司法解剖をめぐる検証
原告は、司法解剖はなかったと主張し、被告(県警・監察医)側はあったと主張している。

現行の民事裁判制度では、原告側に相手の非を立証する責任があるため、司法解剖がなかったことを証明することは、非常な困難が伴う。従って、本来は、司法解剖が実際に行われたのであれば、 それに付随する多量の情報・証拠物を持っているはずの警察・監察医(正しくは司法解剖担当医)の側から「こういうものがありますから、確かに司法解剖はありました。死因はこうです」という、 親切で詳しい説明があってしかるべきではないかと筆者は考える。

しかしながら、県警・監察医は一貫して、資料開示に消極的な姿勢を示し、事件の直接の関係者が証言台に立つことに反対するなど、あらゆる機会を捉えて原告が行う立証行為に抵抗し、あるいは難くせをつけ、あるいは矛盾する説明を平気で繰り返してきた。 筆者は、この裁判の過程を通じて、警察と司法解剖制度に対する信頼を全く失ってしまった。

これまで、裁判の過程で提出されてきた資料をもとに、筆者自身の体験を加えつつ、司法解剖をめぐる問題点をまとめる。

司法解剖をめぐる検証

目  次

1.DNAをめぐる発言の変遷
2.臓器保管状況の矛盾と不自然
3.司法解剖時の状況説明に係る矛盾・変遷・不自然
3.1 解剖の記録・メモ
3.2 心臓切開の状況
3.3 フロントガラスのひび割れを含むジープ損傷状況の説明
3.4 遺体の解剖室への搬入時間
3.5 解剖写真の不存在
3.6 頭腔開検の不存在
4. なぜ司法解剖なのか
参考:心臓各部の名称


1.DNA鑑定をめぐる発言の変遷

「久保氏のものに間違いない」から「他人の臓器と取り違えたかもしれない」まで


民事裁判以前のこと

DNA鑑定までの道のりは長かった。筆者が原告から最初に「臓器の提供を受け、DNA鑑定にかけることを希望している」と伺ったのは、まだ民事裁判が始まっていない、平成11年の暮れ(管理人注:最前、9月と表記していましたが、11月もしくは12月の誤りでした)のことである。

民事裁判が始まる前の平成12年7月10日、東京地裁633号法廷で、原告と伊藤医師の間に、次のやりとりがあった。

    解剖に関する資料についてお尋ねしますが、保存されている心臓は開示してくれると、かつて私に言われたことがありましたね。
    あります。
    それは今でも開示してくれるのですか。
    その当時とその後のいろいろな状況から、ちゅうちょしています。今はすべて捜査当局に伝えてありますので、捜査当局から聞いていただきたいと思います。
【東京地裁633号法廷・伊藤医師証人尋問反訳書】

民事裁判の開始は、この2ヵ月後のことであるから、裁判開始から臓器提出まで半年が掛かっている。

平成13年2月の原告側「意見書」のP3には次のような文言があり、原告側が置かれていた当時の様子を伺い知ることができる。

    「われわれは、なお伊藤医師がホルマリン固定臓器を最終的に提出しないのではないか、との心配に苦しめられている。われわれとしては、民事訴訟法の検証物の不提出の効果(法232条1項で準用される法224条)を本件におよぼすことを率直に要望する。」

臓器が裁判所に提出されてからの状況は、下記の表を参照されたい。

年 号 日 付 内 容
平成13年
(2001)
 4月 6日 ■臓器・プレパラートの提出。
    久保氏の遺体から取り出したとされるホルマリン固定臓器と、それから作成したというプレパラートが裁判所に提出される。 押田教授、プレパラートを作る前段階と作成されているブロック標本の提出を被告に求める。(来歴の提出も求めたが、現在なお提出されていない。)
 5月21日 ■被告側、ブロック標本の提出を拒否。
    「心筋梗塞か否かについては、ホルマリン固定された本件心臓を観察することによって専門家であれば容易に判断が可能であるとの事である。従って、現在鑑定人に引き渡してある資料以上に本件鑑定に必要な資料はないのであって、ブロック標本をこれに加える必要性は全く存しないと考える。」

■被告側、19個目のブロックを示唆。

 8月31日 ■ブロック標本の提出。
    裁判所の指示により、被告側、ブロック標本18個を提出 (19個目は提出せず)。
平成14年
(2002)
 4月 8日 ■DNA中間報告書の提出。
    押田DNA鑑定人、ブロック標本による親子鑑定から久保氏とは別人のものであると報告。
 4月16日 ■被告側、他人の臓器混在を示唆。
 5月10日 ■鑑定人忌避
 6月29日 ■被告側、提出臓器が久保氏のものであることの「念書」を提出。
    「鑑定人忌避」を裁判所が却下。押田鑑定人による正式鑑定の実施が決定された。

    正式鑑定に先立ち、裁判所は提出臓器が久保氏のものであるとの確認を被告伊藤医師に求め、被告伊藤医師から、次の陳述がなされた。

    「"平成13年4月6日に提出したホルマリン固定された臓器一式は,平成9年7月19日午後7時40分から同8時40分ころにかけて亡久保幹郎殿の遺体を解剖した際,同人の遺体より摘出した臓器であることに相違ありません。」

    【平成14年6月29日付の陳述書・(乙B3)】
平成15年
(2003)
 3月31日 ■押田正式鑑定
    押田鑑定人、正式鑑定のなかで、ブロック標本・ホルマリン固定臓器(心臓・肝臓)とも他人のものと判定。
 4月25日 ■被告伊藤医師による反論。
    被告側、親子鑑定を突如否定、本人鑑定(亡久保氏の遺髪・衣服に付着した皮膚等との間での鑑定)を要求。
 6月 2日 ■被告県県警による反論。
    県警、押田鑑定が採用したポリマーカー法のうち、基準となるCドットの発色がないとして押田鑑定を杜撰と指弾。
12月 1日 ■押田鑑定人尋問。
    押田鑑定人、Cドットが発色している現像写真を裁判所に提出。県警が主張していた「Cドットの発色がない」理由が、印画とカラーコピーの過程で発色が薄れていただけと判明。
平成16年
(2004)
 3月25日 ■地検DNA鑑定
    地検によるDNA鑑定結果が出る。地検から鑑定を委嘱されたN大学の仏田八郎教授(仮称)は、裁判所提出臓器は久保氏とは別人、性別は女性、血液型も異なると結論。
 4月21日 ■被告側、独自に鑑定を実施
    被告側、19個目のブロック標本とホルマリン固定臓器から切り出した切片を独自の鑑定に出す(受託者:ティーエスエル社)。
 4月27日 ■地検事情聴取
    被告伊藤医師、地検による事情聴取に際し、「保管中に誤って他人の臓器片と取り違えたかもしれない」「ホルマリンによる劣化でDNA鑑定に誤りが出た可能性がある」と話す。
    (時事通信社)←クリック
12月17日 ■被告伊藤医師本人尋問
    被告伊藤医師、裁判所に提出した臓器は「久保氏のものと確信している」と話す。他人のものと混ざった可能性は否定。
平成17年
(2005)
 4月 5日 ■ティーエスエル社鑑定
    被告側が独自にティーエスエル社に委嘱して行ったDNA鑑定が出る。同社は、性別・DNA型とも再現性がなく、鑑定が不能であったとの回答書を監察医に提出。
12月16日 ■結審・最終弁論

上記の表から、被告伊藤医師側の姿勢として、下記の特徴を読み取ることができる。

  1. 身の潔白を証明するためなら、DNA鑑定の対象物がブロック標本であっても、ホルマリン固定臓器であっても、構わないはずなのに、ブロック標本へのDNA鑑定に反対し、ホルマリン固定臓器(ホルマリンの化学作用によって、鑑定がより困難な試料)への鑑定を主張していること。

    伊藤監察医、平成11年9月14日、東京医科大学医学部工藤玄恵教授に委嘱してプレパラート標本を作成。

    ◎久保幹郎氏に由来しない臓器から作成されたプレパラート標本の箱に 「久保幹郎54歳」のラベルが貼られていることに注意。

  2. 地検鑑定以前は、「まさしく亡久保のもの」「亡久保のDNA型が出ないのは、押田鑑定人が公正ではないから」としてきたにも係わらず、地検鑑定が出てからは「他人の臓器と取り違えた可能性」を言い出していること。

    裁判所提出臓器

    間違って他人の臓器を
    裁判所に出してしまった?
    DNA鑑定で別人と判定。
    では誰の臓器か?
    久保氏の臓器が他にあるのか?

    「万が一、地検鑑定が正しくて、被告伊藤の提出した臓器が仮に亡久保幹郎のものでなかったとすれば、 それは被告伊藤が解剖をしていなかったということではなく、被告伊藤が亡久保の臓器と確信していたもの が何らかの手違いで他人の臓器を提出してしまった(そのようなことは無いと被告伊藤は確信しているが) という他はない。」

  3. 「他人のものと取り違えたかもしれない」保管ミスを疑いながら、裁判という正確性が求められる場に、 保管ミスを訂正するアクションをしていないこと。あるいは保管ミスではないという断定もしてないこと。(地検鑑定で最初に「他人の臓器との取り違え」を疑ってから既に1年半を経ている。)
なお、解剖立会報告書に添付された2番写真と、押田DNA鑑定書に添付された心臓の写真は、著しく異なっている。前者が3つ以上に切り離された心臓であるのに対し、後者は切り離されていない心臓一塊である。切り離された心臓が、一塊のものになることは有り得ない。

解剖立会報告書添付2番写真 DNA鑑定書添付写真

ちなみに、解剖立会報告書2番写真についての伊藤医師証人尋問における質疑応答は、次のようなものであった。

    (原告側弁護士)これは、下でつながっているわけではなくて、ばらばらと3つ置いてあるんですか。
    そうです。
    今、切り離したのは、このトレーの上で切り離したんですか。
    もちろんそうです。
    今のは、手に乗せて切り離したんじゃないですね。
    手、怪我しちゃいます。

上図で明らかなように、解剖立会報告書に添付された心臓と、裁判所に提出された心臓は、別々のものである。


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