日大・押田教授が中間報告において「別人のものである」というDNA鑑定を出すと、伊藤医師側は「公正な鑑定が期待できない」として、鑑定人忌避を申し立てた。裁判所はこの忌避申立てを却下し、検査対象を数個のブロックに広げ、かつホルマリン固定臓器にも広げる正式鑑定が実施された。
通常、司法解剖で保存された臓器には、氏名、死亡年、ホルマリン希釈率、保管容器、更にはブロックを作成すれば、その作成者氏名、作成年などを示す医学的な「来歴書」が付くという。
平成13年4月6日、ホルマリン固定臓器が裁判所に提出された際も、同年8月31日にブロックが提出された際も「来歴書」はなかった。
「来歴書」がなければ、鑑定対象が誰のものか特定できない。そこで、裁判所は、確認のため下記の陳述を求めた。
(なお、原告側は、その後も度々「来歴書」の提出を求めたが、平成19年8月現在、控訴審が結審した現在も提出されていない。)
【解説】
平成16年3月末、地検が再捜査をするなかで筑波大・本田教授による「地検鑑定」が世に明らかになった。
その内容はDNA3部位で別人、性別で別人、血液型で別人というものだった。
(参考:記事「証拠の臓器は女性」←クリック)
地検による事情聴取のなかで、伊藤医師は「他人の臓器と取り違えた可能性がある」として、この陳述書とは全く違うことを言い出した。
その後、伊藤医師は地裁の証人尋問の場で「久保氏本人の物を提出したと確信している」と再び表現を変えた。
そして、控訴審が結審した現在は、「本人の物を提出したと確信するが、裁判所がDNA鑑定を認めるならば、誤って他人のものを出したと思う」という主張を維持している。
文 HP管理人・萩野谷敏明
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