平成14年4月16日・鑑定人の中間報告書に対する被告伊藤順通の意見書


平成14年4月16日
横浜地方裁判所民事第9部合議係御中

被告伊藤順通訴訟代理人

弁護士 斉藤榮

鑑定人の中間報告書に対する被告伊藤順通の意見書

第1 中間報告の取扱いの法的手続き面に関する意見
1.
平成14年4月8日付鑑定人の中間報告書なるものは、鑑定結果を記載した鑑定書ではない。この文書をどのように法律的に解釈すべきか理解に苦しむ。鑑定人の鑑定途中の書面による中間結果報告書であって、最終結論が変わりうる中間報告書であるとすれば、このような書類は出すべきではないし、仮に裁判所の指示により提出するのであれば、暫定的なものである旨を断って、提出すべきである。鑑定結果書を出さずに、中間報告書という不完全且つ曖昧な文書を提出した鑑定人の意図を理解しかねる。 また、後述するが、当該中間報告書の存在と結論的内容が、裁判所より訴訟当事者である原告および被告らに知らされる前に、読売新聞横浜支局など数社のマスコミ関係者に流布された事に関しては、著しい不審と遺憾の念を禁じ得ない。当該中間報告書の存在と結論的内容は、裁判所と鑑定人しか知り得ない時点で既にマスコミ関係者が知っていたのである。

第2 中間報告の内容に関する意見。
1.
当該中間報告書なるものの内容は、杜撰なものであるとの印象をうける。なぜならば、 当該中間報告書の記載によると、DNA鑑定した対象物は、被告伊藤医師が提出したブロック標本のみである。 元来、本件検証および鑑定依頼の経過からして、DNA鑑定すべき対象物は被告伊藤医師が保管しているホルマリン固定された臓器、とりわけ心筋梗塞を争っている事から「心臓」を中心対象にすべきである。当初より被告伊藤医師はホルマリン固定された臓器片は、司法解剖の際、亡久保幹郎氏(以下久保という)の遺体から摘出保存していたものであると主張し、保管を継続していた。 しかしながら、プレパラート標本およびブロック標本は、記録上明らかなように、当初からは検証や鑑定の目的物になっておらず、司法解剖をした平成9年7月19日から約4年を経過した平成13年3月頃の民事裁判手続きの中で、急遽、存在しているなら提出して欲しいとの要望により探し出して提出したものである。 殊に、ブロック標本は、プレパラートがあるのであればブロック標本もあるはずとの鑑定人の指摘により平成13年7月頃に、急遽、探し出し、揃えて提出する運びとなったものであって、いわば、これらのプレパラート標本およびブロック標本は、ホルマリン固定された臓器片のDNA鑑定の補助参考資料のような認識で提出したものである。改めて確認したところ、被告伊藤医師は、原告が司法解剖の検案結果である心筋梗塞に胃を唱え、虚偽検案書作成罪の疑いで告訴するなどしたために、後日改めて、検案結果を病理組織学的に検証するために、平成11年9月14日頃に至って、久保の臓器からのプレパラート標本作成を東京医科大学に委嘱したものである。 以上のような経過からプレパラート標本およびブロック標本については確信を持って全て久保のものと言える裏付けは必ずしも充分ではないものである。現に、プレパラート標本の内「対照」と記載されたものは特殊染色状態を確認比較するための他人の細胞組織である。 また中間報告書によると、プレパラート標本とブロック標本は完全には一致していないとの記載もある。 しかしながら、被告伊藤医師の代理人としては、ホルマリン固定された臓器片の鑑定であるから、その辺の多少の不完全さは大勢に影響ないものとして、被告伊藤医師が久保の司法解剖に関連して資料として保管しているものは、一応、全部提出したものである。 以上の通りであり、プレパラート標本およびブロック標本のいずれかに久保以外の他人のものが混在している可能性は否定できない。

2.
当該中間報告書は、そのような不完全なブロック標本のみをDNA鑑定の対照としており、 ブロック標本17個の内、全部をDNA鑑定の対象としたのか、一部に過ぎないのかも記載からは明確ではない。 押田鑑定人は平成13年8月ラウンド法廷でブロック標本を授受した際、「他人のDNAが検出されたら直ぐに鑑定を終わらせる」と言う趣旨の不審な発言をした。被告らの代理人が「それはおかしい、久保のDNAが検出されたら、の間違いでしょう」と指摘した事があった。そのようなことから、 ブロック標本のうち、たまたま混在していた他人の組織のみをDNAの鑑定対照として当該中間報告書を作成している可能性もある。 当該中間報告書の作成に当たって、どのブロック標本をDNA鑑定の対照として結論を出しているのか明確にして戴きたい。 また、ホルマリン固定された臓器とりわけ心臓部分を中心にDNA鑑定をするべきである。

第3 押田茂美鑑定人に対する被告伊藤順通医師の意見。
1.
被告伊藤医師は次の理由により、当該鑑定人が公正な鑑定をしないのではないかと言う危惧を強く感じているものである。 まず第1に、そもそも当該鑑定は原告側でのみ鑑定の必要性を主張し、原告側で鑑定人候補者として推薦してきた鑑定人である。被告伊藤医師側としては、当初から、司法解剖の実施とホルマリン固定された臓器片が久保のものである事に何らの問題もないと考えており、なにも、DNA鑑定などするまでのことでもないと考えていた。しかしながら、原告側でどうしても鑑定をしたいと言うのなら被告伊藤医師が保存しているホルマリン固定された臓器を法廷に顕出するのに吝かではない。むしろ鑑定して原告が納得するのならその方がより、とも考えた。DNA鑑定自体は、現在は100パーセントの信頼まではないものの、鑑定人によって意見を異にするような困難な鑑定とも思わなかったので、原告側で一方的に推薦した鑑定人であることに一抹の不安を感じながらも、まさか、このような中間報告書が提出されるものとは、夢想だにしていなかったので、原告側でのみ鑑定人候補者として推薦してきた鑑定人であってもことさら異議を述べなかったものである。しかしながら、今更遅きに失するがやはり、原告側のみの推薦による鑑定人であったというのは、不公正さを内在していたものであり、結果において不公正な鑑定であったと言わざるを得ない。

2.
押田鑑定人は、鑑定人として選任された後の、検証物の引き渡しなどの場では、到底、公正とは言えない言動をしている。前記第2の2で記載した点もそうであるし、平成13年3月から同年8月にかけての被告伊藤医師が提出した意見書にもそれらは伺える。その不公正さ故に、鑑定結果においても公正な鑑定がなされない危惧を強く感じ、被告伊藤医師側では、平成13年7月27日意見書2において「当方としては、従来の経緯に鑑みて、当方側においても鑑定することの必要性を確定的に考慮せざるを得ないと考えている」とまで憂慮している記載が残されている程なのである。

3.
今回の中間報告書の提出に際しても然りである。鑑定人は、当該中間報告書の存在と結論的内容が、裁判所より訴訟当事者である原告および被告らに知らされる前に、読売新聞横浜支局など数社のマスコミ関係者に事前に流布される事態を招来せしめた。すなわち、当該中間報告書が鑑定人より裁判所へ提出されていることを、被告伊藤代理人が知ったのは、平成14年4月1日の午前11時30分頃、読売新聞横浜支局の記者から当職宛の取材電話で、当該中間報告書の存在と結論的内容が、知らされたために不審に思った当職が、直後(後後12時30分頃)に裁判所に問い合わせて初めて知ったのである。裁判所としては、当該中間報告書が提出されているが、この取扱いについて裁判所として未だ結論が出されていないので、訴訟関係者に当該中間報告書の存在を知らせていないと言っていたのである。その後、午後2時頃になって裁判所としては当該中間報告書を訴訟当事者に渡すとの結論になったので必要とあれば交付するとの連絡を受けたのである。当該中間報告書の存在と結論的内容が、事前にマスコミ関係者に流布される事態を招来せしめた原因は鑑定人の行動にあったと考えざるを得ず、被告伊藤医師としては遺憾の極みである。因みに、今回の件でマスコミ関係者の被告伊藤医師に対する取材が始まったのは、4月9日からである。

4.
本件事案は、原告らによって、平成10年頃よりマスコミ関係者にしきりと情報提供がなされ、当時盛んに報道された神奈川県警の不祥事の一環として、被告伊藤医師がなした司法解剖並びに死体検案結果にまで疑問を呈し、裁判所で真実を明らかにすべきであるのに、盛んにマスコミを利用して誤解を招く報道を繰り返しなさしめてきた。今回の中間報告書の存在と結論的内容によって、被告伊藤医師は実名と肖像をテレビ報道される被害にあった。司法手続きの中で明確にされた事実によって判断されることなく、一方当事者のみから提供された、何の検証もされていない主張や証言によって、一方的なマスコミの報道がなされ誤った事実が実名で広く一般に流布される耐え難い苦痛を被告伊藤医師は感じている。殊に、平成14年4月13日土曜日午前11時より放映されたテレビ朝日「ザ・スクープ」という報道番組はその内容からして被告伊藤医師に対する単なる個人攻撃と称する以外のなにものでもない。看過し得ないことは、当該押田鑑定人は、その番組に出演し、本件のDNA鑑定の手続きの一部を報道機関に撮影させる等していることである。今回の中間報告書の存在と結論的内容についても、平成14年4月13日土曜日午前11時より放映されたテレビ朝日「ザ・スクープ」の放映に計画的に会わせたと考えられる。これら一連の行為は、マスコミを利用し、多衆を恃んで真相を歪曲して誤認を招かんとするものである。我が国の裁判制度の下においては裁判の厳正公正な訴訟手続きの下に、法に準拠して真実が明らかにされるべきものであって、これが法治国家であると信ずるものである。

第4 鑑定人忌避の申し立て再鑑定の申し立て。
被告伊藤医師としては、このような鑑定人に公正な鑑定結果を期待することは出来ないので、鑑定人忌避の申し立てを検討中である。また、改めて、公正な鑑定人による鑑定を申し立てることを考えている。


付  言

HP管理人・萩野谷敏明

結審にあたり、これまでの裁判過程をできるだけつぶさに紹介する目的の一環として、筆者のファイルから上記「意見書」を提示する。

平成18年2月8日の今、中間報告書が出された直後の上記「意見書」を再読すると、筆者においてもなかなか感慨深いものがある。この「意見書」が書かれてから現在までの主な出来事は次の通りである。

1.
被告伊藤医師側は鑑定人忌避をしたが、裁判所はこれを拒絶、押田教授の鑑定人としての立場は維持され、正式鑑定が行われた。

2.
正式鑑定は、心臓のブロック標本から5片およびホルマリン固定された心臓から4片、ホルマリン固定された肝臓から1片の合計10片に対して行われた。(ブロック標本は、中間報告書作成の元となった鑑定部位とは別の箇所から切片を切り出した再鑑定となり、ホルマリン固定臓器は新規の鑑定となった。)その結果、久保氏とは別人のものという結論であった。

3.
被告伊藤医師側によるDNA再鑑定の申し立ては、横浜地方検察庁が筑波大学の本田克也教授に鑑定を委嘱する形で実現した。本田教授は、心臓のブロック標本から3片およびホルマリン固定された心臓から3片の合計6片に対してSTR検査(犯罪捜査に用いる手法。極めて精度が高いとされる)を行った。その結果、裁判所提出臓器は久保氏のものとは別人、性別は女性、血液型も異なるとの結論を出した。 なお、押田鑑定・本田鑑定とも、ブロック標本・ホルマリン固定臓器とも久保氏のものではないが、同一人物のものであるという点では一致している。

4.
被告伊藤医師側は、横浜地方検察庁による事情聴取に際して、「他人の臓器と取り違えたかもしれない」と答えた。

5.
被告伊藤医師側は、「ザ・スクープ」を制作したテレビ朝日を名誉毀損で訴えたが、一審・二審とも敗訴、最高裁で敗訴が確定した。

6.
平成16年12月17日、被告伊藤医師は地裁による証人尋問の際、 「裁判所への提出臓器は、久保氏のものと確信している」としたうえ、裁判官から「他人の臓器が混ざっている可能性があると考えていますか」と聞かれ、「ございません」と答えた。

なお、筆者の体験談を付言する。被告側は、押田教授が中間報告書をあたかも独自の意志で裁判所に提出し、それが「ザ・スクープ」の報道に合わせて行ったかのように述べているが、これは正しくない。

筆者は、中間報告書の提出に先立つ裁判を傍聴していた。その際、大坪裁判長が「押田教授に連絡を取ったところ、鑑定結果の提出はまだできないが、中間報告的なものは出せるということだったので、そうして貰うことにした」と法廷で明快に述べている。これは、ブロックの提出が平成13年9月だったので、当初は12月に鑑定結果が出されると想定されていたことに対し、半年を経てもまだ鑑定に至らないため、裁判所が取った措置である。この際、被告側弁護士も裁判に同席していたのだから、中間報告書が提出されることは事前に知っていたはずである。

このことは、当然、報道各社も周知していることなので、その結果として取材攻勢が行われ、報道番組が制作されるに至ったのである。押田鑑定人が、マスコミを使ってプロパガンダを仕掛けたと言わんがばかりの主張は、いささか空想の度が過ぎていないかと思う次第である。


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