東京地裁633号法廷・保土ヶ谷裁判の傍聴


下記の内容は、ジャーナリスト柳原三佳さんのご好意により、「保土ヶ谷事件」の裁判について「捜査研究」No.586の記事を掲載させて戴くものです。

「捜査研究」No,586(2000.8.5号)
(東京法令出版)

Journalist Eye 第11回

柳原三佳
<1963年生まれ。主に交通事故をテーマに週刊朝日等に執筆中。著書に『これでいいのか自動車保険』(朝日新聞社)、『示談交渉人裏ファイル』(情報センター出版局)、『交通事故のウソ』(宝島社)ほか。>


7月10日、東京地裁633号法廷。

私はこの日、傍聴席で信じられないようなやりとりを目の当たりにした。

この裁判は、今から3年前に車の中で死亡した男性の遺族が、「夫の死因は車の損傷などから見て、明らかに道路脇の電柱に激突した交通事故によるものだ」として、自車が加入していた全労済全国労働者共済生活協同組合連合会)の自動車保険に対して、自損事故保険金と搭乗者傷害保険金を請求するというものだった。

たしかに、車のフロントガラスには、衝突事故でよく見られるような蜘蛛の巣状のひびが入り、フェンダーにも大きなにも傷がみられた。また後日、事故証明書も出ており、その中には「人身事故」と明記されていたのだ。

しかし、遺族の保険金請求対して、全労災は、司法解剖の結果が「心筋梗塞」だったことから、死因はあくまでも「病死」で、「事故死」ではないと判断。したがって、自動車保険支払いの対象外であると主張していたのだった。

さて、この日、証人として証言台に立ったのは、神奈川県で監察医を務めるAという医師だった。彼は死体検案書の「死亡の原因」の欄に、「心筋梗塞」という文字を書いた本人である。

A医師は、原告側の代理人がおこなった、司法解剖についての質問に対して、次のような内容の答えを返していた。

速記したメモをもとに記してみると、

「私は、警察官立会いのもと、運ばれてきた死体を解剖しました。Y字切開といって、胸部の一番上から下腹部までを切開する方法です。臓器を取り出し、肉眼で病理組織的観察を行い、心臓はそのときに取り出し、今も保管しています。その他の臓器は組織片を切り出してから元に戻して、縫い合わせました」

ところが、その後、裁判官に質問の時間を与えられた原告のKさん(車の中で死亡していた男性の妻)は、毅然とした態度で、

「私はその夜、夫の遺体を見ましたが、お腹には解剖された傷跡はまったくありませんでした。そのことは、息子をはじめ葬儀社の方など、複数の人が目撃しています」
と反論したのだ。

その瞬間、なんともいえない緊張感が、法廷の中に張り詰めた。

目の前に、「解剖した」「心臓は今も保存している」と証言する医師がいるのに、当の遺族は、「遺体に傷はなかった」と断言しているのだ。

ということは、メスを入れずに心臓を取り出す方法があるとでもいうのか? それとも、遺族にもわからないくらい、傷口がきれいに縫い合わされていたのか? 

また、当初、遺族はA医師から、「頭部も解剖した」という言葉を聞いたというが、それについてもA医師は、証言台で全面否定。

「ちゃんと解剖した、とは言ったが、頭を解剖したとは言っていない。解剖しなくても頭蓋内出血は完全に否定できたので、遺族感情も念頭に置き、なるべく元の姿でお返ししたいと思った」

そして法廷の中では、さらにA医師の「解剖をした」という主張を裏付ける証拠の有無について、いくつかのやりとりが続いた。

まず、K氏の死体を解剖中の写真はあるのか? もし、1枚でもA氏とわかる写真があれば、一目瞭然で遺族の主張は覆されるわけだ。

しかし、A医師は、心臓そのものの写真は撮ったが、身体を写し込んだものは1枚も撮っていないと証言した。私にはまったくわからない世界だが、司法解剖において、写真はそれほど重要視されていないということだろうか。

さらに、もうひとつ疑問点が浮かび上がった。A医師は、午後7時40分から8時40分まで解剖を行ったと証言したが、妻のKさんによると、同じ日の午後7時頃には、すでに夫の死因は「心筋梗塞」だったことを聞かされ、午後8時20分には、遺体は自宅に運ばれてきていたというのだ。

いったいどちらが本当なのか……。

はっきりいって、ここまで両者の主張が食い違ってくると、事が事だけに、私は驚きというより恐怖すら感じた。

しかし、立証の手段はまだ残されていたのだ。それは、保管されている心臓の「DNA鑑定」である。専門家によると、ホルマリン漬けになった臓器でも、DNAは鑑定できるとのこと。つまり、問題の心臓さえ証拠提出されれば、それがKさん本人のものであるかどうかが、ほぼ100%に近い確率で判明するのだ。

Kさんの代理人は、こうたずねた。

「心臓を証拠として出していただくわけにはいかないでしょうか……」

A医師は様々な理由を述べ、即答はしなかったが、最終的に、検察からの指示によって法的な手続きがとられれば、「提出する準備はある」という答え方をした。

もし、解剖したことが事実であるなら、心臓こそA医師の方から進んで提出すべき証拠ではないのか……、素人ながら私も不思議に思ったが、遺族にしてみれば、「解剖をしていないのだから、心臓を出せるはずはない」のであって、この不可思議なやりとりは、今後も続いていくことになる。

実は、私がKさんから初めて連絡をもらったのは、事故からまだ数ヵ月しかたっていない頃だった。

当時から彼女は、警察が夫と車の異変に気づきながらも、病院へ運ばずその場に放置した可能性が高いこと。そして遺体のどこにも解剖の痕跡がなかったのに、警察と監察医がそろって、「頭部も腹部も解剖し、その結果心筋梗塞と判断された」と報告してきたことについての理不尽さを訴えていた。

とにかく、事故現場から病院は至近距離である。最初に警察が夫の車を発見したとき、すぐに病院に運んでくれていれば、ひょっとすると夫は助かったかもしれない……。

Kさんは何度も何度も、涙声でその悔しさを語っていた。

その後、Kさんは独自に交通事故鑑定を依頼し、まずは、車に残された痕跡が事故によるものであることを確信した。そして、夫が帰宅しなかった平成9年7月18日の夜から、遺体となって発見された19日にかけての記憶を、必死でたどったのだ。その結果、さまざまな食い違いが見つかり、昨年、「虚偽検案書作成」で、A医師を告訴するところまでこぎつけた。

しかし結局、DNA鑑定などはおこなわれないまま、起訴にはいたらず、今年7月19日、時効を迎えた。今や、警察、監察医、検察……、すべての捜査機関に対して、Kさんの不信感は募る一方だ。

「それにしても、司法解剖とはなんのために行うのだろう……」

私はこの裁判を傍聴しながら、いろいろな疑問を感じざるを得なかった。

ちなみに、A医師は解剖前に、その死体がどこで、どういう状況で発見されたかという情報を、まったく警察から聞かされていなかったと証言した。つまり、このケースでいうと、車の存在も、もちろん、車に事故の形跡らしきものがあるということも、A医師は知らなかったというのだ。事故車の損傷具合は、この事件の真実究明には欠かせないひとつの重要な要素ではないかと思うのだが。

公判の翌日、Kさんの妻は電話で私にこう語った。

「こんなことが許されてよいはずがありません。私は、残された息子たちがまっとうに育ってくれるように祈りながら、とにかく真実を突き止めるまで戦いつづけるつもりです」


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