊藤監察医自身がデータを手に出廷するか、同じ専門家どうし、相手から当然に出る疑問に対して呼応する「指示書」ないし「付属説明書」を提出していれば、何の問題もないものである。ところが医学の専門家でもなく、全てが又聞きになっている被告側弁護士が、「必要を認識しなかった」「あとで確認する」を繰り返すばかりで全く進展がない。
そして、困ったことが起きた。「鑑定にどれぐらいの時間を要するか」という裁判長の疑問に対し、押田教授は次のように答えた。
「ブロックがあれば3ヶ月、指示書もなく、目の前のものしかなければ半年から1年」
押田教授は、閉廷後も鑑定物としての不備に苦情を述べ、ついに裁判所係官に次のように宣言した。
「これでは鑑定ができません。どういう履歴のものか分からず、何が来ているのか分からないものに、手をかけることはできない」
これに対して裁判所係官は、押田教授に伊藤監察医に対する質問・要望事項を書面でまとめて裁判所に提出して戴きたい、裁判所から伊藤監察医に書状を転送し、裁判所としても回答を要請すると約した。また、この日に出された証拠物である「摘出臓器」そのものは、押田教授が保管することになった。
■証拠物の問題点
本日提出された「摘出臓器」にまつわる問題点は、おそらく次の3つであろう。
- 前回の裁判で、押田教授の要請を受けての裁判長の見解として、「全ての保存臓器、それが誰のどの臓器に該当し、どのような方法で保管されたかの指示説明書を提出して貰いたい」というものがあったが、これは無視された。押田教授が指摘する「ブロック」は提出されていない。指示説明書も提出されていない。
- 完全な姿での「摘出心臓」は提出されていない。前回公判の直前に提出された伊藤監察医の「意見書」は、心臓そのものは丸ごと保管され、その他の臓器片とは区別されているニュアンスで書かれている。そして心臓は引き続き保管し、DNA鑑定に最小限必要な、心臓以外の臓器片なら出す、としている。ところが、今回提出された家庭向け漬物保存用と思しき「樹脂タッパ」の内容物について、被告側弁護士の説明では、全部ではない心臓の一部が含まれていることになっている。シリンダに丸ごと保管されていたはずの「摘出心臓」は、どこへ行ったのか?
- 押田教授によれば、シリンダから「樹脂タッパ」への移し変えにより、内容物の性質が変化するという。だから、移し変えから何日が経過しているのか、ホルマリンの希釈率が維持されているのかなどの質問を教授は繰り返した。
このように専門家どうしなら疑問に持つはずの要点につき、なぜ伊藤監察医は、提出する臓器の専門的鑑定が行われるのを承知していながら、必要にして十分な付帯的説明をせず、弁護士を介して「物」だけの提出をするのか。
更にうがった見方として、筆者の疑念を付け加えておこう。シリンダから「樹脂タッパ」への移し変えは、DNA鑑定で「摘出臓器」がニセモノであるという結果が出ても、臓器特定の際のミス、助手によるミスなど、監察医本人が後で言い逃れができる十分な余地を残すものだ。
DNA鑑定という、素人が聞いてもセンシティブな鑑定が行われる証拠の真偽性・正当性を争う際、中味さえ変わらなければ、容器などどうでもよかろう、持ち運びが便利だから、ビニル製のフタが付いていて取り出しやすいから入れ物を変えた、などという説明が成立するのだろうか。
とにかく、この日、「摘出臓器」の真偽について、DNA鑑定に勝るリトマス試験紙だと思った事柄がある。それは閉廷後、なおも証人台のうえに置かれた夫の「摘出臓器」を眺める、遺族久保佐紀子夫人の表情である。
何十年も連れ添った夫の臓器であれば、また2人の子息ももうけた夫の臓器であれば、そこに何の感情も出ないわけがない。その一部は荼毘にも付されず、こんな漬物保存用にも等しきビニル・タッパに入れられているのかと、くやし涙ぐらい、でるかもしれない。しかし夫人は周りのヤジ馬らを相手に「こんなの、初めて見るねえ」と、まるで水族館でサメのたまごの標本でも眺めるかのように、ニコニコと珍しそうにしていた。この夫人の嬉々とした表情が、全てを物語っているように思えてならない。
■今後の見とおし
次回公判は5月25日(金)午前10時からとされている。しかし、裁判所経由で出される押田教授の質問・要望書に対し、被告側から十分な回答が得られない場合、裁判所はどうするつもりか。
「ブロック」の存在の有無、そしてその提出の可否についても、裁判長は1週間程度で書面回答して欲しいと被告側に申し送っている。もはやDNA鑑定にかけるまでもなく、判決を言渡すだけの十分な要件は揃いつつあると言えるだろう。
以上
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