原告側・第1審被告神奈川県らの控訴理由書に対する反論


平成18年(ネ)第2861号 損害賠償請求控訴事件
第1審原告  久 保 佐紀子 ほか
第1審被告  神 奈 川 県 ほか
準 備 書 面 (控訴審第5) 
   

2007年5月6日

東京高等裁判所第4民事部 御中

第1審原告ら訴訟代理人      
弁護士    大 野   裕
同     中 西 一 裕
同     今 村   核

《第1審被告神奈川県らの控訴理由書に対する反論》
第1審被告村井及び同青地の救護義務違反に関する原判決の判示については、すでに第1審原告らの準備書面(控訴審第1)の第2で述べたが、この点ついて第1審被告神奈川県らは控訴理由書において原判決の事実認定及び法解釈について論難を加えているので、念のために反論をしておく。

第1 救護義務違反の前提事実について

1 車両の「損傷」について
 第1審被告神奈川県らは、原判決が第1審被告村井らの救護義務違反を認定した前提事実として、亡幹郎が「平成9年7月18日午後6時20分過ぎ、本件車両で仕事に出かけたが、同日午前0時ころ、通称大池道路を常盤台方向から三ッ沢上町方向へ進行中、…横浜市保土ヶ谷区峯沢町174番地所在の電柱、同158番地所在の電柱及び道路標識支柱、同54番地所在の電柱、同45番地所在の電柱にそれぞれ本件車両左側を接触させたほか、本件車両右前部をいずれかの場所に衝突させるという自損事故を起こした。」、「その結果、本件車両には、運転席前のフロントガラスに右端から約12センチメートル、上端から約8センチメートルの部位を中心に放射状にガラス面の外面がささくれるような状態のひび割れ(縦約31センチメートル×横約55センチメートル)が生じたほか、左前輪のタイヤがパンクし、左前輪フェンダーの先端部が全般に凹損擦過しており、左フェンダーミラーが脱落し、右前部のバンパー及びフェンダーが凹損するなどの損傷が生じた。」(原判決26頁)と認定したことに対し、本件車両左側の損傷が上記の電柱等への接触事故によるものであることは「客観的な証拠から明らか」であると認めつつ、本件車両右側(運転席側)の損傷については事故現場の発見・特定には至らなかったとして、上記認定のうち運転席前のフロントガラスのひび割れ並びに右前部のバンパー及びフェンダーの凹損については事故によるものかどうか明らかでない旨主張している。
 しかし、原審での2005年8月5日付け原告ら準備書面に記載したとおり、平成9年8月4日付け実況見分調書【乙A40】によれば、本件車両右側は右前部バンパーが先端から22センチメートルの部位で曲がり先端部が15センチメートル内側に曲損、右前部フェンダーが後方に湾曲状に凹損しその後端部分が5センチメートル上方に隆起等の損傷があったのであり、これは右前部正面方向から相当強い衝撃を受けたがために発生した損傷であることは明らかであるとともに、右前部フェンダーの凹損部にはコンクリート様の物質が付着していることを併せ考慮すれば、本件車両右側についてもコンクリート壁や電信柱等との衝突事故があったとしか考えられない。また、上記のような車両右側の損傷状態(すなわち、運転席前のフロントガラスのひび割れや右前部フェンダーの凹損状態)のままで車両を運行することはあり得ないから、当日以前の事故によってこれらの損傷が発生し、それを幹郎が放置していた可能性は考えがたい。
 したがって、原判決の前掲判示は本件車両の損傷状態に基づくごく自然で合理的な推認であるといえる。
 本件車両の事故態様としては、まず最初に峰沢町の現場に至る前のどこかで本件車両右前部の衝突があったものと考えられ、これにより頭部をフロントガラスにぶつけて意識朦朧となった亡幹郎がさらに運転を続けた結果、車両左側を前記実況見分報告書記載の電信柱や電話柱にぶつけて擦過損傷をつくったものと見るのが最も合理的といえる。

2 「意識を失った」について
 第1審被告神奈川県らは、原判決が本件車両内の亡幹郎の状態について、「幹郎は、そのまま大池道路を抜け、県道13号線に出た所で一旦停止後に右折し、本件車両を三ッ沢上町交差点手前の右折専用車線停止線から約10メートル手前に至って停車し、バザートランプを点滅させて、エンジンをかけたままの状態で意識を失った。」と認定している(原判決26頁)ことについて、第1審被告村井らが確認した当時の亡幹郎の状態からすれば、亡幹郎が「単に眠っていたのではなく、身体に異常を来して相当重度の意識障害に陥っていた」ものと評価すべき事情はなく、「意識を失った」状態にあった者とは認められない旨と反論する。
 しかし、原判決も認定しているとおり、@本件車両は事故車両であることが一見して明らかであったこと、A幹郎は幹線道路の交差点右折専用車線上において停止線から約10メートルも手前の位置にハザードランプを点滅させた状態で本件車両を停車させ、助手席に頭を運転席に両足を各々載せるという極めて不自然な姿勢で横たわっていたこと、B車内には酒のようなかすかな臭気があったにすぎず、第1審被告村井ら自身も亡幹郎を泥酔者ではないと認識していたこと、C幹郎は第1審被告青地が何度も呼びかけながら膝をたたいたり肩を揺すったりしたうえ同村井が幹郎の両足を肩にかついだ状態でパンクした本件車両を移動させるなど相当の外部刺激を受けたにもかかわらず一度も目を覚ましたり言葉を発することもなかったことなどの事実を見れば、亡幹郎が「飲酒又は仕事の疲れ等から睡魔に襲われて寝込んでしまった」などと安易に判断することができないのは当然である。すなわち、一方で飲酒や疲労による単なる睡眠と判断すべき事情は全くなく、他方で交通事故によって意識不明となっている可能性が疑われるのであれば、負傷者等の救護義務を負う警察官としては、人命救助の観点から事故による意識不明の可能性を考慮して対応するのが当然である。たとえば、交通事故の現場で倒れている運転手に対し、警察官がいくら呼びかけても意識を回復して応答しないのであれば、警察官は運転手に目立った外傷がなくても「意識不明の重体」としてただちに病院に搬送する措置をとるであろう。
 第1審被告神奈川県らは、亡幹郎に外傷がなかったとか普通に呼吸していたとか、あるいは対光反射検査で異常がなかった等々縷々弁解しているが、第1審被告村井らは医師ではないのであるから、亡幹郎が意識を回復して「大丈夫だ」などと応答したのであればともかく、上記のような状況にもかかわらず、深夜の暗い現場でのごく簡易な観察のみで、飲酒または仕事による睡眠で救護不要と安易に判断して幹郎を放置したのはあまりに軽率であり、警察官としての救護義務違反の責任を免れるものでは断じてない。

3 「110番通報」について
 第1審被告神奈川県らは、原判決が、本件事案に関する通報の状況につき、現場付近を通りかかった平岩氏が「本件車両に事故の形跡があり、信号が青に変わっても動かないことを不審に思って110番通報した」と認定した(原判決26頁)について、たんに「交差点内にジープが止まっている」ことをその趣旨とする苦情の情報以上の意味はなかったと主張している。
 しかし平岩氏は、「ジープの様子を見て、トラックにぶつけて、トラックはそのまま行ってしまったが、ここに停止したままになっているのではないか」と思って警察に110番通報したと供述しており【甲23】、さらに第1審原告らに対しては、「自分の同僚も、ジープの横に停車した時、ジープの運転手が運転席で倒れていたので、降車してジープの中を見て、その後、信号が変わったので、走行中に車の中から警察に通報したと言っています。どちらの通報でパトカーが出動したのか分からないが、確実に二度の通報が警察に入っているはずです。」と話していたのであって【甲47】、駐車苦情案件として通報したのでなく事故案件として通報したのは明らかである。
 平岩氏が110番通報したのは本件車両が交差点内にハザードランプを点灯して停車するという極めて異常な状態にあり、一見して事故車両だとわかったからであって、それゆえ同氏は第1審被告村井らのパトカーが現場に来るまで立ち去らずに様子を見ていたのである。平岩氏の同僚が本件車両内に幹郎が倒れているのを見て110番通報したという上記の説明をみても、第1審被告神奈川県らの前掲反論は110番通報の趣旨を歪めるものと言うほかない。

第2 原判決による救護義務違反の認定について
 第1審被告神奈川県らは、原判決が同村井らの救護義務違反を認定した論旨についても反論を試みているが、いずれも不合理な弁解というほかないものばかりであり、負傷者等の救護義務を負う警察官としてその職務懈怠の責を第1審村井及び同青地は免れない。

1 救護の必要性の認識可能性について
 原判決は、@本件車両が、「事故車両であることが一見して明らかであったこと」、A亡幹郎が「運転中に眠気を感じて停車して寝てしまったにしては、停車状況及び幹郎の仰臥の姿勢が極めて不自然であったこと」、B村井巡査部長らは、「幹郎を泥酔者ではないと認識していたこと」、C亡幹郎が「相当の外部刺激を受けたにもかかわらず、一度も目を覚ましたり、言葉を発することもなかったこと」を指摘して、当時の亡幹郎は、「単に眠っていたのではなく、身体に異常を来して相当重度の意識障害に陥っていたことは客観的にみて明らかであったと認められる」と認定した上で、「このような状況の下では、村井らとしては、幹郎において、生命ないし身体に危害が及ぶ切迫した危険があり、自分では危害から身を守ることができずに応急の救護を必要としていたことを認識することが可能であったというべきである。」と判示した。
 これに対し、第1審被告神奈川県らは、上記@について、本件車両がいずれかの場所で「ガードレールか何かに接触したような事故」を起こしたものとは推認できたとしても本件車両の損傷の全てが推認された当該事故によって生じたものとは認められなかったとか、亡幹郎が事故により負傷したものとは認められなかったなどと反論している。しかし第1審被告神奈川県らは、他方、本件車両が事故を起こしたものと推認できたこと自体は認めており、かつ上記のとおり亡幹郎がいくら呼びかけたり揺すったりしても意識を回復しなかったことも明らかであるから、第1審被告神奈川県らのこの反論には全く説得力がない。
 また第1審被告神奈川県らは、上記Aについて、ハザードランプの点滅は単に自車が停止していることを示すために点滅されるものだとか、本件車両の停止位置が停止線の手前約10メートルであったとしても仮に本件車両が停止する際に他の車両がすでに停止線付近に停止していれば自ずとその後方に停止せざるを得ないからその停止位置をもって不自然であると考える理由はないとか、本件車両の運転席と助手席と座席シートが独立して離れていたとしても当該各座席シートの間には、人が横になることを妨げるような障害物は存在しないから亡幹郎が「横たわっていた」ことが取り立てて不自然であると評価できないといった、およそ合理的な主張とは認められないような強弁をするばかりであり、これはおよそ反論の体をなしていない。
 さらに第1審被告神奈川県らは、上記B及びCについて、「飲酒又は疲労によって睡魔に襲われて寝込んでしまった者が相当の外部刺激を受けても目を覚まさないことは少なくない」といった一般論で反論を試みているが、本件では交通事故による負傷が強く疑われる状況の下でいくら呼んでも揺すっても目を覚まさない(意識を回復しない)という事実があるのだから、「目を覚まさない」という点だけに限った一般論を挙げても無意味である。
 救護義務違反の認定は、原判決が行っているように、前提事実たる当時の状況を総合的に判断して認定すべきものであって、個々ばらばらに分断した事実からそれぞれ個別に救護義務違反を認定しうるかどうかという議論は明らかに誤った論法である。

2 「救護義務に違反した過失が認められる」との認定について
 原判決は、「村井らは、幹郎に対し、救急車を手配したり、自ら病院に搬送するなどの救護措置を採るべき義務を負っていたというべきであるから、村井らが、上記イの@ないしCの諸事情を認識しながら、単に幹郎は眠っているものと軽信し、何らの救護措置を採ることも、保土ヶ谷署や幹郎の自宅に幹郎の存在を報告することもなく幹郎を放置した行為は、個人の生命を保護する義務を負った警察官として、その義務を怠ったものといわざるを得ない。したがって、村井らには救護義務に違反した過失が認められる。」と判示したが(原判決30頁)、これに対し第1審被告神奈川県らは同村井らには救護の必要性が認識できなかったとして、同村井らが「幹郎に対し、救急車を手配したり、自ら病院に搬送するなどの救護措置を採るべき義務」までは負っていないと反論している。
 しかし、上記のとおり第1審被告村井らが亡幹郎の救護の必要性を認識できた、あるいは負傷者等の救護義務を有する警察官として救護の必要性を認識すべきであったことは明らかである。そして、救護義務の内容としては、幹郎は意識を回復して自力で病院等に行くことができる状況になかったのであるから、村井らが救急車を手配したり自ら病院に搬送するなどの救護措置をとるべきであったことは疑問の余地のないことであり、それ以外の救護措置は考えられない。
 したがって、村井らに救護義務違反の過失があるとした原判決の認定は全く妥当なものである。

第3 延命可能性侵害について
 第1審被告神奈川県らは、原判決が同村井らの「救護義務違反」と亡幹郎に係る「延命可能性の侵害」との間の因果関係を認めたことに対し、その前提事実を誤り、また、証拠に基づかない認定がなされていると反論している。
 第1審原告らは既に控訴理由書等で主張してきたとおり、「延命」可能性ではなく「救命」可能性があったと主張するものであるが、仮に救命可能性が認められないとしても、少なくとも原判決認定のとおり延命可能性の侵害は認められると考えるので、以下、第1審被告神奈川県の主張について反論する。

1 前提事実について
 前提事実については、上記のとおり、亡幹郎が交通事故によって身体に異常を来して相当重度の意識障害に陥っていた可能性があり、かつ救護の必要性があったことを第1審被告村井らは容易に認識することができたのであるから、「生命に危険のある状態であった」とは認められないとする第1審被告神奈川県らの反論は失当である。
2 延命可能性侵害についての判例法理について
(1)最高裁判例の本件への適用
 次に、原判決は、「医師が過失により医療水準にかなった医療を行わなかったことと患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される場合には、医師は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解される(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)。」との最高裁判例を引用して、「本件は、警察官が一般市民を過失により救護せず、一般市民が死亡した場合である。」、「このような生命の維持が問題となる緊急の場合には、上記の判例の趣旨に照らし、幹郎の延命可能性を法的に保護すべき利益ととらえることができるものと解すべきである。」とした上で、「仮に幹郎が直ちに病院に搬送され、病状に即した適切な治療を受けていれば、相応の治療効果が得られ、幹郎の死期を遅らせることができた可能性を否定できないものと認められる。」「そうすると、村井らが適切な救護措置を採っていれば、幹郎がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったと認めるのが相当である。」と認定し、「村井らは、救護義務違反によって、幹郎の延命可能性を侵害したことについて過失による不法行為責任を負うというべきである。」と判示した(原判決31頁〜33頁)。しかるに、これに対し、第1審被告神奈川県らは、最高裁の上記判例は一定程度の延命治療が可能であることが医学的知見として証拠上も認定できる事例であり、本件においては警察官が注意義務を尽くして何らかの行為を行っていたならば亡幹郎がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されたとはいえない旨反論する。
 しかし、最高裁の上記判例は、適切な医療水準による医療を受ける機会を喪失したことによる損害について、原判決の言うように、「たとい医師の過失と患者の死亡との間の因果関係が証明されない場合においてもその患者の生存について相当程度の可能性が証明されたときは、これを被侵害利益として、過失のあった医師に対し不法行為上の損害賠償責任を認めた」ものと考えられる。この判例法理は、確かに通常は医療過誤訴訟において、患者に対し診療契約上の注意義務を負う医師の責任として問題になるものであるが、本件のように負傷者の救護義務を負う警察官についても、警察官が負傷者に対し救急車を手配したり自ら病院に搬送するなどの救護措置を怠り適切な医療を受ける機会を喪失させた場合には、同様に当てはまるものというべきである。
 この点、原判決は、警察官は専門的職業人として市民の安全を保護するために警職法上保護義務が定められ、市民の生命維持のために最善を尽くすことが期待されていること、本件については、第1審被告村井らは110 番通報によりパトカーで急行し現場に臨場したこと、同村井らに発見された幹郎は生命に危険のある状態であったところその生命の維持は同村井らの救護に全面的に依存していたこと、同村井らが119 番通報をしまたはパトカーで幹郎を最寄りの病院へ搬送することが困難であるとするような特別な事情もなかったことを挙げて、「このような生命の維持が問題となる緊急の場合には、上記の判例の趣旨に照らし、幹郎の延命可能性を法的に保護すべき利益ととらえることができるものと解すべきである」と判断したが、この判旨はごくごく当然と言えるものである。
(2)延命可能性の立証について
 次に、延命可能性の立証については、医療過誤訴訟においては当該医療機関と搬送先医療機関との間の比較で医療水準の差による延命可能性とが問題となるのに対し、本件ではそもそも全く医療を受けずに放置される状態と適切な医療機関に搬送されて医療を受ける状態とが比較されるのであるから、延命可能性が肯定される蓋然性は極めて高く、その立証の必要性の程度は低くなるというべきであろう。
 なお、上記最高裁判例を引用している同種事件の判決である最高裁平成17年12月8日第一小法廷判決(判時1923号26頁)において島田仁郎裁判官は、「検査、治療が現在の医療水準に照らしてあまりにも不適切不十分なものであった場合には、仮にそれにより生命身体の侵害という結果は発生しなかったとしても、あるいは結果は発生したが因果関係が立証されなかったとしても、適切十分な検査、治療を受けること自体に対する患者の利益が侵害されたことを理由として損害賠償責任を認めるべき場合がある」との補足意見を書いているが、本件のような負傷者を放置して適切な医療の機会を喪失させた事案は、まさにこの補足意見が指摘する「適切十分な検査、治療を受けること自体に対する患者の利益が侵害されたことを理由として損害賠償責任を認めるべき場合にあたると考えられる。
(3)本件における延命可能性について
 本件における幹郎の延命可能性については、百歩譲って仮に幹郎の死因が心筋梗塞であったとしても、「近年の冠再潅流療法をはじめとする治療法の進歩により、CCUなどの専門施設における急性心筋梗塞の院内死亡率は5−10%になった」(『今日の診療』【甲87】)とされており、第1審被告村井らが幹郎を発見した時点においては同人はまだ生存していたであるから、第1審被告村井らが幹郎を適切な医療機関に搬送していれば死亡時においてもなお生存していた相当程度の可能性があったことは明らかである。すなわち、事件当日、第1審被告村井らが現場に到着したのは19日午前0時28分ころであるが、これに対し、亡幹郎の死亡推定時刻については、同日午前11時22分に死亡確認をした横浜市民病院の小島医師(仮称)によれば、同時点で「死後少なくとも5,6時間経過している」【甲7】とされるから午前6時ころであり、また第1審被告伊藤の鑑定書の記述によっても、同日午後7時40分現在で「大凡そ17時間位経過している」【甲15】とされるから午前2時40分ころである。したがって、第1審被告村井らが亡幹郎を発見した後速やかに同人を適切な医療機関に搬送していれば、同人は十分に生存した状態で専門医療機関での治療を受けることができたはずであり、その場合には「院内死亡率は5−10%」という上記の治療実績からすると救命可能性も肯定されるべきであるが、仮に救命可能性が立証できないとしても延命可能性が肯定されることは明らかである。
 この点、原判決は、幹郎は大病を患ったことのない健康な54才の男性であったと認められること、対光反射実験に対して瞳孔収縮反射を示したこと、第1審被告村井らが三ッ沢上町交差点を離れてから2時間程度はなお生存していたこと、その間、幹郎は本件車両内に放置されたままであり死亡するまで一切の治療行為を受けていないことを挙げたうえ、「仮に幹郎が直ちに病院に搬送され、病状に即した適切な治療を受けていれば、相応の治療効果が得られ、幹郎の死期を遅らせることができた可能性を否定できないものと認められる」としており、救命可能性を否定した点を除けば妥当な認定といえる。
 なお、第1審原告らは原審における最終準備書面の第4章第2で述べたとおり、亡幹郎の死因については急性硬膜外血腫または急性硬膜下血腫であった可能性がより高いと主張するものであるが、この場合には開頭手術により血腫を除去さえすれば後遺症も少なく予後良好とされるから【甲64】、延命可能性はもちろん救命可能性も当然肯定されるべきである。

第4 結論
 以上のとおり、第1審村井らの救護義務違反にかかる原判決の判旨に対する第1審被告神奈川県らの控訴理由は失当である。 以上


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