【甲7】横浜市民病院・小島(仮称)医師陳述書


陳 述 書
医師・小島玲子(仮称)

私は1997年7月19日当時、神奈川県横浜市保土ヶ谷区岡沢町56番地所在の横浜市立市民病院で勤務しておりました。私は、K大学医学部の卒業生で、専門は血液学です。これまで2つの著作があります。現在は、東京都で「小島クリニック」を開業しております。

2.
1997年7月19日午前11時ころ、横浜市立市民病院で勤務中に、救急車で後に久保幹郎さんとわかったご遺体が搬送されて来ました。そのとき救急隊の方から、ご遺体は「身元不明者」であるという説明を受けました。 搬送されてきたときすでに体温が冷たくて死後硬直をしており、時間的に少し前に死亡したという感じでは全くありませんでした。一応、蘇生もやりましたが、午前11時22分に死亡確認をしました。その時点で死後少なくとも5〜6時間は経過していると思われました。その根拠は、私がご遺体から血液を採取して検査したところ、LDHの値が1000を超えていたためです。これは溶血が起こっているためであり、そのことから、少なくとも死後5〜6時間経過していると推定致しました。

3.
その他に、血液の検査から分ったことについて申し上げます。ひとつは、血液中のK(カリウム)濃度が9という高濃度であったことです。K濃度が9で生存しているということは考えられません。余談になりますが、アメリカのミステリー小説で足の指の間からKを注射して完全犯罪を狙ったと言うものもあるくらいです。大分前に亡くなり、死後、赤血球が壊れた溶血によって濃度が高くなったと考えられます。血液中のK濃度は、細胞組織が破壊されると高くなります。 もうひとつは、γGOTの値やγGPTの値が低く、それぞれ100にも満たないことがわかりました。このことは、死因が心筋梗塞であることと矛盾します。死因が心筋梗塞であれば、γGOTの値やγGPTの値は何百という値になることが通常だからです。

4.
ご遺体を外から見た様子ですが、酒臭はありませんでした。また、死体検案書には膝とか腰に擦過傷があると記載されてあるそうですが、そのような擦過傷はありませんでした。遺体には傷がなく、きれいな状態でした。背中側の腰と胸の間、右半身側に500円玉大の楕円状のへこみがあることが印象に残りました。

5.
警察官は、その日の午後0時30分過ぎ、少なくとも午後1時前には4人位で横浜市立病院へ来ました。警察官もご遺体は「身元不明者」だといっており、私が採取したご遺体の血液も持っていきました。
以上


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