臓器保管状況の矛盾と不自然


臓器の保管状況は、説明が二転三転し、明確な矛盾もみられる。本節では、それらについて整理する。

1.まず、伊藤医師証人尋問以前の書証から、関係する部分を抜書きする。

剖検時に摘出した臓器片の固定は、10%ホルマリン溶液を使用するが血液等で汚れるので1〜2日で一旦交換した。その後数ヶ月以内に、プレパラート作成の際に臓器片を水洗いして切り出し、残存臓器片は新しい10%ホルマリン溶液内に入れて保存した。
臓器摘出当初は500cc位の広口プラスチック容器(当職は視認した際ガラス容器と思っていたが、確認した所、プラスチック容器であったとのことである)に入れホルマリン固定していたが、今回、検証のため裁判所提出に際して、平成13年3月中旬頃、現在の容器に移し変えたものである。その際、ホルマリン溶液は交換しておらず、そのまゝそっくり溶液ごと臓器片を移し替えている。
平成13年4月20日付回答書においては数ヶ月と記載したが改めて調査したところ、平成10年9月1日、伊藤医師に対する原告らよりの虚偽検案書作成罪での告訴がなされたということから、念のため本件標本を作成したものと記憶している。従って、敢えて推認すれば、時期もその頃と思われる。
平成13年4月21日(註・20日の誤記、ママ)付回答書記載の「500cc位の広口プラスチック容器」は、改めて調査したところ、「3000cc位」の誤記である。当該プラスチック容器は、廃棄し現在は保存していない。
これらの臓器は剖検終了後,間もなく10%ホルマリン溶液につけてラベルを貼付した厚手のビニール袋に入れて保存した。 平成11年9月ころ,プレパラートの標本を作製する前後にビニール袋から3000cc位のシリンダー状プラスチック容器に溶液ごと移し替えて保存を継続した。 平成13年4月6日の裁判所への提出に際して,口径18cm,高さ12cmくらいの容器に溶液ごとそっくり移し替えた。
【平成14年6月29日付伊藤医師陳述書・乙B3号証】
当初は厚手のビニール袋でホルマリン固定して保存した。その後、平成12年(2000年)3月頃と記憶するが、円筒状の広口プラスチック瓶(容量は3,000cc位)にそのまま移し替えて保管を継続し、平成14年(2002年)4月6日に貴裁判所に当該臓器を提出するに際して、当日に現在の容器にそのまま移し替えて提出した。
東京医科大学医学部第2病理学教室の工藤玄恵教授に、平成11年(1999年)9月14日頃にプレパラート標本の作製を依頼した。工藤教授に作成を依頼した理由は、私の研究室ではプレパラート標本の作製の設備がなく、以前は、東邦大学医学部法医学教室を利用していたが、定年退職(平成8年4月)後は、同大学の研究室の施設を利用出来なかったため。
平成11年(1999年)12月22日頃と記憶するが、工藤教授からホルマリン固定された臓器の返還を受け、従前からの厚手のビニール袋に入れたままポリバケツに入れ私の解剖室内で保存した。

ここまでで、いったん整理すると、説明が次のように変っている。

    臓器摘出当初の保管容器:
    「広口プラスチック容器」と説明されていたものが、「厚手のビニール袋」になった。

    使用したホルマリン溶液の量:
    当初は500ccと説明されていたものが、途中で3000ccとなった。(牛乳パック半分の量から、2升弱の量に変った。)

    プレパラート作成のための臓器片水洗いの時期:
    当初は解剖から数ヶ月と説明されていたものが、途中、事件から14ヶ月後の平成11年9月14日頃となった。

    また、次の矛盾点がある。
    平成13年4月6日の裁判所への臓器提出に際して、 「広口プラスチック瓶」からビニール製タッパー様の容器に臓器を移し替えた時期が、 「鑑定人の質問に対する回答書」では、前月の3月中旬となっているが、「乙B14号証」では、臓器提出の当日となっている。

善意に解釈をすれば、これらの説明の食い違いは、被告側弁護士と伊藤医師との間で意思疎通を欠いていたため 生じた不整合性という解釈ができるかもしれない。 しかしながら、原告と筆者が考えているように司法解剖がなかったという事情に立てば、 虚構の上に生じた不整合性ということもできる。 いずれの立場に立つにせよ、裁判の全体を通じ、このような臓器の保管状況について詳しく一貫した説明がないことに、原告側が翻弄されてきたことは否めない。

2.次に、伊藤医師本人への証人尋問における質疑から、やや広く抜書きしてみる。

    (被告側弁護士)平成9年までに、先生は、行政解剖、司法解剖も含めて、解剖事例は相当数ございましたよね。
    はい。
    陳述書の中にも書いてございますが、その都度、大体、臓器については、摘出したり保存したりなさってるわけですか。
    そのとおりです。
    全部といってよろしいんですか。
    はい。
    これらの臓器は、どこで、何に入れて保管しておったんですか。
    私は、解剖が終わりますと、容器というのはもう、がさが大きくなりますから、近ごろではビニール袋がありますんで、厚手のビニール袋に入れて、そして10%のホルマリンに固定し、解剖室の隅の流し台の下に収納させる部分がありますんで、そこに置いて保存します。
    それは、ずっとそこに置いておくわけでしょうか。
    そこに置いておきますと、ずっと置いておくというか、何例も重なりますと、それは置くところがなくなりますから、ある程度たまりますと、木箱を作ってもらいまして、その木箱に入れて、そして東邦大学の標本倉庫に持っていって、保存させてもらいました。
    【被告伊藤医師本人調書P14〜15】

    (原告ら代理人) 先生がこの裁判所に出した臓器というのは、久保幹郎さんのもので間違いないということで、それは確認してよろしいですか。
    ですから、私は確信しているからこそ提出したのであって、間違いないと、今でも確信しております。
    保管方法ですけれども、ビニール袋に入れて、先生の研究所の流し台の下に入れてたと、ある程度たまったら東邦大学医学部に移すと、それは間違いないですね。
    間違いないです。
    先生の研究所のビニール袋というのは、当然、人ごとに一つの袋ということなんですよね。
    そうです。1件で入らない場合もありますから、2袋も3袋にもなる場合もあります。
    2人以上の臓器を1つの袋に入れるということはないですね。
    ないです。
    臓器をビニール袋に入れて、先生は、とめ方はどうやって保管するんですか。
    袋の口元を閉じます。
    特定はどうするんですか。
    シールを張ります。
    その遺体の名前を書くということですか。
    そうです。
    日付も書くと。
    日付と取扱い警察署、氏名、年齢、それから、できれば死因も書きます。
    ある程度まとまったら、今度は東邦大学に移すわけですね。
    そうです。
    いつ、どんな臓器、どの臓器を送ったかというのは、台帳みたいなのはつけるんですか。
    つけません。
    先生は、つけないんですか。
    つけないです。
    いつ、だれのを送ったかというのは、忘れちゃうんじゃないですか。
    送ったことは覚えていますから。
    【被告伊藤医師本人調書P64〜65】

    (原告ら代理人)先生は、平成9年7月19日に久保さんのご遺体を解剖されたとおっしゃってるんですが、その臓器を、厚手のビニール袋に入れて保管されたというふうにおっしゃってますね。
    はい。
    厚手のビニール袋に入れたのは、いつですか。
    解剖が終わった直後です。
    それで、ビニール袋を閉じられたということですね。
    はい。
    ラベルを張ったのは、いつですか。
    そのときです。
    解剖が終わった直後にラベルを張られた。
    ビニール袋に入れて、ご承知のように10%のホルマリンをつぎ足して、いわば固定という言葉を使いますけれども、そして口元を閉じて、ラベルを張りました。
    そのラベルには、どんなことを書かれましたか?
    先ほど申し上げたとおりでございます。
    ご氏名、それから年齢。
    取扱年月日、取扱警察署、氏名、年齢です。
    などを書かれた。
    はい。それには死因も書きます。
    先ほど、東邦大学のほうに、木箱を入れて預けられた時期があるというふうにおっしゃってましたよね。
    はい。
    それは、厚手のビニール袋をそのまま木箱に入れて、預かっていただいたということですか。
    さらに、大きなごみの回収の袋をご存知だと思うんですけど、その中に、厚手のビニール袋が壊れない程度に、積み重ねますと破ける場合があります。そういうことに気をつけて、そして大きなビニール袋に入れて、あるいは木箱の中に水が漏れないような内張りをして、その中にいれると。
    もともと厚手のビニール袋に入っているものを、さらにごみ回収用の袋などに入れて包んで、そういった状態のもの5つから10個を、木箱の内側にさらにビニールなどを敷いて、保管していただいたということですね。
    そういうことです。
    東邦大学から返していただきましたね。
    はい。
    そのときも、同じ厚手のビニール袋に、久保さんの氏名や、それから取扱警察署、死亡年月日などのシールを張ったものを返していただいたということですか。
    返していただいたとか、預かってもらったという表現は、私も平成8年まで現役でおりましたんで、その施設を利用することは自由なんでございまして、そして、久保さんのビニール袋だけを見つけて持ってきて、大事に保管していたと。
    先生ご自身で東邦大学に行かれて、木箱を開けて、久保さんのラベルを見て、その厚手のビニール袋だけを持って帰ったということでしょうか。
    そのときはです。
    プレパラート標本を作るために、先生は、東京医大のほうに久保さんの臓器を預けましたよね。
    はい。
    預けたとき、先ほどからお聞きしている、厚手のビニール袋に久保さんのラベルを張ったものを預けたんですか。
    違います。
    どうされましたか。
    容器に移し替えまして、その容器ごと紙袋に入れて持っていきました。
    東京医大に預けるどのくらい前に、容器に移し替えたんでしょうか。
    持って行くときだと思います。ちょっと記憶が薄れていますんで、はっきりとしては言えませんけれども、とにかく間違いのないように持っていったと。
    間違いのないように、特に気をつけて持っていかれたと。移し替えたのは、持っていかれた当日であるという。
    持っていくときだと思います。
    (被告伊藤代理人弁護士) 今の質問に続いて、解剖して間もなく厚手のビニール袋に入れて、ラベルを貼付したというふうなことをおっしゃってますね。
    はい。
    そのまま保存し、それから東邦大学のほうにもっていくという形になりましたか。
    だとも思いますし、入れ替えたか、それちょっと記憶が。
    先生は、ほかのところの陳述書か何かで、ホルマリン溶液が血液等で汚れるので、回数は覚えてないが、何回か替えたことがあるというふうにおっしゃってますよね。そういうことをされたんじゃないですか。
    してます。
    先生は、その近辺、同じような心筋梗塞案で解剖して、臓器を摘出した、保存したというケースはありましたか。
    その近辺ではございませんけれども、前年度に1つだけございます。
    平成8年にあった。
    はい。
    それは、女性のものですか。
    はい。
    【被告伊藤医師本人調書P76〜78】

3.以上を整理すると、臓器の保管状況は、次のような流れになる。


 

@解剖して臓器を取り出した。(平成9年7月19日) Aビニール袋に入れ口元を閉じラベルを貼った。 B幾つか木箱にたまった。
D久保氏の臓器を自分で確認して持ってきた。 C東邦大学で保存。

Eビニール袋から3000cc位のシリンダー状プラスチック容器に開けた。 F紙袋に入れた。 G東京医科大学の工藤教授に預けた。(平成11年9月14日)
I従前からの厚手のビニール袋に入れたまま、ポリバケツに入れて保存。
(平成11年12月22日)
H臓器の返還を受け、
J平成12年1月14日、地検の係官が横浜犯罪研究所で「久保氏臓器」を撮影。【甲41の1】
ラベルに「9/7/19保土ヶ谷久保幹郎54才」の文字が見える。 K平成12年3月頃、容量3000cc位の広口プラスチック瓶に移し替えた。

Lビニール容器への移し替え(提出の「前月」と「当日」の2つの説明あり)。

N別人のものと判明。 M裁判所への臓器提出
(平成13年4月6日)

P別人のものと判明。 O心臓と肝臓のブロック標本も
ただし、ホルマリン固定心臓とブロック標本は同一人物に由来するものと判定。

 

4.上記の流れから、次のような状況を推知することが可能と思われる。

◎臓器の保管状況―整理◎

1.H〜Mの間での臓器取り違えは有り得ない。
DNA鑑定の結果、ブロック標本とホルマリン固定心臓とは、同一人物に由来することが判明している (地検鑑定第5章「説明」の項参照)。もしも、東京医科大〜横浜地裁の間で臓器の取り違えがあれば、ブロック標本とホルマリン固定心臓とは、別々の人物から由来しなければならない。

仮に、Hでプレパラート67枚が入れられた紙箱に「平成9年7月19日久保幹郎54歳」とラベルが張ってあることをもって、このプレパラートに由来する久保氏のものとされている臓器を「K臓器」と定義する。

その場合、Mの裁判所提出までに別人の臓器(「B臓器」という)に取り違えられていたとすれば、NPでホルマリン固定心臓とブロック標本から、それぞれ同一人物に由来するDNA型が検出されることは有り得ない。人物Kに由来するKブロックに対し、人物Bに由来する「B臓器」のDNA型が検出され、ブロックと臓器は別々の人物に由来するという型判定が行われたはずである。

2.A〜Gの間の臓器取り違えも否定されている。
このことを、東京医科大によるブロック・プレパラート作成以前に遡って検討する。

仮にH以前に「B臓器」への取り違えがあって、「平成9年7月19日久保幹郎54歳」と銘うった「K臓器」に由来するプレパラートが作成されたのであれば、その事自体、大きな問題であるが、その可能性は、伊藤医師の証人尋問で否定されている。 すなわち、伊藤医師自身が東邦医大へ赴き、 「久保さんのラベルを見て、その厚手のビニール袋だけを持って帰った」のであり、 東京医大に持参する際に別の容器に移し替え、「とにかく間違いのないように持っていった」のである。よって、AとJは、同じ「K臓器」でなければならない。

3.また新たな容器の説明か?
Aの状態のままJの状態に至り、地検による写真撮影がされているとすれば、ブロック・プレパラート作成のため別容器に移し替えたという話が有り得なくなる。よって、Aの状態ののち、ビニール袋を一度開いて、「シリンダー状プラスチック製容器」に移し、それをなぜか再びビニール袋に移し替え、裁判所提出までに再度「広口プラスチック瓶」に移し、そしてまたビニール製タッパー様容器に取り替えている。 これをAから整理すれば、ビニール袋→プラスチック製容器→ビニール袋→ プラスチック製容器→ビニール製タッパーという4回変更の目まぐるしさであるが、 このような容器の変遷は、これまでの説明とは異なっている。

4.ニセ臓器の出所は東京医科大か?
伊藤医師の証言が真であれば、ニセ臓器の出所は東京医科大学しか選択肢がない。 東京医科大学が、まさしく久保氏のものという臓器を受け取り、そこからプレパラートを作成したのなら、伊藤医師の証言が怪しくなる。 (プレパラートの箱に貼られている「久保幹郎54歳」のラベルは、伊藤医師の側で貼ったのか、東京医科大学で貼ったのかは不明。)

臓器の保管状況につき、原告側弁護士は、最終準備書面のなかで、次のように述べている。

「先の陳述書【乙B3】では,厚手のビニール袋からシリンダーに移し替えた時期が,「平成11年9月頃と記憶するが,これらの臓器からプレパラート標本を作製したが,この前後」とされていたが,この陳述書【乙B14】では,その時期が「平成12年3月頃と記憶するが」となっており,東京医科大学から返還を受けた後もしばらくは厚手のビニール袋に入れて保管されていたことになっている。 被告伊藤の供述が変遷した理由は,写真【甲41の1】が提出され,平成12年1月14日に検察事務官が,横浜犯罪科学研究所で,「久保幹郎」のラベルが貼られた臓器入りのビニール袋を撮影していることが明らかにされたため,先の陳述書【乙B3】記載の時期ではあからさまにこれと矛盾するためであろう。しかし変遷後の陳述書【乙B14】では,なぜシリンダー状容器に移し替えたのか,そのきっかけや理由がわからなくなっている。」 (原告側準備書面第5章第1−6項参照)
このように、臓器の保存状況については、首尾一貫した説明が裁判の当初から行われていない。「容器ぐらいでなぜ・・・」と司法解剖に携わっている専門家ならずとも、誰しも思うのではないか。


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