控訴審第1準備書面・地裁判決への全体的反論

控訴審第2準備書面 DNA型・血液型・性別


平成18年(ネ)第2861号 損害賠償請求控訴事件
第1審原告  久 保 佐紀子  ほか
第1審被告  神 奈 川 県  ほか
 

準  備  書  面 (控訴審第2)

東京高等裁判所第4民事部 御 中

第1審原告ら訴訟代理人
弁護士   大野 裕    
同    中西一裕    
同    今村 核

第1 本書面の目的

本件に関して,伊藤順通(被控訴人)が提供した臓器,東京医科大学が保管していたブロック標本等と,控訴人らとのDNA型による親子鑑定が2回行われている。 すなわち,日本大学法医学教室の押田教授の鑑定と,筑波大学法医学教室の本田教授の鑑定である。いずれの鑑定においても,親子関係は明確に否定された。本田鑑定では,親子鑑定以前の問題として,臓器およびブロックの性別は女性と判定されている。さらに本田鑑定では血液型も判定され,臓器,ブロックはBOA型と判定されている(久保幹郎はAB型)。両教授はともに,DNA鑑定については日本でも指折りの存在である。
 ところが,原判決はこの両鑑定の信用性を否定した。原審裁判所は結審の1ヶ月ほど前に,一審原告ら代理人の事務所に,「DNA鑑定についてよくわからないから,基本が理解できる文献を証拠提出して欲しい。これは原被告双方にお願いする。」旨の電話をして来た。原審裁判所が,結審直前の時点でDNA鑑定についてほとんど理解が進んでいないことがわかった。それにもかかわらず,原判決は日本の碩学らによる鑑定の信用性をいともたやすく否定してみせた。
 しかし,原判決が両鑑定の信用性を否定する根拠として述べるところは,基本的な生物学上の法則に反しており,論理法則にも反しているのである。したがって原判決は,「誠に恥ずかしい」判決なのである。本書面の目的はそのことを具体的に指摘することにある。
 原判決は,一般にホルマリン固定された試料や陳旧化した試料の鑑定が困難であることを強調し(原判決59〜60頁),結論として両鑑定とも本件鑑定試料が低分子化により鑑定不能であるにもかかわらず結論を出したと述べている。しかし,DNA鑑定の技術のあゆみは,まさに低分子化した微量な試料から鑑定出来るように進歩してきた歴史なのである。原判決は,ホルマリン固定された古い試料だからと,最初から鑑定不能との結論を押し付けているかのようである。 しかし両鑑定は,いずれも熟達した鑑定人が,その困難性を十分に認識しつつ慎重に鑑定結論を出しているのである。原判決の具体的な説示がいかに誤りに満ちたものであるかは,後に示されるであろう。

より一般的には,供述証拠と非供述証拠が対立したときに,そのいずれに信用性を認めるのか,という問題でもある。いうまでもなく供述証拠とは,事件の痕跡が人の記憶に残ったものをいう。人の供述は知覚→記憶→表現→叙述の過程をたどるために,誤りが介在しやすい。他方,非供述証拠とは,事件の痕跡が人の記憶以外の物に残った場合をいう。非供述証拠には,供述証拠のような危うさは存在しない。したがって,供述証拠と非供述証拠とが対立したときは, 供述証拠の信用性が否定されなければならない。
 ところが,この当然の関係が,判決において逆転することが時折ある。例えば,「草加事件」では,被害者である少女のスカートから6箇所,AB型の精液が検出されている。被害者の乳房から脱脂綿で拭き取って採取した唾液もAB型である。さらに,被害者のシャツ後面に付着していた毛髪も,AB型である(いわゆる「AB型3点セット」)。他方,被害者はA型であり,3名の少年はB型とO型のみであった。3名の少年らの捜査段階での自白調書があったが,変遷が 著しい。この事件の民事の損害賠償請求事件において,二審の東京高等裁判所判決(東京高判平6.11.30)は,自白の信用性を認め,精液については「別の機会に付着したものと推認することも可能である」 とし,毛髪については「関係ない機会に付着することも可能である」,唾液については「体垢と混合してAB型を示した可能性が否定できない」とした。自白を物証よりも重視して判断をしたのである。そのためこの判決は,最高裁判所で破棄されることとなった(最判平12.2.7民集54巻2号255頁。荒木伸怡「供述証拠の証明力評価を考える」小田中古希記念祝賀論文集など)。
 原判決は,保土ヶ谷警察署員らによる組織ぐるみの「解剖をみた」とする供述があるために,非供述証拠であるDNA鑑定の信用性を,強引に否定したと疑われる。

本件は「権力の犯罪」というべき事件である。原判決は,2件のDNA鑑定 を,内容に疑問を感じてではなく,それが必然的に導き出す結論を恐れて,あえて信用性を否定したのではないか。原判決の説示の説得性のなさが,そのことを物語っているように思われる。原判決は,裁判所に対する国民の深い不信感を招来するものである。
第2 押田鑑定の信用性に対する原判決の判断について
1 原判決
原判決は,押田鑑定につき「本件鑑定書添付写真に写っている四枚の検出紙は,Cドット又はSドットの発色が認められないか,発色が極めて薄いものであるのに」,「押田鑑定人は…,肉眼では認められたと強弁している」として,「低分子化が進行し,DNA鑑定が不可能又は著しく困難となっていた鑑定試料について,無理に型判定を行って鑑定結果を報告した可能性を否定することができないというべきであるから,その鑑定結果を到底採用することができない。」(原判決62頁)としている。  

2 HLADQA1のCドット,PM検査のSドットの発色は認められる。

(1)
「印画条件変更写真」を無視することの不当性
 これらが発色しているか否かは,専門家である科学者が肉眼検査により判断するべきものであろう。写真は,もともと印画条件を変更することにより,見え方が著しく異なる。現像液に浸している時間が長ければ,全体に濃い(暗い)写真となり,それが短ければ,全体に薄い(明るい)写真となる。鑑定書に添付された写真がどのような印画条件なのかを考慮せずに,その写真が試験紙そのものを肉眼で見たときと同じ見え方をするという前提で判断するのは誤りである。
 押田教授は,鑑定書に添付した写真のネガフィルムを,より濃く焼いたものを「印画条件変更写真」として提出している。この「印画条件変更写真」では,明らかにCドット,Sドットが青色に発色していることがわかる。ところが,原判決はこの「印画条件変更写真」について全く言及しておらず,無視を決め込んでいる。当然のことながら,もともと青色に発色していなければ,いくら写真を濃く焼いても,青色の発色はみえない(「濃く焼く」とは,印画紙を現像液に浸す時間(現像時間) を長く取ることにより,現像写真の濃度を上げることをいう)。
 原判決は,「発色が認められないか,発色が極めて薄いものである」と一括して表現している。しかし,「発色が認められない」ことと,「発色が極めて薄い」ことには,天と地ほどの違いがある。すなわち,「無」か「有」かの違いである。原判決は,「無」か「有」かをレトリックによってごまかそうとしているのである。
 いま,望遠鏡で観察したところ,ある恒星がきわめて弱い光を発していたとする。「極めて弱い光を発している」か,「光を発していない」かは,恒星が存在するのかどうかを分かつ違いである。望遠鏡の倍率を上げれば,恒星の光がよく見えるようになる。観察条件を良好にするという意味では,現像時間を長くして写真を濃く焼くことは,望遠鏡の倍率を上げるのと同じである。「印画条件変更写真」により,誰が見てもCドット,Sドットの発色は明らかとなった。原判決は鑑定書添付の写真だけをみて 「発色が認められないか,発色が極めて薄いもの」と一括して述べる。しかし「印画条件変更写真」により,「発色が認められない」可能性は完全に否定された。「発色がきわめて薄いもの」だったことがはっきりしたのである。原判決は「印画条件変更写真」を無視した結果,事実を誤認したものである。

(2)
原判決の論理的な誤り
 「(試験紙のSドットの)発色が認められないか,発色が極めて薄い」という命題は,命題「A」(Sドットの発色がある)と命題「非A」(Sドットの発色がない)とを両方含んだ命題「Aもしくは非A」である。しかし「Aもしくは非A」からは,「押田鑑定は到底信用出来ない」という結論は導きだせない。少なくとも「非A」であることがはっきりしてはじめて,その結論に到達しうるのである。したがって原判決は事実を誤認しているばかりか,論理的にも誤っていることが明らかである。

3 Sドットの発色が「きわめて薄い」ことは型判定の正確さに原理的にどう影響するか

(1) HLADQA1検査のCドットないしPM検査のSドットは,もともと試験紙中,他のドットと比べて最も薄く発色するように設計されている(試薬販売会社のプロトコールによれば,「The "S" dot is designed to be the lightest typing dot on the PM DNA probe strip」(乙A第10号証の1)と記載されている。直訳すれば「Sドットは,ポリマーカーDNA試験紙片のなかで,もっとも薄い型のドットとしてつくられている。」)。これは,Cドット,Sドットと反応するDNA断片が, 他のドットと反応するDNA断片と比べてもっとも高分子だからである。したがって,Cドット,Sドットの発色が「薄い」こと自体は,もともと予定されていることである。


出典:ワシントン大学医学博士Dr. Donald Rileyの「DNA検査」
http://www.scientific.org/tutorials/articles/riley/riley.html

(2) ところで,科学警察研究所の研究員らが書いた,「証拠資料のDNA型検査においてAmplitype PM検出キットの有効性評価」という論文(『DNA多型vol.3』甲39)ではつぎのような事例が報告され,所見が述べられている。
  ある陳旧資料(17年前の血痕)をPM検査したところ,Sの発色は認められなかった(すなわち,HLADQα型のPCR増幅が認められなかった)。この資料では500bp以下のDNAしか確認できなかった。当時はHLADQα型の検出のためには500bp〜2000bpのDNAが必要と考えられており,Sの発色が認められなかったのはDNAの分解が進みすぎたからであった。他方,HBGG,D7S8,GCについては強い発色が認められ,これらの座位については十分にPCR増幅 がなされていると考えられた。これらの型についてはアガロースゲル電気泳動させた結果,明瞭なバンドが認められた。このような場合の考え方として,「実際の鑑定資料においては,HLADQα型が検出されないことがあり,PMのSの発色が認められない場合一切型判定を行わないという考え方であれば,このような資料からの型判定は実施しえないことになる。一方,アガロースゲル電気泳動で増幅産物が明瞭に確認できた座位については,型判定可能であるという考え方をとれば,従前MCТ118型 及びHLADQα型の両者の検出が不可能であった資料からもPMの型検出が可能となり,資料間の異同識別が実施し得るところとなる。」(甲第39号証319頁)としている(bpとは,base pairの略記で,塩基対のこと。ここでは塩基対数のこと)。
 すなわち,この科警研論文は両論併記のかたちで,Sドットの発色がない場合でも型判定可能との考え方を示しているのである。 もちろん,押田鑑定はこのうちの後者の考え方によったものではない。前者の考え方によりプロトコールどおり,Sの発色が認められない場合は判定を行わないという考え方にしたがっている。
 この点に関連し科学警察研究所の副所長であった瀬田季茂氏は,S発色がない場合の型判定について積極的な発言をしている。「PM検査ではSドットに結合するHLADQα座位の増幅産物は前にも述べたように,他のものにくらべて最も大きい塩基対を持つ。したがって,日時の経過した資料,分解を受けたかもしれない資料を検査する場合,Sドットが呈色しないでこれよりも増幅産物が小さい他のドットが呈色するようなことにしばしば遭遇する。このような場合のPMの各型の判定を積極的に行 うための方策も確立されている。すなわち,Sドット以外の判定の基準たるコントロールシステムを開発することにより,PMの各型を正確に判定しうることになる。」(『証拠物件のDNA鑑定にみる科学的背景(下)』甲61−3・173頁)。
 原理的には,Sドットの発色が薄くなるのは,Sドットの蛍光試薬に相補的に結合するべき塩基配列部分が,相対的に長く(高分子であり),破壊されている確率が高いためである。他のドットが十分発色しているということは,他のドットに塗られた蛍光試薬に相補結合すべき塩基配列部分は相対的に短く(低分子であり)破壊をまぬがれ,十分増幅できたということである。それは,鑑定試料に問題の塩基配列部分が実在したことを示している。したがってSドットが発色していなくても原理的には型 判定が可能なのである。本件の押田鑑定のPM検査では,原判決によれば「きわめて薄い」にせよ,Sドットの発色があったのだから,型判定の正確性には全く問題がなかった。

第3 本田鑑定の信用性に対する原判決の判断について

1 常染色体STR検査について

(1)
原判決
 本田鑑定はSTR検査で型判定をし,結果の再現性があるとしている。これに対して原判決は,他の2鑑定では,STR検査で型判定が出来なかったところ,これらの鑑定に差異をもたらした特段の事情は認められず, 「本田鑑定においてのみ,他の2つの鑑定と異なり,TH01型判定を含め,STR検査を行なうことが出来たのかとの疑問を払拭することができない」(原判決63〜64頁)とする。

(2)
他の2鑑定と検査座位が異なる
 しかし原判決が認めるとおり,STR検査といっても,TH01以外は,本田鑑定は他の鑑定と検査座位(ローカス)が異なっている。STR検査とは,Short Tandem Repeatの頭文字を取ったものであり,直訳すれば「短い配列の繰り返し」のことをいう。すなわち,ヒトのDNAには,2〜5の短い特定の配列が何回も繰り返していて,その繰り返し回数が多型を示す部分が多数散在している。ひとくちにSTRといっても,そうした部分は全部で2万ヶ所ほどあるといわれている。
 検査座位(ローカス)が異なるのだから,同じく「STR検査」をやっているというだけで,本田鑑定を他の2鑑定と単純に比較することは出来ない。

(3)
ティーエスエル社の鑑定は「コンタミネーション」(混入したDNAの増幅)を起こしている。
 ティーエスエル社の鑑定は,STR検査でひとつのローカスにつき,4つも5つもの因子(アリール)を検出している。すなわち,D3S1358ローカスにおいては,13,17,15,16の4つのアリールが検出されている(数字は配列の繰り返し回数を示す)。またD8S1179ローカスでは,10,12,13,15,16という5つのアリールが検出されている。TH01ローカスでは,6,7,9の3つのアリールが検出されている。
 生物の授業で習うように,ヒトの場合,受精卵は,減数分裂した精子と卵子からそれぞれ23本ずつの染色体(22本の常染色体と1本の性染色体)を受け継ぐため,染色体数は46本となる。つまり「遺伝子」は父由来のものと母由来のものと,2つある。ヒトは「2倍体」(染色体が2組からなる個体)なのである。
 だから,ヒトのDNA鑑定において,あらゆる検査座位(ローカス)において因子(アリール)は2つある。父親由来の因子と母親由来の因子の型が偶々同じであれば,因子はひとつしか検出されない(ホモ接合体。例えば,ABO式血液型のAA型)。父親由来の因子と母親由来の因子が異なれば,2つ検出される(ヘテロ接合体。例えば,ABO式血液型のAB型)。これは多くの有性生殖をする動物に共通する。
 したがって4つも5つものアリール(因子)が検出されたということは,鑑定試料以外の細胞が混入しているのである。その多くは,検査者自身の細胞である(鑑定試料以外の細胞が混入し,混入した細胞のDNA断片を増幅してしまうことを「コンタミネーション」という)。ティーエルエス社の鑑定は,コンタミネーションを起こしていることが明らかである。そしてティーエスエル社自身,「アメロジェニン検査」において,あるときはX染色体のみが検出され,あるときはX染色体だけでなくY染色体も検出されたことについて「複数の結果が得られた原因については,試料に接触した人由来のDNAが検出された可能性も考えられます。」「当社の技術不足が原因である可能性は否めません。」とコンタミネーションの可能性と技術不足を自認している。常染色体STR検査においては,上記のように4つも5つものアリールが検出されたことから,確実にコンタミネーションを起こしているのである。
 こうしたことを度外視し,ティーエスエル社の鑑定と本田鑑定とを同列に論じて,「本田鑑定と押田鑑定又は私的鑑定との間に差異をもたらすような特段の事情は,本件全証拠によっても認められない。」(原判決63頁)とは到底言えない。
 ところで,TH01ローカスにつき,本田鑑定は7/7型(数字は配列の繰り返し回数)であると判定しているところ,ティーエスエル社の鑑定ではTH01ローカスにつき,6,7,9の3つのアリールが検出されている。ティーエスエル鑑定でも「7」型が検出されており,これが提供臓器およびブロックに由来すると推定することが出来る。そして「6」,「9」というアリール(因子)は,ティーエスエル社でコンタミネーションを起こした結果であると推定される(検査者自身のDNA型を判定しておくことが検査者の規範である。ティーエスエル社の鑑定は,4つも5つものアリールを検出しておきながら,検査者自身のDNA型が示されていないため,「コンタミネーション」が検査者自身のDNAに由来するかどうかすら確認が取れないのである。この場合,検査者のTH01ローカスのDNA型は6/9型であれば矛盾がない。)。
 原判決は,技術不足を自認する鑑定に,優秀な科学者の鑑定の「足をひっぱる」役割をさせているのである。

(4)
本田鑑定は「マイクロダイゼクション」を行なっている。
  本田鑑定は,「パラフィンブロック標本では,細胞核の密度の高い細胞群からDNAを抽出するために,マイクロダイゼクションを行った。」としている。
 「マイクロダイゼクタ」(日本法医学雑誌59巻第1号51頁)は,古い試料からのDNAの抽出に当たり,細胞内のDNAの破壊が進んでいるか,それほど進んでいないかを見分け,破壊をまぬがれている細胞だけを選別する機械である。この機械は数千万円する高額なものであるが,この機械を持つ筑波大学法医学教室がSTR検査で型判定をするのに成功しやすい条件を備えていた。
 こうした選別機械をもってすれば,手当たり次第に検査するのとは,著しく効率が異なることは想像に難くない。原判決はこうした条件の違いに考えが至らず,「本田鑑定と押田鑑定又は私的鑑定との間に差異をもたらすような特段の事情は,本件全証拠によっても認められない。」(原判決63頁)と誤った判示をしている。

2 性別判定について

(1) 本田鑑定

1)アメロジェニン検査
本田鑑定は,アメロジェニン領域のPCRによる性別判定では「X染色体のバンドのみが増幅され,Y染色体の増幅が見られなかった。なおこれは繰り返し実験を特に入念に行い,結果に再現性があることを確認した。」としている。  性染色体であるX染色体,Y染色体は,両方に共通の塩基配列部分を持っているが,「アメロジェニン」はそのような共通の配列部分にあるローカスである。ただ,X染色体では,Y染色体に存在する6塩基の配列が欠損している部分があるので,この部分を含むようにDNA断片を切り出すと,X染色体はY染色体に比べて6塩基短い増幅断片を生ずることになる。したがって,男性では2本,女性では1本のバンドとなり,男女が識別できるのである。

2) X染色体STR検査
また本田鑑定は「X染色体STR検査」を行い,「ARAは17/21型(273bp/285bp),STRXは14/15型(320bp/324bp)と判定され,したがって,これらの試料は全てXX型である。(図20,21,22,25)」としている。X染色体STRは,X染色体中で,特定の短い配列が繰り返しあらわれ,その繰り返し回数が個体によって多型を示すものをいう。(17/21型(273bp/285bp)とは,短い塩基配列のリピート数が17回のものと,21回のものとがあり,制限酵素により切り出されたDNA断片の塩基対数は,273対,285対であったということである。) ヒトは染色体が2セットある「2倍体」であるが,性染色体は,減数分裂をした卵子にはX染色体1本が,精子にはX染色体1本もしくはY染色体1本が入っている。受精卵が男性であればX染色体とY染色体を1本ずつもち,女性であればX染色体を2本持っている。したがって女性はXX型,男性はXY型と表記される。男性にはX染色体が1本しかなく,女性にはX染色体が2本ある。本田鑑定は「X染色体STR検査」において,ARAでは17/21型,STRXでは14/15型と判定している。X染色体の特定のローカスでアリールが2つあるということは,X染色体が2本あるということである。つまり,性別判定は女性ということである。 なお,「HPRТBは11/11型(279bp/279bp)であった。」とするが,これはそのローカスにおいてホモ接合体だったことを示している。

(本田鑑定の図21)

3) Y染色体STR検査
  本田鑑定は,「YSTR9部位の検査を行ったところ(DYS19,DYS389T,DYS389U,DYS390,DYS391,DYS392,DYS393,DYS385,YCAU),…いずれからも増幅できなかった。したがって,これらの試料はY染色体を有しないことが判明した。」としている。
  以上のアメロジェニン検査,X染色体STR検査,Y染色体STR検査の結果から,本田鑑定は鑑定試料の性別を女性であると判定している。

(2) 原判決

    これに対して原判決は,ティーエスエル社のアメロジェニン検査で,Yバンドが増幅されたことがあることから,「本田鑑定においてX型のみが増幅されたのは,DNAの低分子化によって,もともと存在していたはずのY型が検出されなかったことに起因する可能性を否定できず,本田鑑定こそが唯一の正しい判定結果であったとは直ちに認めることはできない。したがって,本田鑑定の結果には合理的な疑いが残り,同鑑定結果を採用することはできない。」(原判決64頁)としている。

(3) 原判決の明らかな誤り

1)
ティーエスエル社の性別判定は,コンタミネーションの結果である
 前述のようにティーエスエル社の鑑定では,STR検査において,ローカスによっては3つ,4つ,5つのアリールが検出されている。くどいようだが,ヒトゲノムは2セットである。受精卵は,1つのローカスにつき,父親(精子=減数分裂した1セットのゲノム)からひとつのアリールを,母親(卵子=減数分裂した1セットのゲノム)からもうひとつのアリールを受け取る。そのアリールがたまたま同じ型であるときは,ホモ接合型,違う型であるときはヘテロ接合型という。要するに,ひとつのローカスで検出されるアリールは,2つまたは1つなのである。3つ以上のアリールがひとつの細胞から検出されることはない。したがって,前述のように,4つも5つもアリールが検出されるということは,検査試料に複数の個体の細胞が混じりあった結果としか考えられないのである。ティーエスエル社の鑑定は,STR検査では確実に「コンタミネーション」を起こしている。
 したがってアメロジェニン検査において,ときどきY染色体が検出されているのも,コンタミネーションの結果である蓋然性が高い。検査者が男性であれば,そのY染色体が混入した蓋然性が高い。ティーエスエル社がみずから,「複数の結果が得られた原因については,試料に接触した人由来のDNAが検出された可能性も考えられます。」「当社の技術不足が原因である可能性は否めません。」とY染色体が検出されたことは,コンタミネーションである可能性,そしてそうなったのは技術不足であることを自認しているのである。
 原判決はここでも,ティーエスエル社がコンタミネーションにより誤ってYバンドを増幅させたことをもって,本田鑑定の信用性を否定し,技術不足を自認する鑑定に,優秀な科学者の鑑定の「足をひっぱる」役割をはたさせているのである。

2)
Y染色体が検出されないのは,「鑑定試料の陳旧化」で説明できるか
 本田鑑定は,YSTR検査で9つのローカスを検査しており,いずれにおいてもYバンドの増幅はなかった。ところで,本田鑑定が検査したY染色体STRの各ローカスの塩基対数は,下表のとおりである。
 

ローカス名 塩基対数 ローカス名 塩基対数
DYS19 181〜205bp DYS392 247〜262bp
DYS389T 243〜260bp DYS393 112〜136bp
DYS389U 286〜318bp DYS385 345〜393bp
DYS390 178〜206bp

瀬田季茂 「続犯罪と科学捜査―DNA鑑定の歩み」(東京化学同人)217頁より


 ところが,本田鑑定において,X染色体STR検査において,320bp/324bp,273bp/285bpのものが増幅されている。また常染色体STR検査では,251bp/281bp,187bp/187bpのものが増幅されている。
 これらに比べても,Y染色体STRの各ローカスの多くは,相対的に低分子である。したがってY染色体が存在していれば増幅されるはずなのである。
 原判決のいう「陳旧化によりYが増幅されなかった可能性」というのはたんなる論理的可能性の指摘にとどまる。確率計算をしてみても,現実的にはほとんど考えられないことなのである。Y染色体の9つものローカス(いずれも低分子)で検査をして,いずれも増幅されなかったことから,Y染色体が存在しないと十分の合理性をもって推認できる。

3)
原判決は,Xバンドが2本検出されていることを無視している。
 そして原判決が決定的に誤っているのは,「X染色体STR検査」で,Xバンドが2本検出されていることを無視していることである。原判決は「本田鑑定においてX型のみが増幅されたのは,DNAの低分子化によって,もともと存在していたはずのY型が検出されなかったことに起因する可能性を否定できず,本田鑑定こそが唯一の正しい判定結果であったとは直ちに認めることはできない。したがって,本田鑑定の結果には合理的な疑いが残り,同鑑定結果を採用することはできない。」(原判決64頁)という。Y染色体STR検査やアメロジェニン検査の検査座位(ローカス)が低分子であるから,原判決の指摘する可能性は現実的には殆どありえないことは前述のとおりである。
 しかも本田鑑定は「X型のみが増幅された」(Y型が増幅されなかった)というだけのものではない。X染色体STR検査において「X型のアリールが2つ増幅された」のである。つまりX染色体が2本あり,「XX型」であり,女性であることがはっきりした。これは,「DNAの低分子化によって,もともと存在していたはずのY型が検出されなかったことに起因する」ことでは全く説明出来ない。「XY型」ではX染色体は1本しかなく,X染色体の同じローカスで2つのアリールが検出されることはありえないからである。
 原判決は,本田鑑定の性別判定の方法を理解すらしないまま,一知半解の知識でその信用性を否定してみせた誠に恥ずべき判決なのである。
 (性染色体異常による先天性の奇形としてクラインフェルター症候群というのがあり,XXYという遺伝子型である。しかし生殖能力がないため,子供が生まれることはない。)

2 血液型判定について(管理人注:項番号は本来3のはずですが、このまま掲載。)

(1) 本田鑑定

     本田鑑定は,「解離試験による,ホルマリン固定臓器からの血液型判定」により,血液型を「B型」と判定した。そして,「PCR―SSCP法によるABO式遺伝子型判定」において,臓器,ブロックの血液型は「BO型」であると判定した。
     他方,故久保幹郎の血液型は「AB型」である。
     したがって両者は明らかに矛盾し,臓器,ブロックは故久保幹郎のものではない。

(2) 原判決

     原判決はこの点について,「なお,本田鑑定においては,DNA鑑定のほかに,解離試験による血液型検査を行っており,幹郎がAB型(甲12,15,乙A38)であるのに対して,鑑定試料の血液型はBO型であるとの判定がなされているが,証拠(証人押田)によれば,血液型検査においてもA型物質が壊れればO型のような反応にみえることはあり得るところ,上記のような鑑定試料の状態に鑑みれば,上記血液型検査をDNA鑑定とは別異に考えて,これのみを採用することはできない。」(原判決64頁)としている。

(3) ABO式血液型の判定方法

     この原判決の判示部分が正しいか否かを検証するため,以下,ABO式血液型とは何か,その判定方法はどのようなものかを確認しておく。
    1)ABO式血液型とは
      ここで,まず,ABO式血液型とは何かを,法学部の履修単位である法医学の教科書により確認しておく。
     輸血をしようとしても,患者と血液の提供者が異なる血液型であれば,混ぜ合わせた血液が凝集して沈殿することが知られている。これは「抗原抗体反応」のひとつである。
     (異物が体内に侵入してくると,生体にはこれを排除しようとする働きが出てくる。これ を免疫といい,その代表例が抗原抗体反応である。自分が持っていない異物のことを抗原 という。抗体は血清中に存在していて,血液中に入った異物と結合して沈殿してしまう。 例えばスギの花粉症は,スギの花粉が抗原となるが,ある抗体が過剰につくられアレルギー症状となっている。)
     ところで,血液は透明な血清部分と血ぺい部分(赤血球,白血球,血小板など)に分離できる。A型の赤血球膜上には,A型の抗原(A抗原)がある。そしてB型の血清中には,A抗原に対する抗体(抗A抗体)がある。したがってB型血清中にA型の赤血球を入れると,凝集する。これに対して,B型の赤血球膜上にはB型の抗原(B抗原)がある。そしてA型の血清中には,B抗原に対する抗体(抗B抗体)がある。したがって,A型血清中にB型の赤血球を入れると凝集反応が起こる。
     AB型の赤血球膜上にはA抗原とB抗原の両方がある。他方,AB型の血清中には,抗A抗体も,抗B抗体もない。O型の赤血球膜上には,A抗原も,B抗原も存在しない。他方,O型の血清中には,抗A抗体と,抗B抗体と両方がある。
     以上を整理すると以下のようになる。

    • A型:赤血球にA抗原、血清中に抗B抗体をもつ。
    • B型:赤血球にB抗原、血清中に抗A抗体をもつ。
    • AB型:赤血球にA,B両方の抗原をもち、血清中にはどちらの抗体も持たない。
    • O型:赤血球にA,Bどちらの抗原もなく、血清中に抗A抗体、抗B抗体をもつ。

    2)血液型の一般的な検査方法
     一般的な血液型の判定方法は,凝集反応をしらべるものである。
     すなわち,あらかじめ用意したA型血清,B型血清中に,試料となる血液を混入して,凝集反応が起こるかどうかをしらべる方法である。試料をA型血清に入れても凝集せず(−反応),B型血清に入れると凝集した(+反応)とする。すると下表に示されるように,その試料はA型の血液であることがわかる。試料をA型血清に入れても,B型血清に入れても,いずれも凝集すればAB型である。いずれも凝集しなければO型である。これを「おもて試験法」と呼んでいる。これは試料の赤血球膜上の抗原物質をしらべているのである。
     これとは反対に,試料の血清中の抗体をしらべる方法もある。これは,試料に,あらかじめ用意したA型の赤血球,B型の赤血球を混入して,凝集が起こるかどうかをしらべる方法である。O型の血清中には,抗Aと抗Bとが含まれている。したがって,O型の血清中にA型の赤血球を混ぜても,B型の赤血球を混ぜても,凝集が起こる。他方AB型の血清中には抗Aも抗Bも存在しないので,A型の赤血球を混ぜても,B型の赤血球を混ぜても,凝集は起こらない。これを「うら試験法」と呼んでいる。
     以上を整理すると以下のようになる。

    • おもて検査:未知の血球に抗A血清または抗B血清を加えて、赤血球のA型及びB型抗原の有無を調べる。
    • うら検査:未知の血清にA血球、B血球を加えて、血清中に存在する抗A、抗B抗体の有無を調べる。

    (+)凝集あり。(−)凝集なし。
    A型 B型 AB型 O型
    おもて試験
    (血球検査)
    抗A血清(+)
    抗B血清(−)
    抗A血清(−)
    抗B血清(+)
    抗A血清(+)
    抗B血清(+)
    抗A血清(−)
    抗B血清(−)
    うら試験
    (血清検査)
    A血球(−)
    B血球(+)
    A血球(+)
    B血球(−)
    A血球(−)
    B血球(−)
    A血球(+)
    B血球(+)


     こうした凝集反応の有無の検査でわかるのは,その血液型の「表現型」だけである。すなわちA型,B型,AB型,O型しかわからない。さらにA/A型,A/O型,B/B型,B/O型などの「遺伝子型」まではわからず,これを知るためには親子の血液型を調べるか,もしくは血液型のDNA鑑定をしなければならない。
     例えばエンドウマメにおいてマメが丸い形質のものと,しわのある形質のものがある。これらを純系どうしで掛け合わせると,すべて丸い形質のものが生まれる。丸い形質の遺伝子をA,しわのある形質の遺伝子をaとすると,雑種第1世代はすべてAa型となり,A遺伝子のみが形質としてあらわれる。これをメンデルの「優性の法則」という。雑種第2世代では(A+a)×(A+a)=AA+2Aa+aaとなるから,丸い形質としわのある形質は3対1であらわれる。
     ABO式血液型では,AとBには優劣はなく,AとOではAが優性,BとOではBが優性である。したがって遺伝子型ではBBでもBOでも,発現する形質は同じ「B型」である。生物の外形から判定できる性質のことを「形質」といい「形質」は遺伝用語で「表現型」という。(岩波ジュニア新書「生物の小事典」より)

    3)解離試験
    本田鑑定は,「解離試験により,ホルマリン固定臓器から血液型判定を行ったところ,B型と判定された。(図17)」としている。 ABO型の抗原物質は,体の赤血球以外の部分にも存在する。 「解離試験」は,これを検査するために開発された方法であり,法医学の教科書には,次のように説明されている。
     「これは,抗原に結合した抗体が56℃では解離するという性質を利用した方法で,まず未知試料に既知抗血清を加えて反応させ,よく洗浄した後に生理食塩水を加えて数分間,56℃に熱し,解離してくる抗体の存否を対応赤血球の凝集により調べるというもので,吸収法より鋭敏である。」(東京大学法医学教室編「法医学の新しい展開」162頁)
     「乖離法 押しつぶした毛髪や爪の小片を試験管にとり,抗A,抗B,抗H凝集素を加えて十分に反応させる。この検体を冷却した生理的食塩水で洗浄する。少量の食塩水を加えて55度で10分加熱すると,検体と結合した抗A,抗B,抗H凝集素が検体から解離する。これにA型,B型,O型の血球を加えて反応の有無を観察する。抗A抗体―A型血球を加えた系が凝集すれば,検体にA抗原があると判定する。」(勾坂馨「法医解剖」92頁)
     「この方法は感度的にきわめて鋭敏ですぐれている」(南山堂「法医学小辞典」)とされている。

    図 抗B抗体(例)による解離試験の原理

      @抗体を4℃〜6℃で吸着させる。
      A結合しない過剰の抗体を生理食塩水で洗浄排除。
      B52℃〜56℃で結合している抗体を解離する。
      C/D解離抗体が正常のAまたはB型赤血球と凝集する場合は、被検赤血球に当該抗原が存在する。
      (出典:医歯薬出版株式会社刊Medical Technology 2003 Vol.31 No.13 輸血検査のすべて P1475より)

     解離試験は,たとえて言えば,次のような方法である。ある鍵穴のタイプが知りたかったとする。いくつかの鍵を差し込んでみる。合う鍵があったら,それを外し,あらかじめタイプが分かっているいくつかの鍵穴に差し込んでみる。差し込むことが出来たら,それが知りたい鍵穴と同一のタイプである。
     解離試験も,凝集反応を利用する方法であるから,ABO式血液型は「表現型」しか判定できない。本田鑑定において臓器の血液型は,解離試験により,心臓片から,血液型は「B型」と判定された。

    4)ABO式血液型のDNA鑑定
      最近では,ABO式血液型を,DNA鑑定により,判定できるようになった。
     その原理をかんたんに説明すると,以下のとおりである。
     <ABO式の血液型の違いをもたらすものは何か―H抗原,A抗原,B抗原>
     これは,赤血球表面にある「抗原」のちがいによる。
     O型のひとは,赤血球表面に,「ガラクトース-フコース」という糖を持っている。これを「H抗原」という。A型のひとでは,H抗原の「ガラクトース」に「N−アセチルガラクトサミン」という糖が付加している(A抗原)。B型のひとは,同じ「ガラクトース」にもうひとつ「ガラクトース」が付いている(B抗原)。AB型は,その両方を持っている。

    赤血球上の抗原模式図

    <どうして抗原が異なるのか>
     これは,ひとつの酵素の違いによりそうなったのである。すなわち,ヒトの遺伝子には「グリコシルトランスフェラーゼ」という転移酵素がコードされている。
     A型のひとでは,この転移酵素が「N‐アセチルガラクトサミン」をH抗原に結合させる。B型では酵素遺伝子に変異があって,転移酵素は活性があるがH抗原にガラクトースしか結合させることができない。A型とB型とでは,転移酵素の遺伝子中の7つの塩基が異なるだけである。一方,O型では,A型の転移酵素の遺伝子の中の1塩基が欠損している。そのために「グリコシルトランスフェノラーゼ」が活性を失い,H抗原に糖を結合させることができない。ABO式血液型の違いは,転移酵素の遺伝子変異なのである。

    図 H抗原からA抗原,B抗原への変化とその触媒

    <転移酵素の遺伝子の塩基配列は,A型,B型,O型でどのように異なるのか>
     1990年,YamamotoらはABOの転移酵素の遺伝子のcDNA (メッセンジャーRNAに相補的なDNA)の塩基配列を決定した。これは1065塩基から成る。 A型転移酵素の塩基配列と,B型転移酵素の塩基配列をくらべると,7箇所に塩基置換が認められる。 この塩基置換により,これらのcDNAがコードする354個のアミノ酸のうち,4箇所にアミノ酸の置換が起こる。 O型のcDNAは,基本的にA型のcDNAと同じであるが,261番目の塩基(G)の欠損により, 117番目のコドンは停止コドンとなり,不完全なタンパク質しか合成できず,酵素活性はないこととなる。

    ,B,O遺伝子のcDNA塩基配列と推定されるアミノ酸配列の比較


     

    ABO遺伝子の染色体座位と構造

                  
     ここで確認をすると,DNAはA(アデニン),G(グアニン),C(シトシン),T(チミン)の4塩基が並んだ一本鎖が相補的に二重らせん状に結合したものである。3つの塩基の配列(コドン)が,ひとつのアミノ酸の暗号となる。二重らせんがほどけ,メッセンジャーRNAが遺伝暗号をcDNAから転写し,細胞核の外に泳ぎだす。そしてリボソームにおいてメッセンジャーRNAが伝えた暗号を,トランスファーRNAが次々とアミノ酸に「翻訳」をし,アミノ酸がひとつひとつ結合して行く。こうしてアミノ酸がつながったものが,タンパク質である。だからDNAはタンパク質を合成する暗号となっている。酵素はタンパク質の一種で,化学反応を触媒する。こうして,DNAの塩基配列のちがいが,酵素のちがいをもたらすのである。
     なお,3つの塩基の配列(コドン)は,4×4×4=64通りある。このうち,60通りがアミノ酸に対応している。AUGはこれからタンパク質を合成するという暗号(開始コドン),UAA,UAG,UGAはこれ以上タンパク質を合成しないという暗号(停止コドン)となっている。(岩波ジュニア新書「生物の小事典」より)          
     

    図 DNA情報がmRNAに転写され,tRNAによりアミノ酸に翻訳され
    タンパク質が合成される過程
    細胞の世界 村松正實 木南凌 西村書店 P53 DNAサイエンス 第2版 医学書院

    <O型遺伝子のサブタイプの発見>
     ABO遺伝子のcDNAの塩基配列の決定後,O型遺伝子のさまざまなサブタイプが発見された。261番目の塩基(G)の欠損により,O型遺伝子が検出されるが,さらに297番目の1塩基の置換,681番目の1塩基の置換などがあることがわかり,O型のサブタイピングが可能となった。

    日本人における主要なABO遺伝子型10型の塩基置換
    ABO遺伝子型 塩基の位置(1065塩基のうち何番目の置換か)
    261 297 681 703 803 802
    AA
    AO G/A
    AO G/A G/A G/T
    BB
    BO G/A G/A C/T G/C
    BO G/A C/T C/T G/C
    G/A C/T
    AB G/A C/T C/G

    (DNA多型vol.9「SnaPshot Kitを用いたSNP解析による新しいABO遺伝子型判定法」より)

     本田鑑定は「PCR―SSCP法によるABO式遺伝子型判定」において,臓器,ブロックの血液型は「BO型」であると判定している。本田鑑定は,ABO遺伝子の塩基配列を読んだのである。

(4) 原判決の明らかな誤り
  あらためて原判決を読んでみると,原判決は本田鑑定の「血液型判定」については「解離試験」によりB型であることが確認されたという点だけを取り上げており,本田鑑定がDNA鑑定によりABO遺伝子の鑑定をしたことに全く触れていない。
  原判決がいう「証拠(証人押田)」とは,原審第25回口頭弁論の押田証人の以下の証言部分を指している。
 【問】対象資料が鮮度のいい段階で鑑定をしてればA/Bと出るべきところが,長い期間ホルマリンに漬かっていたことが原因でB/Bと出てしまうことは,一般論的にはあるんですか。
 【答】これは血液型のほうではもうよくあることです。これはA型の人を検査したときにA型物質が壊れていればO型のような反応に見えるということはもう日常茶飯事にあることです。(原審第25回,証人押田53頁)
 血痕が古く微量だと,赤血球膜上の抗原が破壊されていることがある。例えばA型の血液であっても,A抗原が破壊されたため,B型血清に入れても凝集反応をせず,O型にみえることがある。これが押田鑑定人の上記証言部分の趣旨である。押田証言は,血清を使用したおもて試験のことを念頭に置いている。
 これに対して,本田鑑定は,血液型を決定する「転移酵素」の「遺伝子型」を調べているのであり,その結果,B型とともに,O型(しかもそのサブタイプ)の遺伝子を特定したということである。
 ABO式血液型の一般的な検査方法は,赤血球上の抗原がどの種類であるかを,どの抗体と結合するかによりしらべている。これに対して,ABO遺伝子の検査は,H抗原をA抗原,B抗原にする化学反応を触媒する酵素(タンパク質)を合成する遺伝子の塩基配列をしらべている。その遺伝子は,すべての細胞核内の染色体上にある。これら検査方法では,しらべる対象の物質が全く異なっている。

 DNA鑑定でO型の遺伝子が判明したということは,「抗原抗体反応の結果,A抗原も,B抗原も存在しなかった」という事実を根拠とするものではない。「O型の遺伝子(すなわち261番目の塩基(G)が欠損したもの)が検出された」という事実を根拠とする。
 A遺伝子とO遺伝子では,前述のように,261番目のG塩基の欠損という基本的なちがいがある。「A遺伝子がO遺伝子に変わる」などということは余りにも馬鹿げたことであり,絶対にありえない。
 また,「AB型のひとのA遺伝子が陳旧化により検出されなくなり,B遺伝子とO遺伝子が検出された」,ということも絶対にありえない。ヒトの染色体は「2倍体」であり,「対立遺伝子」(アリール)は2つしかないからである。原判決のようなことを述べれば,「陳旧化」前はA,B,Oという3つの遺伝子を持っていたことになってしまう。
 原判決は,ここでも致命的な誤謬をおかしている。
 原判決はそもそも,本田鑑定が血液型のDNA鑑定を行なったことを理解していないか,全く無視しているか,いずれかである。

第4 DNA鑑定に対する原判決信用性評価の誤り―まとめ

 原判決は,押田鑑定のPM検査において,Sドット,Cドットの発色を明確に示す「印画条件変更写真」の存在を無視して,「発色がないか,極めて薄い」という誤った判断を行なった。そして誤った前提に立ったうえに,さらに論理的な誤謬をおかして,押田鑑定の信用性を不当にも否定した。
 原判決は,STR検査においてティーエスエル社がコンタミネーションを起こしているという歴然たる事実を棚に上げ,また同社の技術不足の自認にもかかわらず,これを本田鑑定と同列に扱い,不当にも本田鑑定の信用性を否定した。 また,本田鑑定がマイクロダイゼクションを行なっていることを無視した。
 原判決は,性別判定において,本田鑑定を,Y染色体が検出されなかったというだけの鑑定と理解し, X染色体が2本検出されたという事実を全く無視した。 原判決が指摘する資料の陳旧化によりY染色体が検出されなくなった可能性は,たんなる論理的可能性にとどまり,現実的には考えづらい。 しかも,X染色体が2本検出されたという現実の前には,その説明は何の意味も持たない。
 血液型判定について,原判決は本田鑑定を「解離試験」でB型と判定したというだけの鑑定と理解した。 そして本田鑑定がDNA鑑定によりABO式血液型をBO型と判定したことを全く無視した 原判決はここでも,「解離試験」でB型と判定されたのはAB型のAが壊れてB型と判定された可能性を指摘する。 しかしDNA鑑定では鑑定試料はBO型の遺伝子であり,AB型の遺伝子がこわれてBO型の遺伝子となうことは絶対に起こりえない事態である。
 原判決は,本田鑑定の肝心な部分を全く理解せず,独自の理解を前提にしたも ので,生物学の基本法則にも,論理法則にも反する結論を導き出している。
 原判決は,破棄されるほかないのである。  

以上
 

付 記

T. ヒトの細胞分裂

@体細胞
体細胞分裂をする 2nから2nへ
A生殖細胞(精子・卵子をつくる細胞)
減数分裂をする 2nからnへ(染色体数が半減する)
卵子の染色体は22+Xのみ。精子の染色体は22+Xと22+Yの2種類。

常染色体 性染色体
男子 No.1からNo.22まで22種一対ずつ XY
女子 同上 XX

U. 染色体 ヒトの染色体は23対46本ある。

V. 血液型のまとめ

  • 血球凝集反応によるABO式血液型表記法を「表現型」という。
  • 第9染色体長腕部(9q34.1−q34.2)に位置するABO遺伝子へのDNA鑑定による血液型遺伝子表記法を「遺伝型」という。
  • AとBは優劣がなく、A及びBは共にOに対して優性なので、血液型検査では結果的に、AA・AO→A型、BB・BO→B型、AB→AB型、OO→O型になる。
表現型 遺伝型
A型
B型
AB型
O型


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