その際、DNA鑑定を委嘱されている日大・押田教授が、いかなる処理をしているか履歴のわからないものは鑑定ができないとして、ホルマリンの濃度、シリンダからタッパに移しかえる過程での処理方法などの付随的記録書類の提出を求め、さらにプレパラート標本を採取する前段階としてのブロック標本の提出も求めたことも紹介しました。これらの要請は、裁判所が代理をする形で被告・伊藤順通監察医に申し渡されています。
この5月25日の公判は、これに対してどのような被告側からの反応があり、その反応に対して裁判所がどのように対処するか期待されましたが、我々の案に相違して、この日の公判はわずか2分足らず、原告から提出が予定されている「準備書面」提出の申し入れと、次回公判の日取りだけで終わってしまいました。
広く世のなかの耳目の喚起を促す目的から、公判出席をお願いしている「警察見張番」としては、当日出席頂いた方々に、まことに申し訳ない次第です。
我々は被告側から出されている「ブロック標本不提出の理由書」を掲載し、このようないたずらな裁判の延引に対し、社会的に警鐘を発したいと考えます。やましいことが何もなければ、すべての標本をすみやかに提出し、DNA親子鑑定により、「Y字切開をして摘出した心臓」が、故久保幹郎氏のものと証明されるよう、裁判所に積極的に協力するのが、公人たる監察医のあるべき姿勢ではないでしょうか。
平成12年(ワ)第2740号 損害賠償請求 事件 原告 久保佐紀子外
平成13年5月21日
横浜地方裁判所 第9民事部 合議係 御中 被告 伊藤順通 代理人 弁護士S 被告 伊藤順通医師が現在保有している亡久保幹郎の組織標本作成の際のブロック標本を提出しない理由は、「提出の必要性が存在しない」ことである。なお、被告伊藤順通医師がなした亡久保幹郎の結果を追検証する重要証拠を全て提出してしまうことにもなり、本件鑑定の経過若しくは結果如何により、更に適正な鑑定を行うことになるかも知れないことに付き、支障が存するためである。以下において理由を述べる。 一、本件鑑定の目的は、被告伊藤医師が保存する臓器片が亡久保幹郎のものか否かをDNA鑑定の方法によって鑑定することが主たる目的である。従たる目的として亡久保幹郎の死因が、心筋梗塞であったか否かという点の二点である。そのための資料として、亡久保幹郎の現存臓器片を全て、鑑定人に引き渡してある。
二、また、心筋梗塞か否かについては、ホルマリン固定された本件心臓を観察することによって専門家であれば容易に判断が可能であるとの事である。従って、現在鑑定人に引き渡してある資料以上に本件鑑定に必要な資料はないのであって、ブロック標本をこれに加える必要性は全く存しないと考える。 三、ところで、鑑定人よりの求釈明事項を検討するに、中には、鑑定に必要な項目とは考え難く、何故、このような求釈明をするのか疑問とせざるを得ない項目が少なくない。被告 伊藤医師としては、自己のなした司法解剖の検案結果を担保する資料を、全て引き渡してしまうには、強い不安を感じている。
四、鑑定人が、本件鑑定に際して、ブロック標本がどうしても必要不可欠というのであれば、その必要性の合理的理由を明示すべきであり、これを待って、引き渡しの可否(一部の引き渡しも含み)を検討することが相当である。
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原告は平成11年(1999年)に至り「虚偽検案書作成」で被告・伊藤順通監察医を告訴していますが、県警が事情を調査せず、地検も関係者からの証言だけで判断を下し、また度重なる裁判の延引により、平成12年(2000年)7月19日、この罪状としては既に時効を迎えています。
その後、いったん民事に移された裁判も8回の公判を向かえてようやく「臓器」と称するものが出されましたが、シリンダーにまるごと入っているはずの心臓ではなく「臓器片」であり、履歴は添付されておらず、上記の「ブロック標本不提出の理由書」においても、標本に付随するはずの履歴については、まったく触れられていません。
筆者は昨年12月、県警監察官室に事件の再調査を要請する書面を提出しましたが、まったくの「なしのつぶて」に終わっています。この件に関し、一連の不祥事により人事一新がされる前に県警監察官室が出した発表も真っ赤なでたらめであり、事実を覆い隠すための作文であるとして、その根拠を添えて監察官室・広報室に書面の送付をしていますが、反論があれば言ってもらいたいという要請に対して何の返事もありません。
抗議の電話を入れれば「萩野谷さんの意見は聞きますが、こちらからコメントはしません」という回答が返ってくるばかりです。
市民をテキトーにあしらえば対面をつくろうことができ、事実を隠ぺいしつづけることができる、そして、いかなる虚偽の公文書を作成しようとも罪にならない、でたらめの文書を作成しマスコミに発表しても謝罪もコメントもしない、それが神奈川県警というところなのでしょうか。
筆者は、このHPを、そしてこの裁判を、とくに現職の警察官に見て頂きたいと考えています。この保土ヶ谷事件が、警察官と市民とが触れ合う、日常のありふれた借景のなかで起きているからです。最初の通報で現場に駆けつけたパトカーの巡査は、警察官として当然の行動をしようとしただけのはずです。それでも事件から5年を経て、なお遺族からの責めをうけ、次回の公判で個人責任について訴えられるのです。
事件はテレビで報道され、遺族への支援の輪は広がり、ホームページまで立ち上がり、弁護士は無報酬同然で裁判の場に臨んでいます。なぜ、こんなことになるのでしょうか。
寒風の下に立ち、酷暑に走り、犯罪者に対し警棒をかざし立ち向かう現職の警察官は、人一倍の正義感と社会秩序維持への義務感がなければ、成り立たない名誉の職業に付いていると思います。筆者は、彼らに訴えかけたい。「諸君の名誉を汚すものは、諸君にウソを強制し、それをいっこうに恥ともせず裁判で遅滞戦術を展開し、法を犯す人間をかばい隠ぺいしつづける県警の体質ではないだろうか」と。
近々、原告側支援者の間でも、何らかの対策を講じたいと考えますので、皆様のご支援をお願いする次第です。
警察見張番事務局・萩野谷敏明
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