控訴審第2準備書面 DNA型・血液型・性別

控訴審第1準備書面・地裁判決への全体的反論


平成18年(ネ)第2861号 損害賠償請求控訴事件
第1審原告  久 保 佐紀子  外3名
第1審被告   神奈川県    外4名
 

準  備  書  面 (控訴審第1)

 

2006年9月25日

東京高等裁判所第4民事部 御 中

第1審原告ら訴訟代理人
弁護士   大野 裕    
同    中西一裕    
同    今村 核

 

第1 はじめに

1 
本件事件は,深夜,交通量の極めて多い交差点の手前にてハザードランプを点滅させて停止していたジープ内で救助を 求めていた久保幹郎(以下,「幹郎」)を,110番通報を受けて出動した保土ヶ谷警察署の警察官である第1審被告村井学, 同青地隆宏(以下,「村井」・「青地」)が,同ジープには交通事故に遇ったことを伺わせる明白な痕跡があり,かつ幹郎が 意識不明の状態であることを現認したにもかかわらず同人をそのまま放置したこと(請求1)及び幹郎が死体となって翌朝 発見された後に同警察署の警察官第1審被告齋藤清(以下,「齋藤」)らが監察医である第1審被告伊藤順通(以下,「伊藤」) を巻き込み,真実は幹郎の解剖を行っていないにもかかわらず「解剖:有,死因:心筋梗塞」と死体検案書等に虚偽の記載した こと(請求2)について,警察官ら及び監察医の責任が問われている重大事件である。
 
本件事件について幹郎の遺族である第1審原告らが保土ヶ谷警察署の一連の対応に疑問を抱き,その責任を追及するきっかけ となったのは,第1審原告ら自身の調査によって警察への通報者(平岩三郎・仮称)の存在がたまたま明らかになり,幹郎の死体発見の 前夜(1997年[平成9年]7月19日の未明)に警察官が出動していた事実が判明したことである(この経過の詳細について は,原審における原告ら最終準備書面の第2章[3頁以下]に詳述したので,是非とも再読願いたい。)。平岩三郎の証言がなく, よってパトカー出動の事実を知らなければ,第1審原告らが保土ヶ谷警察署の対応に不信を抱くこともなく,幹郎は単なる 「変死者」との処理で終結していたであろう。保土ヶ谷警察署は第1審原告らから指摘されるまで,110番通報によるパトカー の出動の事実について黙し続け,幹郎を救護せずに放置し死亡に至らしめたその責任を隠蔽しようとしていたのである。そして 第1審原告らが不信の目でもって再度事件を振り返ったとき,幹郎の遺体には解剖した形跡がなかったにもかかわらず,「解剖有」 と死体検案書等に記載され,かつ死因が事故死でないものとして処理されていることに気づいたのである。
これに対し,原判決は,上記請求1については村井・青地の救護義務違反を認めたものの,幹郎死亡との間の因果関係について は伊藤の「解剖」を根拠に否定した。また請求2については,捜査記録が存在すること及び齋藤ら担当警察官と監察医伊藤の各供述 を根拠に,伊藤による解剖の事実を認定し第1審原告らの請求を棄却した。
 確かに,司法解剖が実際にはなされていないにもかかわらず,監察医と警察官が共謀のうえ解剖を行った旨を記した虚偽の捜査 記録を作出するなどということは法治国家において考え難いと思われるかも知れない。恐らく原判決はそのような先入観(予断) をもって齋藤ら保土ヶ谷警察署の署員作成の捜査記録やその供述を軽信したのであろう。しかしながら,ごく普通の市民である 第1審原告らが警察権力を相手にあえて本件訴訟を提起したのは,何よりも第1審原告ら自身が,事件当夜に幹郎の遺体に解剖の 形跡が全くなかった事実を現認して明晰判明な確信を抱き,解剖不存在の事実は伊藤が保管していると主張する幹郎の臓器のDNA 鑑定によって立証可能と考えたからにほかならない。そして,実際にDNA鑑定の結果,斯界の最高権威といえる2人の法医学者 (押田と本田)が,伊藤が提出した臓器は真実は幹郎のものではないと明確に断じたのである。本件事件がマスコミで注目された のも,このDNA鑑定の衝撃によるところが大きい。
 にもかかわらず原判決は,第1審原告ら準備書面(控訴審第2)にて詳しく述べるとおり,この2つのDNA鑑定の証拠価値 を不当に軽視し,DNAに関する初歩的知識すら理解していない全く非科学的な論法でこれらを退け,他方で当事者の供述証拠にす ぎない捜査記録等を不当に重視して伊藤の解剖の事実を認めたのである。
控訴審におかれては,本件訴訟の最重要証拠であるDNA鑑定に対し,科学的知見に基づく正確な検討を加えるとともに,一方 当事者が作成したに過ぎない供述証拠に過ぎない捜査記録等につき批判的に吟味を行われるよう強く希望する。

 

第2 村井らによる救護義務違反の有無について

原判決は村井及び青地の救護義務違反自体は認めたものの,同義務違反と幹郎死亡との間の因果関係を否定した。 原判決は,この因果関係を否定した理由として,伊藤が幹郎の遺体の解剖を行いその死因を心筋梗塞と検案したことを挙げる。
 しかし,後述のとおり,伊藤は幹郎の遺体を断じて解剖などしていない。そして,遺体を解剖しなければ死因が心筋梗塞であるか否かは決して分からない ことは当然である。
 原判決は大前提を誤ったものであり,死亡との因果関係を否定したその論理は到底維持され得ない。
幹郎の死亡原因については,本来監察医の解剖によって解明されるべきであった が,伊藤は幹郎の遺体の解剖を行わなかったため,直接証拠でもってその死因を医 学的に証明することには困難を伴う。
 しかし本件においては,伊藤の「解剖」所見以外には,他に幹郎の死因が心筋梗 塞であることを伺わせる証拠は直接にも間接にも一切存在しない。他方,本件ジー プの損傷状況から,幹郎が頭部外傷によって死亡に至ったことを推認させる証拠が 存在する。すなわち本件ジープには,フロントガラスが内部からの力によって蜘蛛 の巣状にひび割れ,あるいはバンパーが屈曲するなど同車が相当な速度で他の物体 と衝突し幹郎が頭部をフロントガラスに衝突させた痕跡がある。平野(仮称)鑑定書【甲5 4】は,これらの損傷の状況を総合し「衝突速度,ジープの前部の剛性,運転席に おける頭部と(フロントガラスとの)位置関係,内装ガラスは割れなかったことに よる反力の維持等により久保幹郎の頭部が受けた衝撃力は大きくそれによる傷害も 大きかったものと考えられる」と鑑定しているが,この鑑定は極めて緻密で説得的 なものである。更に田ノ浦(仮称)意見書【甲52】は「本件では,受傷機転からまともに前 頭部を強打しているとした場合には,脳挫傷で死亡した可能性が一番高いように思 われる。ただ,衝突時の外力で,前頭部に頭蓋骨骨折が生じた場合であれば,硬膜 の動脈を骨折端が傷ついて急性硬膜外血腫を生じた可能性もあるし,前頭部を強打 したため,その際に脳と頭蓋骨との間にスペースが出来て,その結果,脳表と硬膜 の間をつなぐ橋静脈が切れて,硬膜下に出血し,急性硬膜下血腫を生じる可能性も ある」と豊富な解剖経験に基づき指摘している。
 これに対し原判決は,幹郎の頭部に外傷がなかったから,フロントガラスのひ び割れは同人が頭部をぶつけたがために生じたものではない旨判示している【原 判決65頁】が,頭部に大きな外傷が見当たらなかったのは幹郎が帽子を被って いたがためであり【乙A43など】,また衝突時から横浜市民病院での写真撮影時 までの間には少なくとも半日以上の時間の経過があるから,原判決の判示には説得 力がない。本件ジープのフロントガラスのひび割れは平野鑑定書が述べているとお り,内部からの力によるものであり,幹郎が頭部を衝突したものとしか考えられな いのであって−−原判決は,いったい何故にフロントガラスのひび割れが生じたと 言うのであろうか。全く理解しがたい。−−,同人の死因は頭部外傷である蓋然性 が高い。
なお原審においても再三にわたって主張したが【2002年6月21日付け原告 ら準備書面7頁ほか】,本件において幹郎の死因を具体的に特定しそれを直接証拠 でもって立証することを困難にさせた原因は,本来行うべき幹郎の遺体の解剖を伊 藤・齋藤らが共謀のうえ行わなかったという違法行為にある。伊藤は解剖をしなか っただけでなく,何の医学的根拠もなく幹郎の死因につき「病死・心筋梗塞」と死 体検案書に記載したのである。  幹郎の死因が事故死であることの証明を困難ならしめた責任は第1審被告側の違 法行為にあるから,証明責任の公平な分担の見地あるいは証明妨害による証明責任 の転換法理からして,第1審被告側が幹郎の死因は事故死ではなく病死であること の証明責任を負う解するのが相当である(仮に,証明責任の転換までは認められな くても少なくとも第1審原告側による事故死の証明度は軽減されるべきである。)。

 

第3 伊藤らによる不法行為の成否について

遺体解剖の有無に関する原判決の事実認定方法に対する批判
 原判決は,本件訴訟の最大の争点である幹郎の遺体の解剖の有無について43頁 以下で判示しているが,その基本的論理構造は,「解剖を実施したとの警察の捜査 記録が存在し,担当警察官(齋藤ほか)及び監察医(伊藤)が『解剖した』と供述 しているから解剖は行われたのだ。」というあまりにも幼稚で単純なものである。
 原判決は,供述(捜査記録や法廷供述)という一方当事者に偏した非物的証拠のみ に基づき,これらの信用性をほとんど吟味もせずに引用して(原判決43頁〜44 頁の実質わずか1頁の検証である。)「解剖あり」とまず結論を先に決めつけた上 で,その後,第1審原告らが主張した「解剖を否定する事情」について,以下のよ うに整理し,これを個々に順次並列的に否定して行くという方法をとった。

《原判決11頁が要約した第1審原告らの主張》

@
保土ケ谷警察署は,村井らの救護義務違反を隠蔽するため,幹郎の解剖を行わずに死因を病死であると偽る必要があった。
A
遺体を開いた状況を示す写真が1枚も撮影されておらず,頭部の解剖も行われなかった。
B
伊藤は,平成12年1月31日,幹郎の解剖を前提に鑑定書を作成しているが, 記憶に基づいて作成することが不可能なほどに詳細な内容に及んでおり不自然である。
C
伊藤から幹郎の臓器であると偽って提出された臓器のうち, 心臓本体と解剖立会報告書に添付された写真の中の心臓とは形状が一致しておらず, 本件臓器は第三者のものであるのに幹郎の心臓として提出されたものである。
D
幹郎の遺体を搬送した高橋栄行は,伊藤が幹郎の遺体を解剖しないで死因を心筋梗塞と断定した現場を目撃している。
E
葬儀を担当した葬儀社社長吉川明弘及び原告らが遺体に解剖痕がないことを現認している。
F
本件臓器は,裁判所によるDNA鑑定(「押田鑑定」)及び検察官によるDNA鑑定(「本田鑑定」)の結果,幹郎のものではないとされた。

 しかしながら,繰り返し主張して来たとおり,解剖の有無にかかる最大の証拠は, 夫であり父である幹郎の遺体に直接接した第1審原告らの生々しい目撃体験(上記 のDE)と,何よりも法医学の専門家でありわが国におけるDNA鑑定の権威者で ある2人の鑑定者によるDNA鑑定の結果(上記のF)である。そして,その他の 事情は,この強力な証拠を補強するとともに捜査記録及び齋藤・伊藤らの供述の不 合理さ,不自然さを明らかにするための証拠と位置づけられる。また,@の救護義 務違反隠蔽の必要性の論点は,齋藤・伊藤が「解剖を行った」旨虚偽の書類を作成 したその動機を推論したものであり,第1審原告らの立場から,本件事案の本質に つき説明可能性ないし理解方法として提示したものである。
 ところが,原判決の論理構造は,あたかも第1審原告らが救護義務違反隠蔽の動 機を重要な根拠事情として主張しているかのごとく理解したうえ,この事情が十分 証拠によって裏付けられない(警察側の内心についての推論なのであるから,もと より積極的な裏付け証拠があるわけではない)ことをもって,警察作成の捜査記録 及び齋藤ら警察官の供述を無批判に信用する一方,他方でそれを否定する事情に対 しては高度な信用性の主張・立証を求める著しく偏った論理構造となっている。
 しかし,事実認定においては,供述証拠よりも非供述証拠(物証),当事者の供 述及び文書(記録)よりも第三者の供述及び文書(記録)を重視すべきは当然の原 則である。本件においては,「幹郎のものである。」と何度も断言して伊藤が提出 した臓器がまさに非供述証拠(物証)であり,これを第三者である専門医が鑑定し たDNA鑑定の結果がまず第一に重視されるべきことは当然である。そして,次に このDNA鑑定の結果に沿った補強証拠が重視されるべきことになる。他方,DN A鑑定の結果に反する捜査記録等や一方当事者の供述はその信用性を厳しく吟味さ れなければならない。つまり,原判決の論理構造とは全く逆の順序と位置づけでの 検討が求められるのである。

DNA鑑定(押田鑑定・本田鑑定)の信用性について
 原判決の決定的な誤りは,2つのDNA鑑定(押田鑑定・本田鑑定)を,全く非 科学的な理由によって排斥した点にある。
 原判決がDNA鑑定について,いかに誤った理解をしているかについては,DN A鑑定の専門家でなくとも,真剣に時間をかけてこれを勉強した法律家であれば, 本当に明らかである。
 原判決の認定は,上級審では到底維持され得ない非科学的なものであることは, 原審記録をご精査された貴裁判所においては既にご理解済みと信じるが,理解の便  宜のため,準備書面(控訴審第2)にて詳述するので,是非ともご精読いただきた  い。

3 本件解剖の不自然さ・不合理さを示す数々の事実

    1) 本件解剖の不自然さについては,原判決【45頁以下】も次のように認めている。

    • 「幹郎の頭部の解剖が行われていないことは当事者間に争いがなく,前記1)イにおいて認定したとおり, 解剖時の写真として存在するのは心臓の写真3枚のみであって遺体を開いた状況での写真は撮影されていないところ, 一般に,行政解剖又は司法解剖を行う際には,原則として,頭腔,胸腔及び腹腔を解剖し, 写真化・記録化に努めるべきであって,司法解剖の場合は犯罪捜査に関連してより詳細な解剖を行うものとされており, 伊藤も,司法解剖においては通常は頭部を解剖し,遺体を開いた写真を残していることからすれば,本件解剖は, 司法解剖として異例なものであったといわざるを得ない。しかも,本件解剖において, 頭部の解剖を行わず心臓の写真しか残していない理由について,合理的な説明はされていない。」
    • 「また,原告らは,伊藤は平成12年1月31日になってから本件解剖について鑑定書 【甲15】を作成しているが, その内容が記憶に基づいて作成することは不可能なほど詳細であって不自然である旨主張している。 確かに上記鑑定書は,各臓器の重さや大きさの測量結果に至るまで事細かに記載した非常に詳細なものであり, これらすべてを記憶して再現し作成することはやや困難であると認められる。
    • この点,伊藤は,本人尋問において,本件解剖中に自ら臓器の計測を行い, 手袋についた血をぬぐったり手袋を取り替えたりしながらメモをとった旨供述し, 伊藤の陳述書にもこれに沿った記載部分がある。しかしながら,斎藤及び井上は, 伊藤が解剖中に臓器の計測を行ったりメモをとったりするところは見ていない上, 伊藤の供述するようなメモの取り方をしながら,わずか1時間程度の間にこれほど詳細な解剖を行うことができたかも疑問であって, 伊藤が解剖に熟達していたことを考慮しても,上記鑑定書に記載されたとおりの詳細綿密な解剖行為があったとみることはできない。

    2) このように原判決自身,本件解剖の不自然さと不合理さを多数指摘し, 「司法解剖として,不適切なものであったといわざるを得ない」と断じているにもかかわらず, 原判決は,これらの不自然さが「解剖が行われたこと自体と矛盾する事実でない」というだけの理由にならない理由でもって,解剖が行われたとの認定 を覆すものではないとするのである。
     しかし,本件解剖の不自然さは,いずれも司法解剖の実務からは到底理解不能な重大なものばかりであって, 「解剖が行われたこと自体と矛盾する事実でない」などと言えるような些細なものではありえない。
     以下,個々に論じる。

    @
    「解剖」時間が実質30〜40分程度しかなく,あまりに短かすぎること
     第1審原告らは原審最終準備書面75頁以下にて詳細に主張したとおり, 幹郎の遺体は1997年[平成9年]7月19日の午後2時ころに保土ヶ谷警察 署から伊藤の研究所に搬送され,後頭窩穿刺だけをすませて納棺され,同日午後3時ころまでに同警察署に戻ったものと考えて いるが,仮に百歩譲って原判決【38頁】が言うように,伊藤が同日午後7時40分ころに死体検案に着手し, 同日午後8時40分ころに小巻巡査長が司法解剖許可状を携えて伊藤の研究所に戻った際には既に幹郎の遺体は納棺されて 葬儀社の車両に戻された後であったと仮定したとしても,それでも,解剖が実施されたというにはあまりに短い時間であり, 現実には解剖は実施されていなかったとしか考えられない。
     すなわち,原判決の認定によれば,伊藤は午後7時40分に死体検案に着手したが,わずか1時間後の午後8時40分 には遺体は納棺されて葬儀社の車に戻されていたという。ところで,解剖が実際に行われた場合,解剖終了後の納棺作業は, まず遺体全体を入念に拭き清めて血痕や体液等の汚れを落とし,次に遺体の縫合痕の上に脱脂綿とテープを貼って縫合痕を隠し, さらに白装束を着せて納棺するという順序をたどるが,その間の時間は少なくとも20〜30分はかかる。 とすれば,伊藤が死体検案に着手してから終了するまでの時間は1時間よりさらに短く, わずか30〜40分しかなかったということになるのである(しかも,小巻が午後8時40分に伊藤の研究所に戻ったときには 既に遺体は納棺されて葬儀社の車の中にあったというわけだから,その何分前に納棺作業が終了したかは実際には不明であり, 伊藤の実際の検案時間はさらに短くなる可能性すらある)。
     このわずか30〜40分たらずの間に,伊藤は,「遺体の顔面及び胸部を触って外表検査を行ったり, 後頭窩穿刺によって髄液が透明であることを確認し, 脳や胸部等に異常はない旨説明するなどした」【原判決38頁】だけでなく,胸部を解剖して心臓,胃,脾臓,肝臓等の各臓器 を取り出して各検案し,心臓についてはさらに臓器を切り開いて心筋梗塞の箇所を確認し,これらをすべて記録したうえで, 解剖箇所を縫合したということになる。しかも,伊藤には執刀助手がおらず,執刀も縫合もすべて同人1人が行ったというのである。
     伊藤がいかに熟練した監察医であろうとも,これだけの検案作業をわずか30〜40分たらずの間に行うことなど誰が 見ても到底不可能であり,伊藤が実際に行った「検案」作業は,遺体の外表検査と後頭窩穿刺のみであったことが強く推認される。

    A
    「解剖」状況を示す写真が全く存在しないこと
      本件「解剖」においては,幹郎の遺体が伊藤の研究所に搬送され,死体検案に着手する前の同研究所内に遺体が置かれた 写真【乙A18】と幹郎の心臓の一部であると第1審被告らが主張する臓器写真【乙A17】は存在するが,解剖を実際に行って いる際の解剖状況を示す写真はただの1枚もない。
    これは極めて不可解なことと言わなければならない。司法解剖は刑事裁判の最重要証拠の一つとなりうるものであって, 解剖状況の写真を残すことは必要不可欠であることは言うまでもない。そして,伊藤は監察医としてこのことを十分知っていたの である。伊藤は,原審での本人尋問において,司法解剖で遺体を開いた写真が1枚もないという例は本件以外にはないと供述して いる。伊藤はこの点を問い糾されて,「本件解剖に立ち会っていた齋藤が令状発付に行ってしまったので写真を撮る人がいなかった」 旨弁解しているが,令状発付に行ったのは小巻であり,カメラを持っていた齋藤は解剖に立ち会ったと述べているのであるから, 明らかに虚偽の説明である。他方,齋藤は原審裁判長の尋問に対し,遺体を開いた写真がないのは伊藤が撮らなくてよいと言った からであると供述しており,伊藤の説明とは完全に矛盾している。
     このように,司法解剖にあっては当然撮影しておくべき解剖状況の写真がただの1枚も存在せず, その説明が不合理かつ矛盾を極めていることは,本件解 剖が実際に行われていないことを示すものである。

    B
    頭部の解剖を実施していないこと
     伊藤が幹郎の遺体の頭部について解剖を行わず、後頭窩穿刺のみで済ませていたことについては,当事者間において争いはない。
     しかし,伊藤は原審での本人尋問において,司法解剖では頭部も必ず解剖し,解剖しなかったのは後にも先にも本件のみであること, また,司法解剖の場合は頭部を解剖するから後頭窩穿刺はしないと明確に供述していた。
     伊藤は幹郎の頭部の解剖をしなかった理由として,上記の尋問では「解剖着手時は異状死体として着手したが, 後に司法解剖に切り替わった」からと述べているが,他方で被告伊藤は「検事指揮により司法解剖令状が発付されること認識して 着手した」と供述しており【同調書8頁】,すでに解剖着手時に司法解剖となることを認識していたわけだから, 上記の弁解には全く説得力がない。伊藤は,「午後5時半頃に遺体が搬送されたが,検事指揮により司法解剖ということになり, 令状交付を求めに警察官が戻ったので,いったん解剖を中断し,午後7時頃から解剖を始めた」と供述しているのであるから 【同調書5頁】,伊藤の供述どおりだとすれば,司法解剖であることを当然認識していたはずなのである。 この点については,裁判官からもその矛盾を追及されたが,伊藤はしどろもどろの答弁に終始し,全く説得力のある説明を なしえなかった【同調書80〜81頁】。
     上記のとおり原判決も,本件解剖が「司法解剖として異例なものであった」と指摘している【46頁】にもかかわらず, 伊藤が唯一本件の解剖のみ解剖状況の写真撮影を行わず,かつ,唯一本件解剖のみ頭部の解剖を行わなかったという, この二重の例外的取扱いの理由については全く説明していない。仮に一つの例外的取扱いならばごく偶然的な事情であり得るかも しれないが,偶然的事情が2つも重なることなどありえない。
     この二重の例外的取扱いを合理的に説明しうる理由は,第1審原告らが主 張するように,伊藤が司法解剖の令状が出る ことを当時認識しておらず,たんに「異状死体」の検案であるとの認識しか有していなかったということ以外には考えられない のである。
     そして,伊藤の解剖に多数立ち会ったことのある葬儀社社員高橋栄行(以下、「高橋」)の次の証言によれば, 伊藤の死体検案は極めてずさんに行われており,後頭窩穿刺で血液が出ない異状死体はほとんどが解剖を行わずに,心不全か心筋梗塞の死因 で処理されていたことが明らかである【高橋調書23頁】。
         「伊藤医師が,遺体を解剖しないうちに,心筋梗塞と死因を告げたという場面に出会わせたことはありますか? 
             年じゅうです。 
          何回もある。 
             はい。後頭窩穿刺で血液が出なければ,ほとんど心不全か心筋梗塞です。 
          司法解剖を伊藤さんがするときには,後頭窩穿刺というのはするんですか。 
             しません。 
          それは,なんでしないんですか。 
             脳の解剖をします。 
          解剖するから,後頭窩穿刺なんてする必要ないということですか。 
             はい。 」
    
     高橋の証言については,原判決は,当日の解剖に立ち会っていないとして,その証言を採用していないが,言うまでもなく, それは伊藤の解剖に「300回以上立ち会った」という高橋の,伊藤の解剖全般に関する証言の信用性を否定することにはならない。 現に,上記高橋証言の後半部分(司法解剖の場合は,伊藤は後頭窩穿刺を行わずに頭部の解剖を行う)は上記伊藤供述とも合致しており, 真実を供述していることが明らかである。
     上記のように,本件解剖は死体検案着手から終了までわずか30〜40分たらずのごくごく短い時間で行われていること, 伊藤が頭部の解剖を行わず,かつ解剖状況の写真を全く撮影しないという簡略極まる扱いをしていることに鑑みれば, 高橋の証言どおり,伊藤が死体検案の「ルーチン」として,本件解剖においても後頭窩穿刺で血液が出ないことのみを確認し, それ以上は解剖を全く行わずに心不全か心筋梗塞で処理していた可能性が高いというべきである。

    C
    3枚の心臓写真の不可解
     第1審被告らは解剖立会報告書【乙A17】に添付された3枚の写真は,伊藤が司法解剖により幹郎の遺体から取り出した 同人の心臓の写真であると主張している。
    しかし,この写真は,心臓らしき臓器が摘出されて容器に入っている状況が撮影されているだけのものであって, これが幹郎の心臓であると特定できるものでは全くない。
    そもそも前記のとおり,本件においては,司法解剖であるにもかかわらず解剖状況を撮影した写真が1枚も存在しない のであって,にもかかわらず心臓の写真のみが存在するというのは不自然きわまりない。これを撮影したという齋藤によれば, フィルムは取り替えたばかりであり【斎藤調書19頁】,3枚しか撮影できなかったという事情もないのである。
    さらに,この写真に関しては,次のとおり重大な疑問が多数存在する。

    1.  写真の説明が第1審被告らの間で食い違っていること
       解剖立会報告書【乙A17】の3枚の添付写真は,それぞれ「1 心臓 の状況」,「2 1,2,3が白っぽくなっている個所 (後壁線維化)」,「3 1,2が白っぽくなっている個所(後壁線維化)」と説明がされていて,1枚目の写真が摘出した 心臓全体で,2〜3枚目の写真が繊維化して白くなっている部分を指し示す趣旨のようである(ただし,2,3の写真の指示部分 を見ても白くなっている個所は確認できないことを,齋藤自身が認めている【齋藤調書65頁】。)。
       この写真について齋藤は,伊藤が取り出した心臓を台所から持ってきた容器の中に入れて,床の上に置いて撮影した と供述し【同調書19頁】,さらに原審原告ら代理人の質問に答えて,3枚の写真は同じ心臓を向きを 変えた状態で撮影した ものであり,2,3の写真は3つの切片に見えるが実はつながっていて切り離されてはいないと説明している【齋藤調書64〜65頁】。
       これに対し,伊藤は,齋藤と全く異なる説明をしている。すなわち伊藤は,写真1が1個の心臓を大動脈から左心室 にかけて開いた写真であり,写真2と写真3は写真1の心臓から一部を切り離したものだと断言しているのである【伊藤調書70〜71頁】。 しかし,これは上記の齋藤の供述とは全く相反するものであるし,また,伊藤自身,上記の供述の直前に,一つの心臓を 「切り離したことはございません」と明確に供述していたこととも矛盾している【同調書61頁】のであって, 自らの供述を直後に事実上訂正した形になっているのである。
       実際,写真1と写真2・写真3を見れば,齋藤の供述のように「同じ心臓を向きを変えただけの状態で撮影したもの」 とは到底見えず,写真2と写真3は切片を並べた写真であることは明らかであろう。伊藤はこれらの写真を尋問者である原審原告 ら代理人に示されて,「心臓を切り離していない」という直前の供述を直ちに訂正せざるを得なくなったものと思われるが, しかし,伊藤は従前は「後に切片でも作ろうかと思って」とか「トレーの上で切り離した」などとは陳述書でもどこでも 述べていなかったのであるから,この供述は明らかに不自然な供述の変遷というべきである。
       他方,写真2・写真3が切り離された切片の写真であるならば,「(伊藤は)心臓を手に載せて豆腐をすっすっすっと 細かく切るように縦に何本もメスを入れて,その都度開いて,また切って開いて確認していました」【井上調書47頁】, 「(手の上で)輪切りのような状態に切りました」【齋藤調書62〜63頁】などと繰り返し供述していた齋藤及び井上の 証言・供述が虚偽であることになる(実際,伊藤は,上記の供述にて,自らの手の上で切り離したのではない旨はっきり否定 している)。
       以上のとおり,これら3枚の写真に関しては,同じ心臓を向きを変えて写したものなのか一部を切り離したものなのか, あるいはトレーの上で切り離したのか否かという事実関係の重要な部分で,「撮影」者である齋藤と「解剖」者である伊藤の間 の供述が根本から食い違っている。なぜ食い違っているのか,それは写真に写っている心臓は幹郎のものではないから―−齋藤と伊藤が 共にいる場で切除・撮影された心臓ではないから―−なのである。

    2.  形状が伊藤の提出した心臓標本と合致しないこと
       さらに,解剖立会報告書【乙A17】の3枚の写真に写された臓器の形状は,伊藤がDNA鑑定のために提出した臓器標本とも合致しない。
       押田鑑定書添付の写真3〜5は,鑑定書2頁によれば,心臓1塊と心臓細片5個を含むものであるとされるが,これと解剖立会報告書 【乙A17】の写真1〜3を比較すれば,心臓標本がホルマリン固定されたものであることを考慮しても,同一の臓器であるとは 到底思われない。
       とりわけ,解剖立会報告書【乙A17】の写真1は心臓全体1塊の写真であるが,押田鑑定書添付写真3及び4のように 切開された形状になっていないし,同鑑定書添付写真5の形状とも異なっている。また,同鑑定書添付写真3及び4は切開した 部分を切り離しておらず,上記の伊藤の説明と矛盾している。
       この点について,原判決は次のように述べている【47頁】。
      「しかし,本件臓器中には心臓本体以外にも,心臓本体から切り離されたとみられる複数の心臓細片が存在しており(乙B1) , これら細片と写真撮影された心臓とは,必ずしも形状が一致しないとまではいえないから,心臓本体と解剖立会報告書に 添付された写真中の心臓の形状が必ずしも一致しないことから直ちに本件心臓と写真撮影された心臓が同一のものではない ということはできない。」
       原判決は,このように述べ,解剖立会報告書で撮影されている臓器は乙B第1号証(鑑定書添付5の写真ほぼ同じである。) に写されている心臓細片と同一である可能性があるとするのであるが,これは明らかに不可能な推論であると言わざるを得ない。 なぜならば,上記のとおり齋藤,伊藤はともに解剖立会報告書添付写真1が心臓全体を写したものであると供述しており, これは心臓細片ではない。また,同写真2,3は,齋藤及び伊藤の上記供述によれば,心臓全体を別の角度から写したもの (齋藤),あるいはその一部を切り離したもの(伊藤)であるとされるが,仮に伊藤が言うように写真2,3が心臓の一部を 切り離したものであるとしても,その大きさは写真1の心臓全体の大きさと比べれば相当大きな切片であることが明らかである。 しかし,乙B第1号証の写真の心臓細片は心臓全体1塊と比較してはるかに小さな細片ばかりであって, 解剖立会報告書添付写真2,3に相当する大きさの切片は全く存在しないからである。
       以上により,解剖立会報告書添付の各写真に写された臓器は本件訴訟で伊藤が幹郎の臓器であるとして提出した臓器と 明らかに異なるというべきであるが,こうした矛盾が生じるのはまさに本件解剖が実際には行われておらず,他人の臓器写真や 臓器標本が証拠として提出されたことを強く示唆するものである。
       このほか,上記各写真には,現像写真受理日(平成9年7月28日)が解剖立会報告書作成日(同月23日)より5日も 後の日付となっていて,解剖立会報告書作成時には添付写真が存在しなかったことなど,不自然極まりない点が多数存在する 【第1審原告ら最終準備書面97頁以下】。

    D
    第三者の臓器提出に関する原判決の先入観に満ちた弁解
      ところで原判決は,伊藤が第三者の臓器を提出したのではないかとの疑問に対し,次のような理解しがたい議論を 展開している【47頁】。
    「伊藤が解剖を行わなかったとの疑惑が報道され,本件が刑事事件の捜査対象になっている状況の下で,本件臓器の所持を 明らかにすれば,そのDNA鑑定が行われることは,法医学者である伊藤にとって,容易に想定できる事態であったものと 考えられる。してみると,伊藤が,実際は幹郎の臓器を所持していないのに,自ら幹郎の臓器を所持しているとの虚偽の事実 を主張し,幹郎の臓器であると偽って第三者の臓器を提出することは極めて危険性が高く,これを避けるのが通常というべきである。 このような事情からすると,伊藤が偽って第三者の臓器を提出したと考えることは困難である。」
    これは公正中立であるべき裁判所にあるまじき,驚くべき偏向した推論ではなかろうか。このような論理を進めれば, 法医学者が提出する臓器はDNA鑑定を待つまでもなく偽物でありえないということになってしまうだろう。そして,実際にも 原判決はこうした偏向した観点から,2つのDNA鑑定の科学的な鑑定結果を殊更に疑って抹殺したとしか考えられないのである。
     しかし,原判決の上記の推論は,ホルマリン漬けで保存された臓器のDNA 鑑定が一般に極めて困難であると当時考え られており,本件の2つの鑑定は最 新の検査キットと検査技術を用いて初めてDNA鑑定を可能にしたという事実 を指摘すれば,全く根拠のない推論であることが明白となる。現に,伊藤が株式会社ティーエスエルに依頼して行った私的鑑定 では,個人及び性別のいずれも判定できない結果となったことをみても,通常レベルの鑑定ではホルマリン漬けの臓器にDNA鑑定 を実施することが難しいことがわかる。
     したがって,原判決の推論とは全く逆に,法医学者ではあってもDNA鑑定 の専門家ではない伊藤は,長期間ホルマリン で保存されていた臓器ならばDNA鑑定が不可能であろうと考えて,第三者の臓器を提出したと推論する方が、むしろ理に適って いるのである。
      原判決は,一方で押田鑑定を否定する理由としてホルマリン液の影響を挙げているにもかかわらず(その不当性は別途論 じるとおり。),他方では上記のとおりホルマリン漬けの臓器の提出でDNA鑑定を「容易に想定できる」などと述べているので あり【原判決42〜43頁】,ご都合主義の食言とのそしりを免れない。

    E
    伊藤鑑定書の不自然すぎる詳細さ,死体検案調書の不合理
    伊藤が作成した鑑定書が各臓器の重さや大きさの測量結果に至るまで事細かに記載した非常に詳細なものであり,上記の とおりわずか30〜40分の解剖 時間内にこれら全てを記憶して再現し作成することは困難であること,伊藤の本人尋問における 供述に反し,斎藤及び井上が解剖中に伊藤が臓器の計測を行ったりメモをとったりするところは見ていないことなどは,すでに 原判決自身が上記のとおりその不自然さを認定している。原判決は,わずか1時間程度の間にこれほど詳細な解剖を行うことができたかは 疑問であるとし,鑑定書に記載されたとおりの詳細綿密な解剖行為があったとみることはできないと断定しているが,実際の 解剖時間は上記のとおりわずか30〜40分しかなかったのだから,その不合理さは明白である。
     この不合理さは事件当日に作成されたとされる死体検案調書【甲16】についても同様である。同調書の「検案所見」は, 全身所見を身長,体格,皮膚の色,死後硬直,腫脹,眼球,角膜,瞳孔,口唇,舌突等を詳細に記録し,「特に異常を有する所見」 として6個所以上の擦過傷,表皮剥離,圧迫痕の個所を異常個所の大きさを計測して記録し,さらに後頭窩穿刺の結果を記録した うえで,「解剖主要所見」として次のように記載している。
        「一,心肥大拡張左心室後癖〔ママ〕線維化および左冠状動脈回旋肢硬化
         二,両肺高度うっ血水腫
         三,脾臓萎縮
         四,肝中等度脂肪変成
         五,胃内容空虚    」
    
     すなわち,伊藤は胸部を開いて心臓を摘出し,さらにこれを細かく切り開いて心室後壁の線維化と左冠状動脈の回旋肢硬化を 突き止めただけでなく,両肺,脾臓,肝臓,胃を各々摘出して上記のような解剖所見を記録したというのであ る。伊藤が執刀助手 なしで単独で解剖を行ったとする以上,わずか30〜40分の間に,詳細な全身所見を記録し,後頭窩穿刺を行ったうえで,さらに このような解剖を行うことなど到底不可能というほかない。

    F
    齋藤備忘録,解剖立会報告書の解剖時間の矛盾
     ところで,上記の死体検案調書は齋藤が作成したものであるが,齋藤はこれを備忘録【乙A19】から作成したものとされる ところ,原判決はこの備忘録は改ざん不可能な固定式のノートであり,「時系列に沿って作成されている書証の性質からすれば, 後日,虚偽の記録を作出することは非常に困難」【原判決45頁】として,これを本件の有力な証拠として扱っている。
     しかし,この備忘録の本件解剖にかかる記載のある個所(3頁目の下部)は,解剖時に伊藤の聴き取りをメモしたものとして はあまりにも窮屈な個所に詰め込んだ記載となっていて(その場での聴き取り書きなら,頁を改めるなど余白をもっと取るはずで ある。)極めて不自然であるうえ,何よりも,解剖時間が「午後8時40分〜10時10分」と明らかに虚偽の記載となっている。 これは午後8時40分に司法解剖令状が発付されたことに合わせたものと見られるが,原判決の事実認定を前提としても,前記の とおり令状を小巻巡査が伊藤の研究所に持参したときには解剖はすでに終了していたのであるから,この部分の記載は解剖時の メモ書きではなく,解剖終了後に作成されたことが明らかである。すなわち,前記のこの部分の窮屈な詰め込んだ記載と併せ考え れば,齋藤が備忘録の余白に後日につじつま合わせのために書き込んだものと考えることは十分に可能なのであって,少なくとも 原判決のいうように「後日,虚偽の記録を作出することは非常に困難」などとは到底いえない。

4 第1審原告らが解剖痕を現認していない事実

    1)
    第1審原告ら及び吉川が幹郎の遺体に解剖痕がないことを事故当夜に現認して  いたことについては,第1審原告ら本人および吉川が供述・証言しているとおり  である。
     そもそも,監察医が行ったとされる司法解剖が実際には行われていなかったな  どということは一般人には全く思いもよらないことであって,自らが解剖がなか  ったことを現認して確信していなければ,そのような主張を行うことすら考えら  れないであろう。本件事件では,まさに第1審原告ら自身が幹郎の遺体に解剖痕  がなかったことを現認して確信しているからこそ,死体検案書の「解剖あり」の  記載に驚愕し,事件直後から解剖の有無について保土ヶ谷警察署および伊藤らに  対して追及をし続け,DNA鑑定を申立て,本件訴訟の提訴の最大の争点として  解剖の有無を問題としているのである。

    2)
    解剖痕について第1審原告らが当初言及していなかったとする点について,原判決は次の3点を挙げて,第1審原告らが本件 事件当初は解剖痕はなかったとの主張をしていなかったとする【48〜49頁】。
    @
    第1審原告らは,平成9年7月26日,保土ヶ谷警察署の副署長らと面談して,警察の責任を追及し, 「解剖はしたのか。」などと詰問したのに,遺体に解剖痕はなかった旨の主張は全くしていない
    A
    同年11月6日,佐紀子が伊藤に宛てた手紙の中で,警察が交通事故を隠したことを訴えたり,幹郎の死亡原因を交通 事故であるとして死体検案書の死亡欄の訂正を求めたが,解剖の有無については,これを何ら問題にしていなかった
    B
    平成10年9月1日付けの伊藤を被告訴人とする告訴状においては,佐紀子は解剖痕を見ていないこと及び原告らが伊藤 に支払った6000円は解剖費用として安すぎると吉川が供述していることを主張しながら,吉川が解剖痕はなかったと目撃し供述 している旨を全く記載していない
    しかし,@については,そもそも「解剖はしたのか」と詰問すること自体が第1審原告らが解剖の有無について重大な疑問を 持っていた証左というべきなのである。死体検案書に監察医が司法解剖を行ったという記載がある以上,通常解剖を疑うことは ありえない。解剖について警察に対して質問するとしても,通常は「解剖結果の詳細を教えてもらいたい」などの解剖内容に関 する質問となるはずであって,解剖の有無を問うことなど考えられないであろう。すなわち,この時点で,第1審原告らは解剖痕 を現認していなかったからこそ,解剖ありとされている死体検案書に不信を抱き,警察に対して「解剖はしたのか」と詰問して いるのである。確かに,第1審原告らはこのとき解剖痕はなかったとの明確な主張をしていなかった可能性があるが,このときは 警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があったからであり(第1審原告はこの時,テープ録音していた),そのために 明らかに解剖されていなかった頭部についても,警察の「頭部解剖した」という虚偽の説明をわざとそのままさせていたのである 【佐紀子調書平成16年11月5日45頁】。警察の捜査に重大な不信感を抱いた当事者としては,いきなりその不信の根拠と なった具体的事実を警察にぶつけるのではなく,いわば自らの手の内を示さない形でまず警察の説明を聞き,その後に具体的事実 を示してその不合理さを追及することは十分ありうることなのである。特に,佐紀子は1997年[平成9年]7月26日の 保土ヶ谷署副署長ら来訪前に弁護士に電話でアドバイスを受けており,慎重かつ計画的に対応したと考えられるから,解剖痕がない ことを現認しているという決定的な事実はあえて示さないで,警察に不合理な虚偽の説明をさせこれを証拠化しようとしたものと 考えられる。
    また,上記Aの伊藤に宛てた手紙については,同年10月に第1審原告らが伊藤と面談したときに解剖の有無について追及 しており,そのときに伊藤が解剖したと言い張ったという経緯があるため,その直後に手紙ではその点を蒸し返さずに交通事故を 原因とした死亡保険金請求への協力を求めたにすぎない。
     同年10月の第1審原告らと伊藤との面談内容については,佐紀子の供述によると次のとおりである 【佐紀子調書平成16年11月5日52頁〜53頁】。

      「伊藤先生はどういうふうに答えたんですか。
      そのときに,主人の身体は解剖されてませんでしたということも言いましたら,伊藤先生は,おれは解剖したと 言いました。そんなに解剖したと言い張るならば,証拠の書類と写真をここに提出してくださいと,私のほうから言いました。
      そして,伊藤先生は何と。 伊藤医師は,「おれも警察の被害者だ。おればっか,いじめるな。おれは何も知らない。そんなことは警察に言え。」 そういうことを言われました。」

     これに対して,伊藤はこのとき解剖の有無の話は全くなかったと供述しているが,伊藤自身の次の供述に照らせば全く信用 できない。

      「原告らは,どんな様子でしたか。
      こういう表現が当てはまってるかどうかわかりませんけど,ものすごく激高して見えたことは記憶,そして,確か息子さんたち が同道してたと思うんですが,巾着袋みたいな中にテープレコーダーのようなものが入ってるんで,そういうことはしないように というふうに,なだめたことはございます。
      穏やかな話し合いということでしょうか。
      とは,ちょっと言えないです。 」【被告伊藤本人22頁】

    すなわち,伊藤との面会当時,第1審原告らが激怒しテープ録音の用意までし ていたことを伊藤自身が認めているのであるが,これはまさに伊藤が実際には解 剖していないにもかかわらず解剖ありとの虚偽の死体検案書を作成したことに対 して第1審原告らが激怒し,その点を追及しようとしていたからなのである。逆 に,解剖の有無を当時第1審原告らが問題にしていなかったとすれば,監察医で ある伊藤に対して第1審原告らが激怒したり,伊藤の発言をテープ録音などする 理由はおよそ考えられない。
     上記Bについては,上記告訴状には第1審原告らが自ら解剖痕を現認していな いと明記していることから,あえて第三者である吉川については触れなかったに すぎない。刑事告訴後の捜査の中で第1審原告らは検察官に対し,吉川からの事 情聴取も求めた。告訴状の時点では必要以上に第三者を刑事事件に巻き込まない ようにとの配慮で吉川の供述を記載しなかったに過ぎない。告訴状にたんに記載 されていないとの事実のみをもって,吉川の供述が疑わしいとするのは,根拠薄 弱な論難というほかない。 2) ドライアイスによる凍結の可能性について
     次に原判決は,「遺体の上には1個5キロ程度のドライアイスが8個載せられ ており,遺体は胸の上で手を組んでいたことが認められるから,ドライアイスに よる白装束の凍結と死後硬直の影響で,容易に白装束がはだける状態にはなかっ た」【49頁】として,第1審原告らが解剖痕がないことを目撃したとの事実に 疑問を呈している。
     しかし,ドライアイスは遺体表面の温度を下げる効果はあっても,遺体全体を 凍らせることはできない。また,衣類は水分を含んでいなければ決して凍結など しない。まして,時期は真夏の7月19日である。したがって,いかに上記のよ うにドライアイスが使用されていても遺体や白装束が動かせなくなるほど凍結し てしまうことなど考えられない。  幹郎の遺体については,自宅到着後に吉川と第1審原告久保幹彦(仮称・長男)が遺体を棺か ら出して別の棺に移し替えたことは争いがないが,いかにドライアイスや死後硬 直の影響があったとしても,遺体を棺から移し替える際に衣服が乱れないなどと いうことは断じて考えられないのであり,胸元がはだけて見えた可能性は大きい というべきである。しかも,遺体を納棺した南原葬儀社(仮称)の担当者によると,遺 体を解剖した場合は解剖痕の上に4〜5センチもの幅の脱脂綿を置き,それと交 錯するように何カ所もテープを貼って脱脂綿を固定するというのであって,胸を はだけた場合には当然脱脂綿に気づくはずであるとのことであるから,解剖され ていれば第1審原告らがそれに気づかないわけがないのである。
     第1審原告らの目撃供述については,その詳細を原審原告ら最終準備書面65 頁以下で引用したが,その信用性についていえば,第1審原告久保幹之(仮称・次男)および同久 保幹也(仮称・三男)が事故の傷痕を確認しようと遺体の胸や腹を確認したというのも,佐紀子が 遺体の胸元をはだけて幹郎が事故の際に強打したと思われるあたりをなで回し, その後白装束を脱がせて着物に着替えさえようとした(幹郎は華道の家元であっ た。)というのも,突然夫や父を失った遺族の行動としてはごく自然に理解でき, むしろリアルで具体的で迫真性のある供述といえるのであって,これを疑うべき 理由はない。
     また,吉川の供述の信用性については,原審の原告ら最終準備書面62頁以下 で詳細に述べたとおりであり,とりわけ吉川が目撃事実をテレビ取材に応じて述 べる前に,家族や従業員全員から「警察署から変死体の葬儀の仕事を回されなく なるからやめた方がいい」と反対され実際にその後警察署からの仕事は1つも来 なくなったとされる点に鑑みれば,あえて自らに不利益な供述を行った点でその 信用性は高いというべきである。

5 高橋証言の信用性

 原判決は高橋の証言を「虚偽」であると決めつけている。しかし原判決は「虚偽」 と判断した理由については「前記1)アエにおいて認定したとおり,高橋はデンエン 葬祭に草深(仮称)と倉田(仮称)に幹郎の遺体の搬送を任せ,自らは葬儀の準備のために保土ヶ谷 署を離れ,研究所には赴かなかったのであるから」と述べるに過ぎない。しかしこ れは「理由」というよりも「結論」である。高橋が研究所に赴かなかったとの草深 ないし倉田の証言があるならばともかく,そのような証言は全く存在しない。にも かかわらず高橋の証言を排斥するのであれば,裁判所とすれば高橋証言が持つ矛盾 を具体的に示すべきである。合理的な理由も挙げずに第三者の証言を「虚偽」と断 言する原判決は誠に傲慢と言わざるを得ない。
 高橋は,テレビのニュース番組で本件ジープ(極めて珍しい車種である。)が放 映されたのをたまたま見たことから,自らテレビ局に電話をして名乗り出た者であ り,当事者とは全く利害関係のない第三者である。更に,高橋は保土ヶ谷警察署で 損傷のあるジープを見て交通事故による死者と思われるのに『大船葬儀社(仮称)』ではな く『北原葬儀社(仮称)』に遺体搬送の依頼が来たのを不思議に思ったこと,「身元不 明者」なのにジープに乗っていたのが意外であったことなど当日の記憶が残った理 由を具体的かつ合理的に述べており,特異なジープが記憶定着の理由となっている から他の事案と記憶が混同する余地もなく,その証言自体を精査しても格別不合理 な点は存在せず,証言内容の信用性は極めて高いというべきである。
 なお原判決は,高橋証言は南原葬儀社の運転日誌の記載に反していることを信 用性排斥の理由として挙げるが,同社の当日の運転日誌は何と二つ存在し,かつ二 つが存在し記載内容を矛盾する説得的な理由を南原葬儀社は挙げることができな いのであるから,この運転日誌は後日作為的に作成された可能性が高く,信用性を 認めることはできないと考える。

6 その他

1)
動機の不存在について

原判決は「村井らは本件を駐車苦情事案として扱い,運転手が現れて車両を移動させた旨を保土ヶ谷署に報告して事件処理 を終えていたことから,本件は,その旨110番受理簿に記載されたにとどまった。そのため,交通事故としては記録に残らず, 翌日の当直員である齋藤らに対する引き継ぎも行われたことから,19日午前の段階で齋藤らには幹郎の身元及び村井らが前夜に 本件を扱った事実は判明していなかった」,「保土ヶ谷署は,平成9年7月19日以降の捜査の過程で,村井らが深夜出勤していた 事実を知るに至った」【原判決45頁】から,虚偽の記録を作出しなければならないように特別の理由ないし必要性は認められない とする。
 しかし,齋藤は真実は1997年[平成9年]7月18日から19日にかけての当直主任であったのであって,原判決は 事実を全く誤認している。そして当直主任であれば,パトカーの出動を当然していたはずである。百歩譲り,仮に齋藤は当直主任 でなかったとしても,幹郎の遺体が発見された直後に,同日や前日の110番出動の有無は保土ヶ谷署署内で調査されるに違いない のであり,幹郎を救護しなかった不始末を同署ぐるみで隠蔽するため虚偽書類を作出しなければならない強い動機は容易に伺うこと ができる。

2)
捜査記録の存在について

原判決は,幹郎の解剖所見等を記載した検視調書・解剖立会報告書・備忘録・死体検案書・死体検案書が所定の手続きにそれぞれ 従って作成されていることを「解剖有り」の事実上唯一の積極的根拠として挙げる。
 しかし,第三者が作成した書面であればともかく,これらの書類は訴訟の一方当事者である保土ヶ谷警察署所属の警察官 (齋藤ら)及び同署と日常的に仕事を共にしている監察医(伊藤)が作成したものに過ぎない。公務員が作成した文書は信用性が 高いなどと言うのは少なくとも警察には当てはまらず(警察が虚偽の捜査書類を作成した例など日常頻繁に新聞報道されている −−例えば,本年7月には,神奈川県警緑警察署の巡査長が,同寮警察官の犯罪行為(暴行)を隠蔽するため,虚偽の捜査書類を 作成したことが報道されている−−4日付け『読売新聞』など。),警察という絶対的な上命下服の組織において,同署の人命に 係わる不始末を隠蔽するため,組織として一連の虚偽の書類が作成されることは十分にあり得ることである。
 原判決は,一つの供述証拠に過ぎない上記捜査関係書類を,恰も嘘を言わない客観的・物的証拠であるか如きの扱いをして おり,このような証拠評価は誤りである。上記捜査関係書類はあくまでも訴訟の一方当事者が作成した文書に過ぎないのである から決して重きをおかれるべき証拠ではなく,あくまでも物的証拠や第三者の供述証拠を基礎に事実認定がなされなければならない ことは当然である。

以 上

平成18年(2006年)7月4日読売新聞(朝刊)


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