平成14年7月5日
横浜地方裁判所第9民事部合議係 御中

第5準備書面
被告伊藤順通訴訟代理人
弁護士 高田 賢造
弁護士 保田真紀子
弁護士 斎藤  榮
第1 被告伊藤の立場
  1. 被告伊藤は神奈川県知事より委嘱を受けた監察医である。本件解剖は、行政解剖ではなく、刑事訴訟法第168条による鑑定許可令状に基く強制処分としての司法解剖である。 行政解剖に依るか、司法解剖に依るかは、監察医の判断や権限に基づくものではない。本件においては、被告伊藤に死体の検案を委嘱した警察署長が管轄検察庁の意見を聞いて、管轄地方裁判所の裁判官による鑑定許可令状を得て、刑事訴訟法に基づく強制処分として行ったものである。被告伊藤がなしたこれらの行為は、犯罪捜査の一側面としての死体検案および解剖であって、公益目的にもとずく公権力の行使である。

  2. 監察医は、死体解剖保存法第8条の規定により「政令で定めたる地を管轄する都道府県知事が、その地域内における伝染病、中毒又は災害により死亡した疑のある死体その他死因の明らかでない死体について、その死因を明らかにするため」検案および解剖をさせるため設けたものである。即ち、監察医制度は、行政機関が行う作用の一つとして設置されているものであり、監察医の行う職務は、伝染病の予防、公衆衛生、犯罪発見等の公共の福祉の見地から本来行政機関が行政作用の一つとして行うべき行為を、専門家に対し委嘱するのであって、公益上の公権力の一端を行使するものである。この点において、監察医の行う職務は、病気治療を目的とする医業とは明らかに異なる。

  3. 監察医は、死体解剖保存法第8条により「検案によっても死因の判明しない場合に」知事の命令により解剖する義務がある。
    他方医師又は歯科医師も、死体解剖保存法7条により、診療中の患者が死亡した場合、遺族の承諾を得て解剖することができ、また、「死因を明らかにするため特にその必要を認め」た場合に一定の条件下に、遺族の承諾を得ることなく解剖する権限を付与されている。
    しかしながら、両者はその趣旨、目的(死因を明らかにする目的)を異にする。即ち、医師のなす解剖は、医業が人の病気の治癒根絶への寄与を目的とする病理解剖であるのに対し、監察医の解剖は死因を明らかにすることによって、公衆衛生、公安秩序の維持等の公益を目的とする行政解剖である。

  4. 以上のように、被告伊藤の監察医の立場は、医師の立場とは明らかに異なり、本例、行政解剖が行うべき行政作用を、行政機関の委嘱を受けて公益目的で行うものである。
第2、原告の被告伊藤に対する請求の不当性
1.公務性について
監察医は、行政機関から委嘱を受けて、公益目的に従って死因の解明を行うのであって、遺族から依頼されて遺族のために解剖をしたり死因の解明をするものではない。監察医がなす死体検案書の作成交付行為は、監察医が公権力の行使としてなした検案、解剖に必然的に伴う付随作用とも言うべき行政作用の一環と目されるものである。原告らが、あえて、その行為(死亡診断書の作成交付行為)のみを切り離して、これには権力作用的性格がないから公務性がない等と論ずるのは詭弁と言わざるを得ない。例えば、委嘱先から死体検案書の作成交付を求められれば、監察医の職務行為としてこれをなすのであり、遺族から求められれば同じく監察医の職務行為としてこれをなすのである。

2.原告らの損害と監察医の職務との因果関係について

(1)原告らが蒙ったとする損害は、交通事故死による自動車共済金や、事故(災害)生命保険金である。固より、被告伊藤は監察医として、県の委嘱と鑑定許可令状に基いて死因を検案したのであって、亡久保に交通事故による加害行為を加えた訳ではない。保険会社が事故保険金の支払を拒絶したからといって、被告伊藤にその補填を求めるのは筋違いも甚だしい。

(2)交通事故による損害保険金を請求するときに、それが認容されるか否かは、請求者が事故と死亡との因果関係について立証活動をどの程度したかが問題である。つまり、死亡に繋がる交通事故の存在と死亡との因果関係は、保険金請求者の立証責任の問題である。これが立証されれば死亡診断書(検案書)の死因の記載が何であれ、事故による保険金請求は可能である。本件のばあい、死因が心筋梗塞であったとしても、それが交通事故を起因として生じたことが証明できれば交通事故による損害金は支払われるだろう。反面、例えば、死亡原因が交通事故との因果関係を推認させるような外因死であったとしても、死亡につながるような交通事故の存在や死亡と交通事故との因果関係の証明ができなければ、交通事故による保険金の支払を受けることは不可能である。

(3)このことは、解剖の有無とか、端的に言えば死因の如何にさえ係わらないことである。従って、本来、解剖の有無に関する鑑定なども必要ないことである。監察医の死体検案書は、死亡の直接の原因を医学的見地から記すものであり、交通事故死か否かとか、交通事故との因果関係を証明する文書ではない。被告伊藤が、直接、亡久保やその遺族に、交通事故による損害を与えた訳でもないから、証明妨害により信義則に基く挙証責任の転換という理論も妥当性がない。被告伊藤は、監察医として行政機関の命令により、本件解剖を行い直接的な死因を「心筋梗塞」と特定したにすぎない。その心筋梗塞が交通事故によるものか否かを判断する権利も義務もない。

(4)そもそも、本件事案においては、亡久保幹郎が交通事故に遭遇し、その結果死亡に至ったことを推認させるような客観的事実は全くない。  車両の前部バンパーの辺りに衝突したと思われる凹損があったとしても、それが、死亡事故に繋がるほど衝撃があったことを常識的に推認することもできないし、フロントガラスに拳大のクモの巣状のひび割れがあった(外側からの力によるものと言われている)としても、これが頭部をぶつけたために生じたか否かは不明だし、仮にそうであっても、命を奪うほどの衝撃を与えたとも常識的には考えられない。原告が、まず交通事故保険金を請求するにあたって主張、立証すべきは、解剖の有無や検案書の内容の真偽ではなくて、このような死亡に繋がる交通事故の存在との因果関係である。

(5)原告らは、平成9年7月19日、亡久保の遺体を保土ヶ谷警察署より引き取った。同人の陳述書(甲8の7)によると、同年7月20日午前3時頃、亡久保の遺体の「頭、胸、お腹等は手で撫でまわして」いるという。また、7月21日付死体検案書(死亡診断書)(甲8の3)に、死因が「心筋梗塞」と記載されていることを知っていた。原告らが、亡久保の死因が交通事故死であると思うのなら、何故、荼毘に付す前に異議を出さなかったのか。解剖をしていないと思うなら、死因を明確にして貰うために、何故その時に、解剖をして欲しいと言わなかったのか。保土ヶ谷警察署において、原告らは解剖承諾書まで差し入れているのである。  このことは取りも直さず、亡久保が交通事故で死亡したことを推認せしめるような客観的な事実が何らなかったからに他ならない。

(6)それまで元気であったと思っていた肉親が、外出先で突然死亡した時、遺族がその死亡原因を知りたいと思うのは当然のことである。その時「心筋梗塞」であると書かれた検案書を見て疑問に思ったり、交通事故死ではないかという疑いを持ったならば、原告であれば、即座に、解剖の有無や死因の再調査を叫んだはずである。死亡後3ヶ月も経って事故保険金請求後、死因が心筋梗塞であっては困ると、血相を変えて被告伊藤に食ってかかり、その後一年も経過してから、解剖が為されていなかったとか、死因が虚偽である等と、埒もないことを主張することは、自らすべきであったことをしなかった責任を被告伊藤に転嫁するものであって、失当も甚だしい。

(7)ましてや「本件は警察権力が不祥事を犯し、監察医と組んで、これを隠ぺいしようとした事件であり、社会的に重大な意義を有している」等と独自の見解を構築、捏造し、このような非論理的且つ非常識的な主張を展開し、更に、多衆を恃み、マスコミを利用煽動して、被告伊藤の名誉を著しく毀損せしめている行為は断じて許すことはできない。原告において、被告伊藤が解剖をしていないと主張する根拠は、本件解剖に立ち会ってもいない元葬儀屋の虚偽の証言しか存在しないのである。


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