原告久保佐紀子・最終陳述


東京高等裁判所御中
意見書(口頭陳述のメモ)
平成19年6月19日
原告 久保 佐紀子

6年の歳月を掛けて代理人弁護士先生方と遣り残しの無い様、一歩一歩丁寧に進めて来た裁判での、昨年4月25日横浜地裁の一審判決は支離滅裂な驚きの判決でした。 『警察地検同様司法までも?か』と体中の力が抜けました。

信じていただけに私の中から全ての権力への信頼は崩れていきましたが、同時に夫が亡くなって10年の歳月に張り詰めて鞭打ってきた私の身体も、体力の限界に通院を余儀なく されています。

警察、監察医を提訴することが一般人にとって、どれだけの勇気と財力と体力を使うことか知りながら、正して欲しい一心と、助けての声さえ出すことが出来ずに、ハザードの点滅に命を託した夫の最後の叫びは、警察官によって無残にも踏みにじられ、54歳の生涯を閉じた夫の無念を、司法に晴らして欲しかったからです。

県と伊藤医師の嘘八百を基に毎回事実を覆い隠す論法での文章に辟易していました。捜査機関の嘘を、誰が止められますでしょうか?止められるのは事実しか無いとの思いに、事実を一生懸命に伝えてまいりました。

私の母は40数年前53歳で(脳卒中)突然倒れ2時間で亡くなりました。自宅で亡くなり山深い田舎の為、医師の往診で死因は決まりました。当時は葬儀やさんと言う職業は無く身内で身体を清め、新しい外出用の着物を着せての土葬でした。

身内に身体を清められている母の姿は『死んでいるとは言え身内多勢での御清めは恥ずかしい思いに違いないと』今でも私の脳裏から離れずに焼きついています。

兄も51歳で、脳大動脈瘤破裂で他界いたしました。脳死状態でしたが手厚い看護を受けての最後でした。看護士さんによって身体は清められ浴衣の上から白装束の着物は掛けられていました。

父は老衰のため長寿をまっとうしましたが、兄と同様浴衣に着替えさせた後、葬儀やさんに引き継がれました。私は幸い身内の最後には全て立ち合い看取ることが出来ましたので それぞれ肌につけて着せる物は身内が揃えて納棺していました。

夫の遺体は違っていました。

当日高橋さんから午後7時の時点で心筋梗塞午前3時と聞いた後、保土ヶ谷署の斎藤氏に

死因の確認の電話を私の方から入れました。

その時、斎藤氏の『解剖せずに済んだ』旨も確認したことは証人席で証言したとうりです。斎藤氏がこのとき『解剖した』と答えていたら、当日遺体確認の時にすべてのことは明るみに出てしまう事になります。

事故車を署内で見てフロントガラスに頭をぶつけた為に蜘蛛の巣状のヒビワレになっていること、タイヤはバーストの為と私の質問に答えていた斎藤氏は必ずや私が遺体確認をするだろうと思うのは警察官としては容易なはずなのです。

『解剖はしなくてすんだ』と言っておけば遺体のある内は確認されても安全の方法だった のです。

葬儀終了後は、証拠の遺体が無い以上、司法解剖の書類で隠蔽は完全に成功です。遺族が解剖などされていなかったと何万回叫ぼうが誰も耳を貸さないことは当然のことだと考えられたからです。私にはDNAの知識がないと思っていたことでしょうから。

死亡診断書は葬儀社の方がその場にいた身内に私の名前と生年月日を記入させて、火葬許可書を取得する為に葬儀社の手によって区役所に提出されました。

パニックになっている遺族親戚含み、目に付かずに提出される書類である事も警察官は周 知の事実です。遺族が目にすることなく役所に提出されてしまう為に、吉川葬儀社ではコピーを保存していました。

葬儀翌日に警察不祥事が発覚しましたので発覚直後に見ることができたのです。夫の遺体は当然浴衣を着せられていない為、直に白装束を着せられていました。サテン生地の白装束はつるつるすべる生地のために吉川葬儀社社長の見たように、たやすく胸元は肌蹴てしまうのです。

私は浴衣でなく夫の仕事柄、茶会に着用していた着物に着せてあげたくて、胸元をひらき撫で回した上半身は、当然斎藤氏の言っていたとうり解剖などされていませでした。

母も兄も父も両手は胸の高い位置で組んでいましたが、夫は腰ベルトの低い位置で手のひらは合わせられなかったのでしょう 両手指だけ組み合わせた合掌でした。一人で着せようと思ったのは信じられないと、判決文にありますが、経験のある方の言葉とは思えませんでした。

遺族が何故、嘘を言う必要があるというのでしょうか。裁判で遺族が何故ここまでキズつけられなくてはならないのでしょうか、これでは被害者は何処まで行っても救われません。

最後の思いのたけは私だけでなく、家族の者はそれぞれ一人になった時を見計らって棺の蓋を開け話したり触ったり何度といわずやっていたようです。

斎場には3名しか宿泊が許されず、夫の次兄と次男と三男が伯父と交代で線香を絶やさずに見守っていた時に、警察署で事故車を見ていた三男の話しを聴いた次男が言い出し父親の事故での傷の様子を想像して二人で確かめずにいられなかった自然の行為です。

通夜の時間のある中での二人の行為を何の権利があって否定されなくてはいけないのか。人間としての尊い気持ちを否定される悔しさを裁判官には理解して欲しいと患います。

原告は解剖などされていなかった証拠として臓器のDNA鑑定で他人の物であるとの証明を明確にしています。

司法解剖である以上、監察医たるものは、万人に使用できる書類や写真でなく確たる証拠を提出すべきです。

古い臓器でDNAが検出できないことを見込んでの臓器提出は、DNA鑑定の進歩に目を向けなかった落ち度です。

多くのマスコミで長期にわたり扱った事件だけに、世間の人もまた他署の警察官、県警自身も何があったのか感じていることは皆、同じだと思います。

夫は酔っ払いだと間違がわれて警察に連行された事実を隠蔽した事件である事は承知している上での司法の判断が問われると思っています。

あと一ケ月で10年です。年毎に確実に夫のいる世界に近づく年月は再び会えることを考える日々ではありますが、これから人生を積み重ねて生きる息子達にとって裁判の結果から真の社会の姿を学び希望のある連が開けるよう親として願っています。

控訴審では理路整然とした納得のいく、公平な裁判をしていただきます様強く望んでおります。                                            


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