乙B3号証陳述書



【解説】

◎「乙B3号証陳述書」提出の経緯
押田正式鑑定に先立ち、伊藤医師から提出された「提出臓器は久保氏のもの」という陳述書。

日大・押田教授が中間報告において「別人のものである」というDNA鑑定を出すと、伊藤医師側は「公正な鑑定が期待できない」として、鑑定人忌避を申し立てた。裁判所はこの忌避申立てを却下し、検査対象を数個のブロックに広げ、かつホルマリン固定臓器にも広げる正式鑑定が実施された。

通常、司法解剖で保存された臓器には、氏名、死亡年、ホルマリン希釈率、保管容器、更にはブロックを作成すれば、その作成者氏名、作成年などを示す医学的な「来歴書」が付くという。 平成13年4月6日、ホルマリン固定臓器が裁判所に提出された際も、同年8月31日にブロックが提出された際も「来歴書」はなかった。 「来歴書」がなければ、鑑定対象が誰のものか特定できない。そこで、裁判所は、確認のため下記の陳述を求めた。 (なお、原告側は、その後も度々「来歴書」の提出を求めたが、平成19年8月現在、控訴審が結審した現在も提出されていない。)

◎問題点(証拠との矛盾)
「陳述書」によれば、ホルマリン溶液は3000cc使っていることになっている。 (「求釈明に対する回答書」「鑑定人の質問に対する回答書」でも、臓器摘出から「数ヶ月以内」に「3000ccのホルマリン溶液」を使って「広口プラチック容器」に保存したとしている。) ヒトの心臓の大きさは、おおよそ手の拳ぐらいであるから、市販の牛乳パック3本分に対して手の拳ぐらいの比率のはずである。 その後、溶液を減らしたという記載も証言もなく、下記によれば、平成11年9月から平成13年4月6日の裁判所提出まで、3000ccのホルマリンが維持されていることになっている。 しかし、平成12年1月14日、地検事務官が解剖室で撮影した「久保幹郎」の臓器(甲41)は、臓器に対してホルマリン溶液の量が極端に少なく、3000ccもあるように見えない。

(甲41の1)

◎その後の経緯
押田正式鑑定で再び別人という結論がでるや、県警・伊藤医師側とも押田鑑定を正しくないものとして、再鑑定を求めた。
平成16年3月末、地検が再捜査をするなかで筑波大・本田教授による「地検鑑定」が世に明らかになった。 その内容はDNA3部位で別人、性別で別人、血液型で別人というものだった。 (参考:記事「証拠の臓器は女性」←クリック) 地検による事情聴取のなかで、伊藤医師は「他人の臓器と取り違えた可能性がある」として、この陳述書とは全く違うことを言い出した。 その後、伊藤医師は地裁の証人尋問の場で「久保氏本人の物を提出したと確信している」と再び表現を変えた。 そして、控訴審が結審した現在は、「本人の物を提出したと確信するが、裁判所がDNA鑑定を認めるならば、誤って他人のものを出したと思う」という主張を維持している。

平成19年8月7日(従前のものに加筆)
文 HP管理人・萩野谷敏明



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