県警側・準備書面(1)
原告側の控訴理由書に対する、神奈川県警の反論。

極めて特徴的な点は、(1)反論の大部分において地裁判決を引用している、(2)押田鑑定については文章を多く割いて反論している一方、本田鑑定については何ら触れていない、(3)「解剖痕はなかった」という吉川葬儀社社長の証言を憶測で否定し無視している、(4)司法解剖があったという主張の根拠は、もっぱら立会警察官の証言・関係書類に依拠していること、だろう。

HP管理人は、この県警による反論を読み進むうちに、その余りに詭弁・屁理屈で固めた主張の羅列と、原告に対する重箱の隅をつつくような難癖の数々に対し、怒りを抑えることができないほどであった。こうして、自らの組織犯罪を公然と隠蔽し、その罪を免れようとしている神奈川県警は、もはや警察の名にも公的機関の名にも値しない、市井の暴力団にも等しいものと考える。

原告側は、この県警の反論に対し、再反論を行っている(後日掲載予定)が、これとは別に、現時点でHP管理人に於いて気がつく点について、その屁理屈ぶりに注釈を付け、「解説」の形で後述し指摘する。

HP管理人・萩野谷敏明


平成18年(ネ)第2861号 損害賠償請求控訴事件
(原審横浜地方裁判所平成12年(ワ)第2704号損害賠償請求事件)
第一審原告 久保佐紀子外3名
第一審被告 神奈川県 外4名

準  備  書  面 (1)

平成18年12月14日

東京高等裁判所第4民事部 御中

第一審被告神奈川県、同村井学、同青地隆宏、同齋藤清
訴訟代理人 弁護士 金子泰輔
第一審被告神奈川県訴訟代理人           
弁護士 池田直樹

第一審被告神奈川県指定代理人      陶山 和美
同                   小山 晃伸
同                   高橋 義男
同                   加藤 謙二
同                   北村  正
同                   椎名 啓之
同                   山田 孝一
同                   岩木 義信
同                   高久 俊之
同                   坂川智津子
同                   三鬼 洋二
同                   桜庭 嘉洋
同                   坂田 悦朗
同                   中村 隆志
同                   東  尚幸
同                   岩本 勝美

第1.はじめに
  既に、第一審被告神奈川県が、平成18年6月28日付け控訴理由書(以下「第一審被告神奈川県控訴理由書」という。)において述べたとおり、本件訴訟の争点は、@村井巡査部長らによる救護義務違反の有無、A伊藤医師らによる不法行為の成否、B損害の3点であるところ、原判決は、@について、村井巡査部長らには救護義務に違反した過失が認められるとしたものの、救護義務違反と亡幹郎の死亡との因果関係を認めることはできないとし、Aについて、直接死因は「心筋梗塞」であり、解剖は「有」とする死体検案書の記載は、事実に基づくものと認められ、伊藤医師らによる不法行為の成立は認めることはできないとし、Bについて、第一審被告神奈川県は、国家賠償法1条1項に基づき、村井巡査部長らの救護義務違反による亡幹郎の延命可能性の侵害によって生じた損害を賠償すべき責任を負うと判示した。
  第一審原告らは、同判決を不服として、平成18年5月8日付けで控訴を提起し、その理由については、2006年9月25日付け準備書面(控訴審第1)において、原判決は、村井・青地の救護義務違反を認めたものの、幹郎死亡との間の因果関係については伊藤の「解剖」を根拠に否定した。 また、捜査記録が存在すること及び齋藤ら担当警察官と監察医伊藤の各供述を根拠に、 伊藤による解剖の事実を認定し第一審原告らの請求を棄却した」、「実際にDNA鑑定の結果、斯界の最高権威といえる2人の法医学者(押田と本田)が、伊藤が提出した臓器は真実は幹郎のものではないと明確に断じたのである」、「にもかかわらず原判決は、この2つのDNA鑑定の証拠価値を不当に軽視し、DNAに関する初歩的知識すら理解していない全く非科学的な論法でこれらを退け、他方で当事者の供述証拠にすぎない捜査記録等を不当に重視して伊藤の解剖の事実を認めたのである」などと主張している。
  しかしながら、第一審原告らの上記主張は、原判決を正解することなく、独自の見解等に基づきこれを論難しているものに過ぎない上、原審における主張の域を出ないものであり、新たな主張や立証は何ら認められない。一方、第一審原告らの主張する不法行為が存在しない事実は、第一審被告神奈川県外において、既に、主張、立証したとおりであり、第一審原告らによる本件控訴に理由がないことは明らかである。 以下、第一審原告らによる2006年9月25日付け準備書面(控訴審第1、控訴審第2)に対し、必要な範囲で反論する(なお、略語は、本書面において特に断らない限り、従前の例による。)。

第2 「第2 村井らによる救護義務違反の有無について」について
1「1」について
  原判決は、「幹郎の心筋梗塞の病変が悪化し、約2時間後には死亡するに至っていることに照らすと、村井らが救護義務を尽くしていれば、幹郎を救命できたという高度の蓋然性は認められず、救護義務違反と幹郎の死亡との因果関係を認めることはできない」(原判決31ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示に対して、「原判決は、村井及び青地の救護義務違反自体は認めたものの、同義務違反と幹郎死亡との間の因果関係を否定した。原判決は、この因果関係を否定した理由として、伊藤が幹郎の遺体の解剖を行いその死因を心筋梗塞と検案したことを挙げる」、「しかし、伊藤は幹郎の遺体を断じて解剖などしていない。そして、遺体を解剖しなければ死因が心筋梗塞であるか否かは決して分からないことは当然である」として、「原判決は大前提を誤ったものであり、死亡との因果関係を否定したその論理は到底維持され得ない」などと主張する(2006年9月25日付け第一審原告準備書面(控訴審第1)3ページ。以下、同書面の引用部分にはページ数のみを表記する。)。
  しかしながら、まず、原判決が、「村井及び青地の救護義務違反自体は認めた」ことについては、既に第一審被告神奈川県控訴理由書において述べたとおり、村井巡査部長及び青地巡査長に救護義務違反の点はなく、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事案認定の誤りが認められるところである。
  その上で、第一審原告らの上記「伊藤は幹郎の遺体を断じて解剖などしていない」との主張については、原審における、伊藤医師をはじめ、本件解剖に立ち会った2名の警察官の陳述のほか、提出された心臓の写真及び同ネガフィルムなどの客観的な証拠資料等に照らせば、本件において、亡幹郎の遺体が、警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀によって解剖に付され、その結果、死因が心筋梗塞と判明したことは明らかである。したがって、第一審原告らの同主張には理由がない。
  また、原判決が、「伊藤は、平成9年7月19日午後7時40分ころ中ら午後8時40分ころにかけて、研究所内で、齋藤及び井上の立会いの下で、幹郎の遺体を解剖し、その心臓等を摘出した上、その死因を心筋梗塞と判断し、死体検案書に幹郎の死因を「心筋梗塞」と記載したものと認めるのが相当である」(原判決44ページ)と判示したことは、上記に照らしても正当である。したがって、第一審原告らによる、「伊藤は幹郎の遺体を断じて解剖などしていない」ことを前提とした、「原判決は大前提を誤ったものであり、死亡との因果関係を否定したその論理は到底維持され得ない」との主張は、失当と言わざるを得ない。

2 「2」について

(1)
第一審原告らは、亡幹郎の死亡原因について、「本来監察医の解剖によって解明されるべきであったが、伊藤は幹郎の遺体の解剖を行わなかったため」直接証拠でもってその死因を医学的に証明することには困難を伴う」とした上で、「本件においては、伊藤の「解剖」所見以外には、他に幹郎の死因が心筋梗塞であることを伺わせる証拠は直接にも間接にも一切存在しない」、「他方、本件ジープの損傷状況から、幹郎が頭部外傷によって死亡に至ったことを推認させる証拠が存在する」などとした上で、「平野鑑定書」(甲54)、「田ノ浦(仮称)意見書」(甲52)を引用して、亡幹郎の「死因は頭部外傷である蓋然性が高い」と主張する(3〜4ページ)。
  しかしながら、そもそも、亡幹郎の遺体が、警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀によって解剖に付され、その結果、死因が心筋梗塞であると判明したものであることは、上述したとおり、原審において取り調べられた客観的な証拠資料等に照らせば明らかである。したがって、第一審原告らによる、「伊藤は幹郎の遺体の解剖を行わなかったJことを前提とする、上記主張は、その前提において失当である。
  さらに、第一審原告らにおいて、「幹郎が頭部外傷によって死亡に至ったことを推認させる証拠が存在する」と主張の上摘示している、「平野(仮称)鑑定書」(甲54)及び「田ノ浦意見書」(甲52)が、いずれも信用できないものであることは、従前主張したとおりである(第一審被告神奈川県外準備書面(7)、同(10)、同(11)137〜139ページ)。このため、これらを前提とする上記「亡幹郎の死因は頭部外傷である蓋然性が高い」との主張についても、理由がないことは明らかである。
(2)
また、第一審原告らは、「原判決は、幹郎の頭部に外傷がなかったから、フロントガラスのひび割れは同人が頭部をぶつけたがために生じたものではない旨判示しているが、頭部に大きな外傷が見当たらなかったのは幹郎が帽子を被っていたがためであり、…本件ジープのフロントガラスのひび割れは平野鑑定書が述べているとおり、内部からの力によるものであり、幹郎が頭部を衝突したものとしか考えられない」と主張する(3〜4ページ)。  
  しかしながら、そもそも、第一審原告らが、上記主張の根拠として掲げる「平野鑑定書」の結論には全く理由がなく、到底借用できないものであることは従前主張したとおりである(第一審被告神奈川県外準備書面(10)、同(11)138〜139ページ)。したがって、同鑑定書に依拠した第一審原告らの上記主張にも、理由がないことは明らかである。
  一方、亡幹郎の頭部に外傷が見当たらなかった点について、原判決では、「証拠(乙A3、23、24)によれば、幹郎の頭部…に顕著な外傷はなく、幹郎がフロントガラスに頭部を衝突させたことは…到底認められない」と、明確に認定している。また、「帽子を被っていたがため」との第一審原告らの主張に対しても、「原告らは、幹郎の頭部に外傷がなかったのは、同人が帽子をかぶっていたためである指摘するが、証拠(乙A19、43)によれば、帽子は車両の後部荷台にあったと認められるから、これを採用できない」(原判決65ページ)と、明確に判示している。
  このように、原判決は、客観的な証拠に基づき、明確に判断しているものであって、まさに正当というべきである。

3「3」について
  第一審原告らは、「本件において幹郎の死因を具体的に特定しそれを直接証拠でもって立証することを困難にさせた原因は、本来行うべき幹郎の遺体の解剖を伊藤・齋藤らが共謀のうえ行わなかったという違法行為にある」、「幹郎の死因が事故死であることの証明を困難ならしめた責任は第一審被告側の違法行為にあるから、証明責任の公平な分担の見地あるいは証明妨害による証明責任の転換法理からして、第一審被告側が幹郎の死因は事故死ではなく病死であることの証明責任を負う(と)解するのが相当である」などと主張する(4ページ)。
  しかしながら、亡幹郎の遺体が、警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀によって解剖に付され、その結果、死因が心筋梗塞であると判明したものであることは、上述したとおり、原審において取り調べられた客観的な証拠資料等に照らせば明らかである。したがって、第一審原告らの上記主張はその前提を誤ったもめであり、失当である。
  また、こうしたことから、この点に関する主張立証責任の所在が転換されるものではなく、依然として第一審原告らが主張立証責任を負っていることは明らかである。その上で、第一審被告神奈川県外は、原審において、亡幹郎の死因が事故死ではなく病死であることを十分に明らかにしているのであって、「証明妨害」などと非難される余地は全くない。この点からも、第一審原告らの上記主張には理由がない。

第3 「第3 伊藤らによる不法行為の成否について」についで
1「1 遺体解剖の有無に関する原判決の事実認定方法に対する批判」について
第一審原告らは、原判決について、「その基本的論理構造は、「解剖を実施したとの警察の捜査記録が存在し、担当警察官(齋藤ほか)及び監察医(伊藤)が『解剖した』と供述しているから解剖は行われたのだ」というあまりにも幼稚で単純なものである」とした上で、「事実認定においては、供述証拠よりも非供述証拠(物証)、当事者の供述及び文書(記録)よりも第三者の供述及び文書(記録)を重視すべきは当然の原則である」、「本件においては、「幹郎のものである。」と何度も断言して伊藤が提出した臓器がまさに非供述証拠(物証)であり、これを第三者である専門医が鑑定したDNA鑑定の結果がまず第一に重視されるべきことは当然である」、「次にこのDNA鑑定の緒異に沿った補強証拠が重現されるべきことになる。他方、DNA鑑定の結果に反する捜査記録等や一方当事者の供述はその信用性を厳しく吟味されなければならない」などと主張する(4〜6ページ)。
  しかしながら、原判決が第一審原告らが非難するような単純な事実認定を行ったものでないことは言うまでもないところである。すなわち、原判決では、原審において当事者双方から提出された証拠に加え、関係当事者の陳述、その他弁論の全趣旨から総合的に判断して、「伊藤は、…幹郎の遺体を解剖し」たものと認定しているのである(原判決44ページ)。また、第一審原告らが「解剖を否定する事情」として主張する第三者の供述やDNA鑑定の結果等については、これらをそれぞれ検討した上で、「いずれも解剖の事実を否定する事情であるということはできない」(同50ページ)、「解剖が行われたとする認定を左右するものではない」(同64ページ)と、明確に結論付けているのである。
   こうしたことから、第一審原告らの上記主張は、全く理由がないというべきである。

2 「2 DNA鑑定(押田鑑定・本田鑑定)の信用性について」について
 第一審原告らは、「原判決の決定的な誤りは、2つのDNA鑑定(押田鑑定・本田鑑定)を、全く非科学的な理由によって排斥した点にあるJと主張し(6ページ)、2006年9月25日付け準備書面(控訴審第2)(以下「控訴審第2書面」という。)を提出した。
   しかしながら、原判決は、押田鑑定及び本田鑑定につき、当該鑑定の経緯及び結果、更にはDNA鑑定の手法等を詳細に検討した上で、「両鑑定結果の信用性には疑問が残り、直ちにこれらを採用することはできない」(原判決50ページ)と判示したものである。同判示はまさに正当なものであって、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。 以下、第一審原告らの上記書面に対し、必要な範囲で反論する。

(1)
控訴審第2書面「第2 押田鑑定の信用性に対する原判決の判断について」について
  原判決は、「本件鑑定書添付写真に写っている4枚の検出紙は、Cドット又 はSドットの発色が認められないか、発色が極めて薄いものであるのに、押田鑑定人は、本件鑑定書添付写真につき、分かりやすいものを鑑定書に添付した旨証言し、かつ、肉眼では発色が認められた旨強弁していること等を総合すると、押田鑑定の結果は、DNAの低分子化が進行し、DNA鑑定が不可能又は著しく困難となっていた鑑定試料について、無理に型判定を行って鑑定結果を報告した可能性を否定することができないというべきであるから、その鑑定結果を到底採用することはできない」(原判決62ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判決に対して、「押田教授は、鑑定書に添付した写真のネガフィルムを、より濃く焼いたものを印画条件変更写真として提出している。この印画条件変更写真では明らかにCドット、Sドットが発色していることがわかる」として、「原判決は印画条件変更写真を無視した結果、事実を誤認したものである」などと主張する(控訴審第2書面4〜5ページ)。
  しかしながら、まず、押田教授によるDNA鑑定の鑑定書に添付されている「写真14」及び「写真16」の本件臓器に係る検出紙のSドット」あるいはCドット」が、発色しているものとは到底認められるものではないことは明らかである。
  この点については、押田鑑定人自身も、「(Sの発色が)見えておりません」と明言している(平成16年2月13日押田鑑定人調書(以下「押田第2回調書」という。)15ページ。)。また、同各写真の印画条件変更写真をもってしても、同「Sドット」あるいは「Cドット」が、発色しているものとは到底評価できないことは客観的に明らかである。
したがって、第一審原告らの「原判決は印画条件変更写寛を無視した結果、事実を誤認したものである」との主張は、強弁であって、理由がないというべきである。
  なお、仮に、第一審原告らが摘示する「印画条件変更写真」をもって、「写真14」の「Sドット」が発色しているものと認定されるのであれば、同検出紙「GC」部位の「B」の部分も、「Sドット」と同程度に発色しているものと認定されなければ極めて不合理である。ところが、同「GC」部位の「B」の部分が発色しているとすると、同GC部位では3つの因子(「A」「B」「C」)が全て発色していることになり、検査キットの取扱説明書の記載内容に反することになるのである。すなわち、本件鑑定におけるPM検査キットの取扱説明書(乙A10−1、2)では、3つの因子を有する、「HBGG及びGCでは、3つの遺伝子型(AA、BB、CC、AB、AC及びBC)が可能である」と明記されているのである。その上で、文献においては、「3つのドットを持つHBGGとGCでは、もし3つのドットが全部呈色したとすると2種類のDNAの混在を疑う必要がある。通常へテロのヒトの対立遺伝子は2個なのであ」ると明記されているのである(甲63の3。172ページ)。そして、このように、3つの因子が全て発色している場合には、DNAの検出操作に何らかの問題点があったことが容易に推認されるのである(平成15年6月2日付け第一審被告神奈川県外意見書11〜12ページ)。
  したがって、仮に、第一審原告らが摘示する「印画条件変更写真」をもって、「写真14」の「Sドット」が発色しているもめと認定されるのであれば、同時に、同検出紙の「GC」の「B」の部分も、同「Sドット」と同程度に発色しているものと認定されることとなり、上述したようにDNAの検出操作に何らかの問題点があるなど、結果として、押田鑑定には何らかの問題点があったという結論に至るのである。
  こうしたことから、いずれにしても、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきであり、原判決における上記判示は、まさに正当である。

(2)
控訴審第2書面「第3 本田鑑定の信用性に対する原判決の判断について」について
原判決は、「同様の状態にある鑑定試料を用いながら、本田鑑定においてのみ他の2つの鑑定と異なり、TH01型判定を含め、STR型検査を行うことができたのかとの疑問を払拭することができない」、「本田鑑定の結果には合理的な疑いが残り、同鑑定結果を採用することはできない」として、「押田鑑定及び本田鑑定の結果は、いずれもこれを採用することはできず、両鑑定の結果は、解剖が行われたとする上記認定を左右するものではない」(原判決63〜64ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示に対して、「原判決は、本田鑑定の肝心な部分を全く理解せず、独自の理解を前提にしたもので、生物学の基本法則にも、論理法則にも反する結論を導き出している」と主張する(控訴審第2書面30ページ)。
  しかしながら、そもそも、原判決は、上述したとおり、押田鑑定及び本田鑑定につき、その経緯及び結果、更にはDNA鑑定の手法等を詳細に検討した上で、上記のとおり判示したものである。同判示はまさに正当なものであって、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。
  すなわち、原判決は、まず、押田鑑定の結果及び押田鑑定人の陳述(「DNAの検査にとってはホルマリン固定された臓器というのはあまり適していないというのは今回のこの事例でもはっきりしてると思います」(押田第2回調書23ページ)、「今回の材料については、そういう一筋縄でいくようなものではない」(同33ページ)、「非常に困難で努力してる」(同41ページ)、「ホルマリン固定のものについては…DNAの検査方法が難しい」(同54ページ))等を踏まえ、「本件臓器及び本件ブロック標本は、共にホルマリン液の影響を受けて、DNA鑑定を行うことが不可能又は著しく困難となるような深刻な低分子化が進んでいたと見るのが相当である」(原判決61ページ)と認定したのである。
  その上で、原判決は、「押田鑑定は平成13年4月から平成15年3月、本田鑑定は平成15年9月から平成16年3月、私的鑑定は平成16年4月から平成17年4月の間にそれぞれ行われたものであるが、各鑑定は近接した時期に連続して行われており、しかも、本件臓器は、平成11年9月よりも相当前に、ホルマリン液によって固定されていたことを併せ考えると、既に低分子化はかなり進行していた段階での鑑定であったというべきである」、「各鑑定の実施時期の違いが鑑定試料の低分子化の進行程度に差異をもたらしたとは考え難く、その他本田鑑定と押田鑑定又は私的鑑定との間に差異をもたらすような特段の事情は、本件全証拠によっても認められない」(原判決63ページ)と認定したのである。
  してみると、原判決において、「最も早期に行われた押田鑑定においてさえもSTR型検査が不可能であったのは、長期間のホルマリン固定保存によって、鑑定試料の低分子化が進み、DNA鑑定が不可能又は著しく困難な状態になっていたためであることからすれば、私的鑑定においてSTR型検査の結果の再現性が得られず、判定不可能とされたのも、同様に鑑定試料のDNAが低分子化したことが原因であると認められる」と認定した上で、「同様の状態にある鑑定試料を用いながら、本田鑑定においてのみ他の2つの鑑定と異なり、TH01型判定を含め、STR型検査を行うことができたのかとめ疑問を払拭することができない」(原判決63〜64ページ)と判示したことは、極めて合理的であり、まさに正当である。したがって、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。

(3)
また、第一審原告らは、本件解剖が行われていないことを前提に、原判決が、押田鹿定及び本田鑑定につき「両鑑定の信用性を否定した」として、「原判決は、破棄されるほかないのである」などとも主張する(控訴審第2番面30ページ)。
  しかしながら、そもそも、本件解剖が行われたことは、先述したとおり、原審において取り調べられた客観的な証拠資料等に照らせば明らかである。さらに、第一審原告らが「解剖の有無にかかる最大の証拠」の一つとして掲げる上記「押田鑑定及び本田鑑定」の結果は、単に同原告らが主張する「解剖を否定する事情」の一つに過ぎないのである。
  これらのことは、原判決が、原審において当事者双方から提出された証拠に加え、関係当事者の陳述、その他弁論の全趣旨から総合的に判断して、「伊藤は、…幹郎の遺体を解剖し」たと認定していることから明らかである。したがって、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。
  なお、念のため付言するに、そもそも、上記「両鑑定」は、伊藤医師において、亡幹郎の臓器であるとの認識をもって保存していたとされる臓器等を、同医師が第一審裁判所に対し、鑑定試料として提出したことにより行われたものである。しかし、その後、先行して行われた押田教授によるDNA鑑定の途中で、同教授から鑑定試料となった上記臓器等のDNA型が、原告らのDNA型から推定される亡幹郎のDNA型と矛盾する旨の中間報告書が提出された。そのため、第一審被告伊藤は、この報告書を受け、裁判所に提出した鑑定試料のうち、プレパラート標本およびブロック標本のいずれかに久保以外の他人のものが混在している可能性は否定できない」(平成14年4月16日付け「鑑定人の中間報告書に対する被告伊藤の意見書」3ページ)として、鑑定のため提出した鑑定試料に他人の臓器等が混在している可能性を初めて示唆したのである。
  もとより、第一審被告神奈川県外は、本件解剖時に亡幹郎から摘出された臓器等の保管経緯を承知していない。したがって、上記「両鑑定」における鑑定試料の中に、亡幹郎以外の臓器等が混在していたか否かについても関知し得ないところである。しかし、第一審被告伊藤が示唆したとおり、仮に、第一審被告伊藤から提出された鑑定試料に亡幹郎以外の臓器等が混在していたのであれば、当該鑑定試料が亡幹郎の臓器と矛盾していたとしても、何ら不合理ではない。
  このような事実関係に照らせば、仮に、上記「両鑑定」において、当該鑑定試料が亡幹郎の臓器とは矛盾するとした結論が得られたのだとしても、それが、必ずしも本件解剖の有無を判断する根拠ないし証拠とはなり得ないことは明らかである。
  したがって、原判決が上記「両鑑定の信用性を否定した」ことをもって、同判決が「破棄される」理由になるものではないことは明らかであり、第1審原告らの上記主張は、失当である。

3 「3 本件解剖の不自然さ、不合理さを示す数々の事実」について
 原判決は、「本件解剖は、本来詳細に行うことが要求されている司法解剖として、不適切なものであったといわざるを得ないが、これらは解剖が行われたこと自体と矛盾する事実ではない」(原判決47ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示に対して、「本件解剖の不自然さは、いずれも司法解剖の実務からは到底理解不能な重大なものばかりであって、「解剖が行われたこと自体と矛盾する事実でない」などと言えるような些細なものではありえない」などと主張、さらに、本件解剖における「不自然さ・不合理さを示す数々の事実」として、

    @「解剖」時間が実質30〜40分程度しかなく、あまりに短かすぎること、
    A「解剖」状況を示す写真が全く存在しないごと、
    B 頭部の解剖を実施していないこと、
    C 3枚の心臓写真の不可解、
    D 第三者の臓器提出に関する原判決の先入観に満ちた弁解、
    E 伊藤鑑定書の不自然すぎる詳細さ、死体検案書の不合理、
    F 齋藤備忘録、解剖立会報告書の解剖時間の矛盾

などと、7項目にわたる事項を個別に指摘して、「本件解剖が実際に行われていないことを示すものである」などと主張する(6〜15ページ)。  しかしながら、第一審原告らの上記主張が、いずれも理由がないことは、以下に示すとおりである。

(1)
「@「解剖」時間が実質30〜40分程度しかなく、あまりに短かすぎること」について
  第一審原告らは、「解剖が実際に行われた場合、解剖終了後の納棺作業は、まず遺体全体を入念に拭き清めて血痕や体液等の汚れを落とし、次に遺体の縫合痕の上に脱脂綿とテープを貼って縫合痕を隠し、さらに白装束を着せて納棺するという順序をたどるが、その間の時間は少なくとも20〜30分はかかる。とすれば、伊藤が死体検案に着手してから終了するまでの時間は1時間よりさらに短く、わずか30〜40分しかなかったということになるのである」とした上で、「伊藤がいかに熟練した監察医であろうとも、これだけの検案作業をわずか30〜40分たらずの間に行うことなど誰が見ても到底不可能であり、齋藤が実際に行った「検案」作業は、遺体の外表検査と後頭窩穿刺のみであったことが強く推認される」などと主張する(7〜8ページ)。
  しかしながら、まず、第一審原告らは、何を根拠に、「解剖終了後の納棺作業は‥・少なくとも20〜30分はかかる」と主張するのか、上記主張の趣旨は極めて曖昧というべきである。
  そもそも、「解剖終了後の納棺作業」に「20−30分」も要するようなことは特異なケースというべきであるが、本件解剖においては、そのような特異なケースであったとは認められないのであるから、結局、本件解剖が全体を通して約1時間や終了したと考えることには何ら問題はない。
  実務上、遺体の検案、解剖等が約1時間で終了することは何ら不自然ではないが(特に、本件解剖において頭部の解剖を実施していないことは争いがない。
第一審原告らは、解剖実務に接したことがないにもかかわらず、「これだけの検案作業をわずか30〜40分たらずの間に行うことなど誰が見ても到底不可能である」旨主張する。しかしながら、検案作業に要した時間が、「わずか30〜40分たらず」ではないことは前述のとおりであり、現実には、本件解剖は、午後7時40分ころから午後8時40分ころまでの間に行われ、この間に、伊藤医師の執刀により亡幹郎の遺体の胸腹部が開検され、臓器の所見が詳細に観察された上で、心筋梗塞の所見が認められたのである。このことは、原審における、伊藤医師の陳述(伊藤調書8〜9、45〜46ページ)に加え、本件解剖に立ち会った齋藤巡査部長及び井上巡査部長の陳述(齋藤調書14〜20ページ、井上調書9〜16ページ、乙A15、同16)からも明らかである。
  したがって、第一審原告らの上記主張は、何ら根拠のない憶測ないし思い込みに基づいて、「検案作業をわずか30〜40分たらずの間に行」ったなどと決め付けた上での主張に過ぎず、理由がないことは明らかである。

(2)
「A 「解剖」状況を示す写真が全く存在しないこと」について
  第一審原告らは、「本件解剖においては…解剖を実際に行なっている際の解剖状況を示す写真はただの1枚もない」とした上で、「司法解剖は刑事裁判の最重要証拠の一つとなりうるものであって、解剖状況の写真を残すことは必要不可欠であることは言うまでもな」く、「司法解剖にあっては当然撮影しておくべき解剖状祝の写真がただの1枚も存在せず、その説明が不合理かつ矛盾を極めていることは、本件解剖が実際に行われていないことを示すものである」などと主張する(8〜9ページ)。
  しかしながら、第一審原告らが主張する、「解剖を行っている際の写真」というのが、解剖された臓器等を撮影した写真を意味するのか、それとも解剖の手順ないし手技、あるいは状況全体を撮影した写真を意味するのか明らかでない。
通常、死因等を明らかにするためにその必要性が認められれば、解剖医師の判断により、解剖された臓器等の撮影を行っているところである。その一方で、解剖を行っている際の手順ないし手技、あるいは状況全体の写真を逐一撮影しなければならないというものではない。
  この点については、原審において、伊藤医師が、司法解剖の際の写真撮影に関し、「(警察に対して、)私が指示します」(伊藤調書55ページ)と明確に陳述しているのである。そして、齋藤巡査部長にしても、解剖の際の写真撮影に関し、「解剖している法医学の先生の判断によるものですから、私のほうで、もっと撮らせてくださいという意見をいうまでの場合はございません」(齋藤調書77ページ)と陳述しているところである。
  こうしたことから、第一審原告らによる上記「解剖状況の写真を残すことは必要不可欠であることは言うまでもない」との主張には、理由がない。
  また、第一審原告らは、「解剖状況の写真がただの1枚も存在せず、その説明が不合理かつ矛盾を極めていることは、本件解剖が実際に行われていないことを示すものである」とも主張する(9ページ)。
  しかしながら、そもそも、本件解剖が、警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀により行われたことは紛れもない事実である。そして、上述したとおり、解剖の際には、必ずしも、解剖の手順ないし手技、あるいは状況全体の写真を逐一撮影しなければならないというものではないのである。
  また、本件において、齋藤巡査部長が、伊藤医師の判断に基づいて、摘出された亡幹郎の「心臓」の写真を撮影したことは、伊藤医師をはじめ齋藤巡査部長、井上巡査部長の陳述に加え、証拠提出された関係資料(乙A15、同16、同17、同25〜同28、同55、同56)からも明らかである。とくに、この点については、原判決においても、解剖に際して撮影された写真の多寡が「解剖が行われたこと自体と矛盾する事実ではない」旨を認定しているところである(原判決46〜47ページ)。
  したがって、第一審原告らの上記主張は、何ら根拠のない思い込みによる主張に過ぎず、理由がないことは明らかである。

(3)
「B 頭部の解剖を実施していないこと」について
  第一審原告は、高橋証人の陳述を引用し、「伊藤の死体検案は極めてずさんに行われており、後頭窩穿刺で血液が出ない異状死体はほとんどが解剖を行わずに、心不全か心筋梗塞の死因で処理されていたことが明らかである」とした上で、「本件解剖は死体検案着手から終了までわずか30〜40分たらずのごくごく短い時間で行われていること、伊藤が頭部の解剖を行わず、かつ解剖状況の写真を全く撮影しないという簡略極まる扱いをしていることに鑑みれば、高橋の証言どおり、伊藤が死体検案の「ルーチン」として、本件解剖においても後頭窩穿刺で血液が出ないことのみを確施し、それ以上は解剖を全く行わずに心不全か心筋梗塞で処理していた可能性が高いというべきである」などと主張する(9〜10ページ)。
  しかしながら、3(1)で見たとおり、第一審原告らの上記主張は、「本件解剖は死体検案着手から終了までわずか30〜40分たらずのごくごく短い時間で行われている」との、何ら根拠のない憶測ないし思い込みを前提としたものである。また、その大半が虚偽であり、到底借用するに値しない、高橋証人の陳述に基づいてなされているものである。このため、全く理由がないものと言わざるを得ない。
  なお、高橋証人の陳述が虚偽であることについては、既に第一審被告神奈川県外準備書面(11)78〜85ページにおいて詳述したとおりである。また、この点は、原判決においても明確に認定しているところである(原判決48ページ)。
  もとより、先述したとおり、本件解剖が警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀により行われていることは、原審において取り調べられた証拠等を踏まえれば明らかである。
  したがって、いずれの点でも、第一審原告らの上記主張は失当である。

(4)
「C 3枚の心臓写真の不可解」について
  第一審原告らは、乙A17号証の解剖立会報告書に添付された「3枚の写真」を摘示し、「この写真は、心臓らしき臓器が掃出されて容器に入っている状況が撮影されているだけのものであって、これが幹郎の心臓であると特定できるものでは全くない」とした上で、「この写真に関して、重大な疑問が多数存在する」として、特に、「i 写真の説明が第一審被告らの間で食い違っていること」、「ii 形状が伊藤の提出した心臓標本と合致しないこと」を取り上げて、「本件解剖が実際には行われていない」旨を縷々主張している(10〜13ページ)。
  しかしながら、そもそも、本件解剖が行われたことが紛れもない事実であることは先述したとおりである。ことに、乙A17号証の解剖立会報告書に添付されている3枚の写真については、齋藤巡査部長が、本件解剖の前にフイルムを取り替えたばかりのカメラで、伊藤医師が亡幹郎から摘出した心臓を「新しい容器の中に入れて床の上に置いた」状態で3枚撮影したものである。この点については、第一審被告神奈川県外において、事実に誤りがないことをこれまで一貫して主張し、同報告書に加え、同写真のネガフィルム(乙A25)をも書証として提出し、立証してきたところである。
  また、同ネガフィルムには、本件解剖において提出された心臓が3枚撮影された後、それに引き続いて本件解剖から3日後(7月22日)に発生した「自殺未遂事案」の現場の状況が撮影されていることは、既に十分立証しているところである(乙A26、同27、同54、同55)。そして、この点については、「平成9年集中写真整理簿」(乙A28)の内容欄(「7/19当直事件 司準解剖 心臓7/21、22 自殺未遂」と記載されている。)に照らしても、同ネガフィルムに写されている「心臓」が本件解剖の際に撮彰されたものであることが客観的に明らかである(第一審被告神奈川県外準備書面(11)123〜125ページ)。
  これらのことからすれば、第一審原告らの上記主張の前提たる「これが幹郎の心臓であると特定できるものでは全くない」との主張が誤りであることは、明白というべきである。
  したがって、この主張を前提に、「i 写真の説明が第一審被告らの間で食い違っていること」、「ii 形状が伊藤の提出した心臓榎本と合致しないこと」を理由として、「本件解剖が実際には行われていない」旨の第一審原告らの主張は」いずれも理由のないものであることは明らかであるが、念のため、以下必要な点について反論する。

 「i 写真の説明が第一審被告らの間で食い違っていること」について
  第一審原告らは、乙A17号証の解剖立会報告書に添付された「3枚の写真」について、「これら3枚の写真に関しては、同じ心臓を向きを変えて写したものなのか一部を切り離したものなのか、あるいはトレーの上で切り離したのか否かという事実関係の重要な部分で、「撮影」者である齋藤と「解剖」者である伊藤の間の供述が根本から食い違っている」とした上で、「なぜ食い違っているのか、それは写真に写っている心臓は幹郎のものではないから、齋藤と伊藤が共にいる場で切除・撮影された心臓ではないからなのである」 などと主張する(12ページ)。

(ア)まず、第一審原告らは、上記主張を行う理由として、齋藤巡査部長が、「原告ら代理人の質問に答えて、3枚の写真は同じ心臓を向きを変えた状態や撮影したものであり、2、3の写真は3つの切片に見えるが、実はつながっていて切り離されてはいないと説明している」のに対して、「伊藤は、写真1が1個の心臓を大動脈から左心室にかけて開いた写真であり、写真2と写真3は写真1の心臓から一部を切り離したものだと断言している」として、伊藤医師による右陳述について、「これは齋藤の供述とは全く相反するものである」と主張する(11ページ)。  
  しかしながら、そもそも、齋藤巡査部長は、尋問期日における、第一審原告ら代理人からの、乙A17号証添付の写真を示された上での、写真1と写真2の違いに関する質問に対しては、「向きを変えた状態に撮ってあると思います」、「(写真1と写真2がどういうふうに向きを変えたかについては)今説明を求められても、記憶が定かではありません」(齋藤調書65ページ)と陳述している。その上で、写真2の心臓が3つの切片に切り離されているのか否かについては、提示された写真に対し、「つながってる写真に写ってると思うんです」(同65ページ)と、その場での印象を「記憶が定かではない」ことを前提に、陳述したに過ぎないものである。
  このような齋藤巡査部長の、提示された写真を一見しての印象に過ぎない陳述を、法医学の専門家である伊藤医師の陳述と対比した上で、殊更に「全く相反するものである」とする第一審原告らの上記主張は、根拠が極めて希薄であり、理由がないというべきである。

(イ)また、第一審原告らは、上記主張を行う理由として、「写真2・写真3が切り離された切片の写真であるならば、井上巡査部長の「(伊藤は)心臓を手に載せて豆腐をすっすっすっと細かく切るように縦に何本もメスを入れて、その都度開いて、また切って開いて確認していました」との陳述や、齋藤巡査部長の「(手の上で)輪切りのような状態に切りました」との陳述は、「自らの手の上で切り離したのではない旨はっきり否定している」伊藤医師の陳述と相反し、「虚偽であることになる」と主張する(12ページ)。
  しかしながら、伊藤医師は、尋問期日における、第一審原告ら代理人からの「メスを入れるときには、心臓というのは、どこに置かれた状態でメスを入れるんですか」との質問に対して、「バットに置いておく場合もありますし、それから、手に持つ場合もございます」(伊藤調書60ページ)と明確に陳述している。このように、伊藤医師は、「自らの手の上で切り離したのではない旨はっきり否定」などしてはいないのである。
  してみると、井上巡査部長及び齋藤巡査部長の陳述が、いずれも事実に則したものであり、「虚偽」でないことは、明らかである。また、第一審原告らの上記「虚偽であることになる」との主張に、理由がないことも明らかである。

(ウ)以上のとおり、第一審原告らの上記「「撮影」者である齋藤と「解剖」着である伊藤の間の供述が根本から食い違っている」との主張、また、右主張を前提とする「なぜ食い違っているのか、それは写真に写っている心臓は幹郎のものではないから、齋藤と伊藤が共にいる場で切除・撮影された心臓ではないからなのである」との主張には、理由がないことが明らかである。   

 「ii 形状が伊藤の提出した心臓標本と合致しないこと」について
  第一審原告らは、「解剖立会報告書【乙A17】の3枚の写真に写された臓器の形状は、伊藤がDNA鑑定のために提出した臓器標本とも合致しない」、「押田鑑定書添付の写真3〜5は、鑑定書2頁によれば、心臓1塊と心臓細片5個を含むものであるとされるが、これと解剖立会報告書【乙A17】の写真1〜3を比較すれば、心臓標本がホルマリン固定されたものであることを考慮しても、同一の臓器であるとは到底思われない」とした上で、「解剖立会報告書添付の各写真に写された臓器は本件訴訟で伊藤が幹郎の臓器であるとして提出した臓器と明らかに異なるというべきであるが、こうした矛盾が生じるのはまさに本件解剖が実際には行われておらず、他人の臓器写真や臓器標本が証拠として提出されたことを強く示唆するものである」などと主張する(12〜13ページ)。
  しかしながら、第一審原告らの上記主張は、何ら根拠のないものであり、憶測に基づいて、「解剖立会報告書【乙A17】の3枚の写真に写された臓器の形状が、「伊藤がDNA鑑定のために提出した臓器標本と合致しない」と決め付けた上での主張に過ぎず、理由がないというべきである。
  この点については、原判決においても、「本件臓器中には心臓本体以外にも、心臓本体から切り離されたとみられる複数の心臓細片が存在しており(乙B1)、これら細片と写真撮影された心臓とは、必ずしも形状が一致しないとまではいえないから、心臓本体と解剖立会報告書に添付された写真中の心臓の形状が必ずしも一致しないことから直ちに本件心臓と写真撮影された心臓が同一のものではないということはできない」(原判決47ページ)と判示されているところである。

 以上のとおり、第一審原告らの上記主張は、その前提において誤っており、いずれも理由がないことは明らかであって、失当である。

(5)
「E 第三者の臓器提出に関する原判決の先入観に満ちた弁解」について
  原判決は、伊藤医師が第三者の臓器を亡幹郎の臓器であると偽って提出した可能性について、「伊藤が解剖を行わなかったとの疑惑が報道され、本件が刑事事件の捜査対象になっている状況の下で、本件臓器の所持を明らかにすれば、そのDNA鑑定が行われることは、法医学者である伊藤にとって、容易に想定できる事態であったものと考えられる。してみると、伊藤が、実際は幹郎の臓器を所持していないのに、自ら幹郎の臓器を所持しているとの虚偽の事実を主張し、幹郎の臓器であると偽って第三者の臓器を提出することは極めて危険性が高く、これを避けるのが通常というべきである。このような事情からすると、伊藤が偽って第三者の臓器を提出したと考えることは困難である」(原判決47ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示に対して、「これは公正中立であるべき裁判所にあるまじき、驚くべき偏向した推論ではなかろうか」とした上で、「原判決の推論とは全く逆に、法医学者ではあってもDNA鑑定の専門家ではない伊藤は長期間ホルマリンで保存されていた臓器ならばDNA鑑定が不可能であろうと考えて、第三者の臓器を提出したと推論する方が、むしろ理に適っているのである」などと主張する(14ページ)。
  しかしながら、第一審原告らによる、「むしろ理に適っている」とする上記主張が、単なる憶測ないし思い込みに基づく主張に過ぎないものであることは、その文脈からも明らかであり、理由がないというべきである。  本件解剖に関しては、その後の報道等により大きく問題視され、また、第一審原告らが伊藤医師外を虚偽検案書作成罪等により刑事告訴等をしたことにより、本件は刑事事件の捜査対象となっている。
  こうした事情にかんがみれば、伊藤医師が、「実際は幹郎の臓器を所持していないのに、自ら幹郎の臓器を所持しているとの虚偽の事実を主張し、幹郎の臓器であると偽って第三者の臓器を提出することは極めて危険性が高く、これを避けるのが通常というべきである」と原審が判断したことは、経験則上極めて合理性がある。
  したがって、原判決において、「伊藤が偽って第三者の臓器を提出したと考えることは困難である」と判示したことは、まさに正当である。 10

(6)
「E 伊藤鑑定書の不自然すぎる詳細さ、死体検案書の不合理」について
 第一審原告らは、本件解剖における「実際の解剖時間はわずか30〜40分しかなかった」ことを前提として、「伊藤が、胸部を開いて心臓を摘出し、さらにこれを細かく切り開いて心室後壁の線維化と左冠状動脈の回旋肢硬化を突き止めただけでなく、両肺、肺臓、肝臓、胃を各々摘出して解剖所見を記録したというのである」、「伊藤が執刀助手なしで単独解剖を行ったとする以上、わずか30〜40分の間に、詳細な全身所見を記録し、後頭窩穿刺を行ったうえで、さらにこのような解剖を行うことなど到底不可能というはかない」などと主張する(14〜15ページ)。
  しかしながら、長きにわたって監察医の職務に携わっている伊藤医師は(「昭和35年5月から監察医の職務を継続しています」(伊藤調書2ページ))、原審における、尋問期日において、本件解剖が約1時間で終わったことのほか、一般的な解剖時間が1時間程度であることについて、「通常、大体このぐらいで終わると思います」と明確に陳述しているのである(同調書46ページ)。さらに、同医師は、本件解剖において、胸腹部の解剖を行って、臓器を取り出して観察したことや、その際に臓器の重さや大きさ等の数値は解剖の途中で記録したものの、内臓の所見等に関する剖検記録は、本件解剖が終了した後に作成したことも明確に陳述しているのである(同調書9、11、13、52〜53ページ)。 11
   してみると、第一審原告らの上記主張は、伊藤医師が、「わずか30〜40分の間に、詳細な全身所見を記録し」たとの、誤った前提に基づくものであり、理由がないことは明らかである。

(7)
「F 齋藤備忘録、解剖立会報告書の解剖時間の矛盾」について
  第一審原告らは、賓藤巡査部長の備忘録(乙A19)について、「この備忘録の本件解剖にかかる記載のある個所(3頁目の下部)は、解剖時に伊藤の聴き取りをメモしたものとしてはあまりにも窮屈な個所に詰め込んだ記載となってい」るとした上で、「解剖時間が午後8時40分〜10時10分と」記載されていることからすれば、「この部分の記載は解剖時のメモ書きではなく、解剖終了後に作成されたことが明らかであ」り、「齋藤が備忘録の余白に後日につじつま合わせのために書き込んだものと考えることは十分に可能なのであって、少なくとも原判決のいうように「後日、虚偽の記録を作出することは非常に困難」などとは到底いえない」などと主張する(15ページ)。
  しかしながら、まず、齋藤巡査部長の備忘録(乙A19)の「3頁目の下部」の記載部分が、何ら「窮屈な個所に話め込んだ記載」になどなっていないことは客観的に明らかである。そして、当該記載内容が、本件解剖終了直後に伊藤医師から聴取した本件解剖に係る主要所見等を記載したもの(齋藤調書20ページ)であることも、何ら不自然な点はない。また、当該箇所に当該記載内容が記載されていることにも、何ら不合理な点はないことも明らかである。 また、この点については、原判決において、同備忘録が、「固定式のノートであってページの差替えは不可能であること、そのメモの記載内容についても、改ざんされた形跡はないことが認められ、これら時系列に沿って作成されている書証の性質からすれば、後日、虚偽の記録を作由することは非常に困難であると認められる」(原判決45ページ)と、明確に判示されているところである。 12  
  こうしたことから、第一審原告らの上記主張は、単なる憶測に基づく主張に過ぎず、理由がないことは明らかであり、上記判示は正当である。

(8)
小括
  以上のとおり、第一審原告らが、本件解剖における「不自然さ・不合理さを示す数々の事実」として指摘した7項目にもわたる主張は、いずれも理由がないことは明らかである。

4 「4 第一審原告らが解剖痕を現認していない事実」について

(1)
原判決は、亡幹郎の遺体に解剖痕が存在していたか否かについて、「@原告らは、平成9年7月26月、保土ヶ谷警察署副署長らと面談して、警察の責任を追及し、「解剖はしたのか。」などと詰問したのに、遺体に解剖痕はなかった旨の主張は全くしていないこと、A同年11月6日、佐紀子が伊藤に宛てた手紙の中で、警察が交通事故を隠したことを訴えたり、幹郎の死亡原因を交通事故であるとして死体検案書の死亡欄の訂正を求めたが、解剖の有無については、これを何ら問題にしていなかったこと、B平成10年9月1日付けの伊藤を被告訴人とする告訴状においては、佐紀子は解剖痕を見ていないこと及び原告らが伊藤に支払った6000円は解剖費用として安すぎると吉川が供述していることを主張しながら、吉川が解剖痕はなかったと目撃し供述している旨を全く記載していないこと等に照らすと、原告ら及び吉川は、本件紛争の当初には、解剖痕はなかったという主張をしていなかったことが認められる」、「遺体に解剖痕がなかったのであれば、伊藤による解剖が行われていなかったことは明らかであるから、その事実を第一に指摘してしかるべきところ、原告ら及び吉川がこれを問題としなかったことは、保土ヶ谷署及び伊藤の責任を追及していた原告らの立場からしてもいかにも不自然である」(原判決48〜49ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示における上記@ないしBの事実認知に対して、縷々弁解とも思える主張をしているが、同主張がいずれも理由がないものであることは、以下のとおりである。

 @の事実認定について
  第一審原告らは、上記判示における@の事実認定に対して、「確かに、第一審原告らはこのとき解剖痕はなかったとの明確な主張をしていなかった可能性があるが、このときは警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があったからであり(第一審原告はこの時、テープ録音していた)、そのために明らかに解剖されていなかった頭部についても、警察の「頭部解剖した」という虚偽の説明をわざとそのままさせていたのである」、「警察の捜査に重大な不信感を抱いた当事者としては、いきなりその不信の根拠となった具体的事実を警察にぶつけるのではなく、いわば自らの手の内を示さない形でまず警察の説明を聞き、その後に具体的事実を示してその不合理さを追及することは十分ありうることなのである」、「特に、佐紀子は1997年[平成9年]7月26日の保土ヶ谷署副署長ら来訪前に弁護士に電話でアドバイスを受けており、慎重かつ計画的に対応したと考えられるから、解剖痕がないことを現認しているという決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとしたものと考えられる」などと主張する(17ページ)。
  しかしながら、第一審原告らの上記主張は、これまでの同原告らの主張と明らかに矛盾するものであり、いずれにしても理由がないというべきである。
  すなわち、第一審原告らのこれまでの主張を前提とすれば、7月26日の保土ヶ谷署副署長以下による説明の際には、同原告らにおいて亡幹郎の遺体の「胸部」に「解剖痕はなかった」ことを知悉していたはずである。してみると、当該説明の場が、本件事案に係る事実関係を説明する初めての機会であったことにかんがみれば、同原告ら自身の認識と明らかに反することになる同副署長以下によるその場での説明(本件解剖が行われていること、胸も腹も開いていること)に対して、「解剖痕はなかった」ことを指摘ないし追及し、事柄の真相を明らかにしようとすることが自然である。
  またこのことは、当時、警察の捜査に重大な不信感を抱いていたとする同原告らの主張、また、同原告らが当時、テープ録音を行っていたことを考慮すれば、より鮮明となる。このような不信感を抱きながら、「解剖痕はなかった」との趣旨の指摘をいっさい行わなかったことは、同原告らの上記主張を前提とすれば、極めて不自然であると言わざるを得ない。
  これについて、同原告らは、当該説明の場を、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」などと強弁する。しかしながら、現実には、同原告らは、副署長以下の説明に対し、積極的に本件事案における取扱いの事実関係を問い質し、必要に応じて追及もしているのである(乙A52、同53)。
  すなわち、7月26日年前10時40分ころから午後0時20分ころまでの間、保土ヶ谷暑副署長及び刑事課長が、第一審原告らに説明を行った際、同原告らは、「解剖はしたのか。胸や腹も開いたのか」との問を発し、これに対して、刑事課長が、「検事の指揮を受けて解剖した。勿論全部調べた」と即答しているのであるが(乙A52)、その後、同日午後5時35分ころから午後6時50分ころまでの間、保土ヶ谷署副署長、刑事課長、齋藤巡査部長、村井巡査部長及び青地巡査長が、改めて同原告らに説明を行った際、同原告らは、再度、「頭部」の解剖の有無に関しては、「これは調べればわかることだ。頭部は解剖したのですか」との問を発したのに対し、齋藤巡査部長が、「頭部は解剖していません」と答えたため、これを聞いた同原告らは、同日午前中の刑事課長の説明と内容が食い違うとして、刑事課長を指差しながら、「あんたの言ったことと違う。頭部は、このように解剖すると説明したんではないか。嘘をついた。また嘘が出た。本当はどうなんだ」と追及を行っている(乙A53)。
  ところが、同じ席上で、同原告らは、胸部や腹部等の身体部分の解剖の有無に関しては、全く発問していないのである。
  同原告らは、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」ので、「そのために明らかに解剖されていなかった頭部についても、警察の(中略)虚偽の説明をわざとそのままにさせていたのである」などと言うが、実際には上記のように、頭部の解剖の有無に関して、同日午前中の刑事課長の説明と午後の説明内容が食い違うとして、「あんたの言ったことと違う」、「嘘をついた。また嘘が出た。本当はどうなんだ」と追及しているのであり、到底「虚偽の説明をわざとそのままさせていた」などというような状況ではなかったことは明らかである。同原告らの主張は、こうした状況に照らしても真実とはかけ離れた主張である。
  さらに付言するならば、同日午後の説明の席上における、同原告らの、「頭部の解剖の有無」に関する上記「追及」も、その趣旨は、同日午前中の刑事課長の説明と食い違うとの点に主眼がおかれていることは明らかであって、「解剖痕がなかったこと」を前提になされた追及であるとは到底思えない。要するに、仮にこの時点で、同原告らが、亡幹郎の「胸部」に「解剖痕がなかった」と認定し、身体部分の解剖の有無に疑義を感じていたのだとすれば、当然に「胸部には解剖痕がなかったではないか」、「したがって本当は胸部の解剖は行っていないのではないか」というような発問ないし追及がなされるはずである。また百歩譲って、「胸部に解剖痕がなかった」という事実自体を指摘することは、「決定的な事実はあえて示さない」との方針のもとに発問を差し控えるとしても、実際に本件解剖に立ち会った齋藤巡査部長が説明に来ている同日午後の席上において、「胸部を解剖したのか」という趣旨の発問すら行っていないということは、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」とする同原告らの主張とも矛盾する。
  こうしたことからすれば、当時の同原告らにおいて、亡幹郎の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことなど認識しておらず、それ故特段の指摘ないし追及をしなかったと理解するのが合理的である。したがって、同原告らの上記「決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとした」との主張は、辻棲合わせの強弁というべきである。
  また、同原告らは、副署長以下による当該説明の場において、「解剖痕はなかった」ことを指摘等しなかった理由について、弁護士からのアドバイス(「『解剖あり』の記載が書き間違いだったと医者に言われたらそれまでだろう」(甲47・原告佐紀子陳述書(2)9ページ))を受けたことからなどと釈明している。しかし、その一方で、当該弁護士について、「名前は分からない」(佐紀子第2回調書33ページ)などと極めて不自然な供述に終始していることから見れば、その真偽自体が問題であるというべきである。
  なお、仮に、当該アドバイスなるものが事実であったとしても、当該説明の場では、本件解剖に立ち会っている齋藤巡査部長自らが、本件解剖を行った事実を明言しているところであって、同原告らは、これをテープに録音していたというのであるから、「書き間違い」などと言われることなどを前提とする当該アドバイスに従う必要は、そもそもなかったというべきである。 さらに付言すれば、同原告らは、原審においても、上記のとおり、平成9年7月26日における会話を録音したテープが存在することを明言していたものであり、当該テープを、原審において証拠提出する旨の意思表示も再三行っていながら、結果的にはこれを提出しなかったものである。このような事情を踏まえれば、同原告らは、当該テープの内容が詳らかになることによって、自己に不利益な真実が判明することを危惧しているものとも理解され得るところである。 13
  以上のことからすれば、いずれにしても、第一審原告らの上記「解剖痕がないことを現認しているという決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとしたものと考えられる」との主張には、理由がないというべきである。

 Aの事実認定について
  次に、第一審原告らは、上記判示におけるAの事実認定に対して、「伊藤に宛てた手紙については、同年(平成9年)10月に第一審原告らが伊藤と面談したときに解剖の有無について追及しており、そのときに伊藤が解剖したと言い張ったという経緯があるため、その直後に手紙ではその点を蒸し返さずに交通事故を原因とした死亡保険金請求への協力を求めたにすぎない」と主張する(17ページ)。
  しかしながら、仮に、第一審原告らが主張するように、「同年10月に第一審原告らが伊藤と面談したときに解剖の有無について追及しており、そのときに伊藤が解剖したと言い張ったという経緯があ」ったとするならば、当時、亡幹郎の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことを知悉していたはずの同原告らの立場からすれば、この後に作成した「伊藤に宛てた手紙」(乙B4−1)において、「解剖痕はなかった」ことを指摘ないし追及することが、至極当然の理である。
  しかるに、同原告らは、同手紙の中で、この点に触れていない。これは、当時の同原告らにおいて、亡幹由の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことを認識していなかったと理解するのが合理的である。したがって、第一審原告らの上記主張にも理由はないというべきである。    

 Bの事実認定について
  また、第一審原告らは、上記判示におけるBの事実認定に対して、「告訴状の時点では必要以上に第三者を刑事事件に巻き込まないようにとの配慮で吉川の供述を記載しなかったに過ぎない」と主張する(18ページ)。
  しかしながら、同告訴状(乙B13)には、「目撃者である三菱自販平岩三郎氏と連絡」をとった、「第三者である寺田氏(司法書士・仮称)」とともに「伊藤監察医の医院に出向」いた、「吉川葬儀社社長談」として「通常伊藤医師は検死だけでも1万円以上、ほとんど注射1本打つだけ…伊藤医師の領収書金額が六千円は今までの経験ではない」などと、吉川を含む第三者が本件に関与しているとする主張が、明確に記載されているのである。
  してみると、上記「第三者を刑事事件に巻き込まないようにとの配慮で吉川の供述を記載しなかったに過ぎない」との主張には、およそ根拠がないものと言わざるを得ない。

 以上のとおり、第一審原告らの上記各主張は、いずれも理由がないというべきである。そして、原判決が、上記判示における@ないしBの事実観定に照らし、第一審原告らにおいて、「本件紛争の当初」に、「解剖痕がなかった」ということを「問題としなかったことは、保土ヶ谷署及び伊藤の責任を追及していた原告らの立場からしてもいかにも不自然である」と判示したことは、まさに正当である。

(2)
「(2)ドライアイスによる凍結の可能性について」について

 原判決は、「遺体の上には1個5キロ程度のドライアイスが8個載せられており、遺体は胸の上で手を組んでいたことが認められるから、ドライアイスによる白装束の凍時と死後硬直の影響で、容易に白装束がはだける状態にはなかったとみるのが相当である」(原判決49ページ)と判示した。
  第一審原告らは、この判示に対して、「いかにドライアイスや死後硬直の影響があったとしても、遺体を棺から移し替える際に衣服が乱れないなどということは断じて考えられないのであり、胸元がはだけて見えた可能性は大きいというべきである」と主張する(18ページ)。
  しかしながら、そもそも、当時の亡幹郎の適体は、ドライアイスによって冷凍に近い状態、かつ経験則上、死体硬直(死後の時間の経過とともに全身の筋肉が次第に硬くなり、各関節は固く動かないような状態)もかなり強度であったことが推察される状況下にあったのである。その上で、更に両手を合掌させていた亡幹郎の遺体の白装束が、「棺から移動させる」際にはだけること自体、経験則上は、むしろ極めて不自然かつ不合理というべきである。したがって、原判決における上記判示はまさに正当であり、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。

 また、第一審原告らは、自身の目撃供述について、「久保幹之(仮称)および久保幹也(仮称)が事故の傷痕を確認しようと遺体の胸や腹を確認したというのも、佐紀子が遺体の胸元をはだけて幹郎が事故の際に強打したと思われるあたりをなで回し、その後白装束を脱がせて着物に着替えさえようとしたというのも、突然夫や父を失った遺族の行動としてはごく自然に理解でき、むしろリアルで具体的で迫真性のある供述といえるのであって、これを疑うべき理由はない」と主張する(19ページ)。
  しかしながら、当時の第一審原告佐紀子はもとより、同幹之及び同幹也を含めた「親族みんな、(亡幹郎が)事故を起こして心筋梗塞になったという認識はそれぞれ持って」おり、亡幹郎の遺体の解剖痕の有無を確認する理由も必要性も全くなかったことは、同原告ら白身が認めているところである(佐紀子第1回調書95ページ)。そのような状況の下で、同原告佐紀子や同幹之、同幹也が亡幹郎の遺体の胸部に注目する理由など全くないというべきである。
  また、上述したとおり、当時の亡幹郎の遺体は、ドライアイスによって冷凍に近い状態で、かつ、経験則上死体硬直もかなり強度であったと推察される状況下にあった。その上で、更に両手を合掌させていた亡辞郎の遺体の白装束が、容易にはだけること自体、現実には起こり得ないことである。また、例え遺族の妻であっても、同原告佐紀子が上記のように遺体の着物を単独で着せ替えようとしたとの主張は、不自然かつ不合理なものと言わざるを得ない。
  こうしたことから、第一審原告らの上記主張にも理由がないというべきである。

 さらに、第一審原告らは、吉川(仮称)証人の供述の信用性について、「とりわけ吉川が目撃事実をテレビ取材に応じて述べる前に、家族や従業員全員から「警察署から変死体の葬儀の仕事を回されなくなるからやめた方がいい」と反対され実際にその後警察署からの仕事は1つも来なくなったとされる点に鑑みれば、あえて自らに不利益な供述を行った点でその信用性は高いというべきである」などと主張する(19ページ)。
  しかしながら、吉川証人の陳述自体、亡幹郎の遺体を保土ヶ谷署から引き取る際の時系列、また、同人において、亡幹郎の遺体に解剖の痕跡がなかったのを見たとされる状況について、極めて不自然な点があり、これが信用できないものであることは、第一審被告神奈川県外準備書面(11)(85〜91ページ)において詳述したとおりである。したがって、第一審原告らの上記「吉川証人の供述の信用性…は高い」との主張に、理由がないことは明らかである。

      

5 高橋証言の信用性

(1)
原判決は、「高橋は南原葬儀社の草深と倉田に幹郎の遺体の搬送を任せ、自らは葬儀の準備のために保土ヶ谷署を離れ、研究所には赴かなかったのであるから、研究所で現場を目撃したとの高橋の証言は虚偽であ」る(原判決48ページ)と判示した。 第一審原告らは、この判示に対し、「高橋の証言を排斥するのであれば、裁判所とすれば高橋証言が持つ矛盾を具体的に示すべきである。合理的な理由も挙げずに第三者の証言を「虚偽」と断言する原判決は誠に傲慢と言わざるを得ない」と主張する(19ページ)。
  しかしながら、そもそも、本件当日に高橋証人が横浜犯罪科学研究所に出向いていないことは、殊更原判決において判示するまでもなく、伊藤医師及び解剖に立ち会った警察官の陳述のほか、関係証拠(葬儀社の運転日報。乙B2の2)に照らせば明らかである。また、高橋証人の尋問期日における陳述内容からすれば、その大半が虚偽であって到底信用できないものであることは、第一審被告神奈川県外準備書面(11)(78〜85ページ)において詳述したとおりである。
  したがって、原判決における上記判示はまさに正当であり、第一審原告らの上記主張には理由がないことは明らかである。

(2)
また、第一審原告らは、高橋証人が、「当事者とは全く利害開係のない第三者である」こと、「当日の記憶が残った理由を具体的かつ合理的に述べており、特異なジープが記憶定着の理由となっているから他の事案と記憶が混同する余地もなく、その証言自体を精査しても格別不合理な点は存在せず、証言内容の信用性は極めて高いというべきである」などとも主張する(19〜20ページ)。
  しかしながら、そもそも、高橋証人による陳述内容に全く信用性がないことは上述したとおりである。また、同証人が、尋問期日において、本件当時あるいはそれ以降における北原葬儀社での稼動期間に加え、居住先などその生活の重要な部分についてほとんど記憶していないと陳述(高橋調書31−34ページ)したことなどからすれば、本件当時の事実関係を殊更正確に記憶していること自体不自然かつ不合理である。してみると、この点においても、同証人の陳述が著しく信用性を欠くものであることは明らかである。
  また、同証人が「お酒を飲むと記憶が飛ぶ」ことを自認(同調書63〜64ページ)し、本件以降再三にわたり「アルコール性依存症」で入院している事実(同調書34〜35ページ)に照らしてみても、上記のように「他の事案と記憶が混同する余地もな」いなどとは、到底言えないというべきである。
  さらに、第一審原告佐紀子は、高橋証人の陳述との矛盾点につき、「高橋さんが何を言っているのか知りません。私の方が正しい。」などと、自ら高橋証人の陳述を否定する旨の陳述をしているのである(佐紀子第1回調書74〜75ページ)。してみると、上記「(高橋証人の)証言自体を精査しても格別不合理な点は存在せず」などとも、到底言えないというべきである。
  こうしたことから、第一審原告らの上記主張にも理由がないことは明らかである。

6 その他

(1)動機の不存在について

  原判決は、「村井らは本件を駐車苦情事案として扱い、運転手が現れて車両を移動させた旨を保土ヶ谷署に報告して事件処理を終えていたことから、本件は、その旨110番受理簿に記載されたにとどまった。そのため、交通事故としては記録に残らず、翌日の当直員である齋藤らに対する引き継ぎも行われなかったことから、この時点(19日午前の段階)で、齋藤らには幹郎の身元及び村井らが前夜に本件を取り扱った事実は判明していなかった」(原判決35ページ)、「保土ヶ谷署は、平成9年7月19日以降の捜査の過程で、村井らが深夜出動していた事実を知るに至ったことは前記認定のとおりであるから、保土ヶ谷署にとって、司法解剖を命じられていながら、あえて解剖を行わず、虚偽の記録を作出しなければならないような特別の理由ないし必要性は、これを認めることができない」(原判決45ページ)と判示した。
   第一審原告らは、これらの判示に対し、「齋藤は真実は1997年[平成9年]7月18日から19日にかけての当直主任であったのであって、原判決は事実を全く誤認している」、「仮に斎藤は当直主任でなかったとしても、幹郎の遺体が発見された直後に、同日や前日の110番出動の有無は保土ヶ谷署署内で調査されるに違いないのであり、幹郎を救護しなかった不始末を同署ぐるみで隠蔽するため虚偽書類を作出しなければならない強い動機は容易に伺うことができる」などと主張する(20ページ)。 14
   しかしながら、これまでにも第一審被告神奈川県外において主張してきたとおり、平成9年7月19日午前0時19分過ぎころの村井巡査部長らによる取扱いは、単に「駐車苦情事案」として取り扱われていたため、当日(7月19日)朝8時30分から勤務に就いていた藤山当直主任をはじめとした当直員に対する引継ぎが行われていなかったものである。そして、同じく当日(7月19日朝8時30分から)の当直員であった齋藤巡査部長(当直主任ではない。)においても承知していなかったものである上、本件変死事案は村井巡査部長らの取扱いとは無関係に、変死事案として通常の取扱いがなされ、検事指揮による司法解剖の結果、病死(心筋梗塞)と判明したのである(第一審被告神奈川県外準備書面(11)34ページ)。 また、この点について、齋藤巡査部長は、「(当直主任ではなく)事件当直員でした」(齋藤調書3ページ)、「(当日の当直主任は)藤山班長ですj(同69ページ)、「(当直負として勤務するについて、前の晩に、パトカー勤務員がジープを移動させたという事件について)引継ぎはありませんでした」(同3ページ)、「(前の晩の深夜にパトカーの勤務員がジープを移動したことを知ったのは)25日ころに、久保佐紀子さんから電話が入りましたけれども、それ以降だと思います。(7月19日の段階では)知らなかったです」(同25ページ)、「(本件解剖が行われたことは)間違いありません」(同25ページ)と明確に陳述しているのである。すなわち、当時の齋藤巡査部長あるいは保土ヶ谷署において、第一審原告らが主張するような、「幹郎を救護しなかった不始末を同署ぐるみで隠蔽するため虚偽書類を作出しなければならない強い動機」などは皆目存在していないところである。
  したがって、原判決における上記判示はまさに正当であり、第一審原告らの上記主張は、単なる憶測ないし思い込みによる主張に過ぎず、理由がないというべきである。

(2)
捜査記録の存在について
  第一審原告らは、原判決が、本件解剖が行われたものと認定した理由の一つとして、「B幹郎の解剖所見等を記載した検視調書、解剖立会報告書、備忘録、死体検案書、死体検案調書が所定の手続きに従ってそれぞれ作成され」たことを上げた(原判決44ページ)ことに対し、「警察という絶対的な上命下服の組織において、同署の人命に係わる不始末を隠蔽するため、組織として一連の虚偽の書類が作成されることは十分にあり得ることである」、「上記捜査関係書類はあくまでも訴訟の一方当事者が作成した文書に過ぎないのであるから決して重きをおかれるべき証拠ではなく、あくまでも物的証拠や第三者の供述証拠を基礎に事実認定がなされなければならないことは当然である」などと主張する(21ページ)。   
  しかしながら、まず、本件変死事案は、村井巡査部長らの取扱いとは無関係に、変死事案として通常の取扱いがなされ、検事指揮による司法解剖の結果、病死(心筋梗塞)と判明したものである。そして、当時の保土ヶ谷署において、第一審原告らが主張するような、「不始末を隠蔽するため虚偽書類を作出しなければならない強い動機」など皆目存在していないことは上述したとおりである。また、上記検視調書等の関係書類が、本件解剖が行われたという事実を前提に、所定の手続に従って作成されているものであることは、尋問期日における齋藤巡査部長の陳述(20、68ページ)からも明らかである。
  こうしたことから、第一審原告らの上記「不始末を隠蔽するため、組織として一連の虚偽の書類が作成されることは十分にありうる」との主張は、単なる憶測ないし思い込みによる主張に過ぎず、理由がないというべきである。 さらに、第一審原告らは、「上記捜査関係書類はあくまでも訴訟の一方当事者が作成した文書に過ぎないのであるから決して重きをおかれるべき証拠ではな」いなどとも主張する。
  しかしながら、原判決は、当事者間において争いのない事実等に証拠及び弁論の全趣旨を組合して事実認定を行った上で、本件解剖が行われたものと認定しているのである。また、第一審原告らが主張する「解剖を否定する事情」についても検討した上で、「いずれも解剖の事実を否定する事情であるということはできない」(原判決50ページ)、「解剖が行われたとする認定を左右するものではない」(同64ページ)と判示しているのである。すなわち、原判決は、上記捜査関係書類に特段重きを置いて判示したものではなく、原審において提出された様々な関係証拠に照らした上で、「本件解剖が行われた」ものと認定したことが明らかである。 15
  したがって、原告らの上記主張にも、理由がないというべきである。

第4 結語
 以上のとおり、第一審原告らの主張は、いずれも理由がないことは明らかであるから、同原告らによる本件控訴は速やかに棄却されるべきである。


解説・注釈
注1
県警は、事故再現をした平野鑑定書を信用できない、とする。その主な理由は「シートベルトを着用していれば、衝突し得ない」というものである。 それでは、シートベルトを着用していなかったら、どうなるのか?  久保幹郎氏が、事故当時にシートベルトを着用していたか、いなかったか、誰も見たわけではないのだから分からない。 更に、この実験は静止状態で行われているから、走行中の衝撃という実際の条件で行われていない。

県警による、平野鑑定に対する反論のための実験。
問題点:
  • シートベルトを着用していたかどうか、わからない。
  • 着用していても、衝突の際の衝撃でシートベルトから肩が抜けることもある。 (最近の車でエアバッグがあるのは、そのため)
  • 座席の位置が一番後ろにあるが、その位置だったかどうか、わからない。
  • 車種、大きさが事件のジープと同じものかどうか、わからない。

平野鑑定は、フロントガラスのひび割れが生じた理由について、(1) 合わせガラスの外層のみにひび割れが発生し、内層には生じていないこと、(2) 自動車のフロントガラスは、引張強度が圧縮強度に比べて非常に弱い(1/20程度)ことから、内側から力が加わって生じたもの、逆に言えば、外側から力が加わっては発生し得ない(その場合は内層ガラスが割れる)と極めて合理的な判断をしている。また、(3) ひび割れの中心部に白濁が生じていないことから、接触面積の大きい、比較的硬度の低い物体が当たって生じた、と判断している。 県警は、上記の平野鑑定を否定するのであれば、いったい、フロントガラスのひび割れが、何によって生じたと考えているのだろうか?


実況見分調書(乙A4)より


県警は、平成11年には「フロントガラスのひび割れは、暗くて見えなかった」とマスコミに発表し、翌平成12年の9月、民事裁判になってから「こぶし大のひび割れが見えた」と見解を変遷させた。また、裁判の過程で交通課による実況見分調書が明らかになるや、こぶし大どころか、実際はフロントガラスの上下枠に達するまで、ひどく割れ目が生じていたことが明らかになった。 そして、検視調書も、死体検案調書も、フロントガラスのひび割れについて記載をしていない。(平成11年9月の各報道機関への発表「保土ヶ谷事案の概要」にも記載されていない。監察官室は、筆者の問い合わせに対し、内部調査をして発表した旨答えているから、彼らが交通課による実況見分報告書を見ていないわけがない。つまり、故意に発表しなかった疑いがある。)平野鑑定を否定する前に、おのれどもによる、このような矛盾した説明の方が問題ではないか。

交通事故鑑定人・故駒沢幹也氏コメント

ところで、事故の原因と、その発生機序を探ろうとする場合、あらゆる可能性を考えて、一つ一つを否定したり、立てた推論に対して裏づけが得られるか検討してみたりするのが、「分析」を行う人間の通常の行動パターンであろう。ところが、神奈川県警は、フロントガラスのひび割れと、久保氏の頭部衝突の因果関係について、全く考えてみようともしない。これまで、県警が(1) 実際は、何によってひび割れが発生したのか、その理由、(2) 車内からの力の作用による以外、ひび割れは発生し得ないとする平野鑑定を否定するような合理的理由、を示した例しがない。最近では、オフロード走行中に発生した可能性がある(県警の控訴趣意書)として、事件当日に発生したものではない、とまで主張し出している。久保氏が、バンパーを凹ませ、パンクをし、片側ミラーを失い、フロントガラスを割れさせたまま、車を乗り回していたとでも言うのか。県警は、このような屁理屈による空想と難癖つけを、いい加減に止めるべきではないか。

上述のように、フロントガラスのひび割れは、交通課の実況見分調書には明らかなのに、検視調書にも、死体検案調書にも、 平成11年9月の県警監察官室による報道発表の文書「保土ヶ谷事案の概要」にも記載されていない。単一の書類ならミスもあり得るが、3つの書類に記載がないのは、過失ではなく故意と考えざるを得ないのである。このように、殊更に否定しよう、無視しようとする姿勢こそ、そこに真の理由があるから、と考えられるのである。

注2
乙19は、齋藤巡査部長の備忘録であるから、その記載が正しいとしても、7月19日の正午をはさんだ実況見分時に記述されたものであり、乙43は事件から3週間近く経った8月10日に、ジープの荷台を撮影したものである。

乙A43号証

横浜地裁の裁判官も、神奈川県警も、時系列という概念がないのだろうか?それとも、頭がおかしいのか?久保氏が、電信柱に衝突したのは18日の深夜であるから、その時に帽子を被っていたか、いなかったか、なぜ12時間以上も経って記述されたメモ、3週間以上も経って撮影された写真から分かるのか?衝突時のショックで外れる、痛みで額を押さえる際に外れる、傷の程度を見るために外す等の状況が考えられる。

久保氏の頭部に目立った外傷がなかったのは、事件発生から病院搬送まで12時間も経れば、既に瘤のようなものの腫れもひき、更に帽子を被っていたのなら、その程度は弱かっただろう、という推測も成り立つ、ということである。(吉川葬儀社社長によれば、額に赤い腫れがあったとし、証言の際に死体写真を見せられ、その位置を指で示している。)

注3
そんなことはない。県警の警察官たちは、色弱なのだろうか?

注4
検査マニュアルは、次のように記載している。

  • 基準ドットであるSまたはCドットは、他のドットと比べ、最も軽微な発色をするよう設定されている。
  • 基準ドットが発色していないローカスについては、検査してはならない。
  • 基準ドットと同等かそれ以上の強さで発色している場合は陽性とみなす。
  • 基準ドットより薄い発色をしているドットについては、解釈にあたり注意が必要(should be interpreted with care)である。

つまり、基準ドットより薄い発色をしているドットがあるからといって、それで当該検査が不能だという県警の言い草は、曲解であり屁理屈である。

なお、押田鑑定人は一審の証人尋問の際、Sが発色していれば、それより濃いか薄いかで判定する。Bの発色は、Sよりはるかに薄いので鑑定上、何ら問題ないとしている。

注5
地裁判決は、コンタミネーションを起こしている私的鑑定をもって、押田鑑定と本田鑑定の信用性を否定した。そこには、技術力の差、設備の違いについて、何らの考慮もなかった。また、どれほど低分子化していたから、このような方法では、できたはずがない、あるいは、それを乗り越える方法が存在したのかという、メソッドに踏み込んでの評価もしなかった。押田鑑定と本田鑑定との間に差異はマイクロダイゼクタの使用の違いがあり、両鑑定と私的鑑定との間の差異は、技術力の差である(私的鑑定はコンタミネーションを起こしている)。

更に、地裁判決は、血液の抗体反応を利用した血液型検査(解離試験:壁に張り付いて乾燥した血液や、肉片を用いる犯罪捜査で使われる血液型判定法)と、第9染色体からDNA鑑定をして得られる血液遺伝子型の区別もつかない、高校の生物講座程度の常識すら持ち合わせない根拠をもって、裁判所提出臓器と、久保氏本人の血液型の違いを否定した。横浜地裁の裁判官は、ただ、しゃにむに押田鑑定と本田鑑定を否定するために、コンタミネーションを起こして鑑定不能に陥った私的鑑定の結果を利用しただけである。法律を扱う裁判官は、DNA鑑定を専門にしている大学教授よりも、DNA鑑定に詳しいとでもいうのだろうか。このような恥ずべき判決が日本に存在している事実、解離試験が犯罪捜査で使われる血液型判定法だと知りつつ、その結果を無視している神奈川県警の存在に、筆者は愕然とする思いである。

注6
裁判所提出臓器に、他人の臓器が混入する可能性がないことは、伊藤監察医自身が法廷で証言して認めている。しかるに、県警も、伊藤監察医側の弁護士も、なぜ執拗に他人の臓器の混入可能性を執拗に主張し続けるのか、まことに理解し難い。

また、押田鑑定においてはホルマリン固定された心臓と肝臓、本田鑑定ではホルマリン固定された心臓から鑑定用の肉片を切り出して、それがブロックの鑑定結果と一致しているのだから、県警の主張は不当である(混入があり、他人の臓器が鑑定対象に含まれていれば、それぞれの鑑定結果は一致しない)。

注7
県警は「解剖が約1時間で終わることは、何ら不自然ではない」と主張する。葬儀社員による縫合が、仮に10分で終わったとすれば、実際の解剖は遺体搬入から50分で終わったことになる。下記に、元東京都監察院長・上野正彦氏のTV報道でのコメントを引用する。

注8
神奈川県警は、警察官で構成されている組織ではないのだろうか。こんな程度のことも分からないのか? 誤って他人を解剖したのではなく、まさしく本人を解剖したという事実を示すために、顔を含めて遺体の前と後ろ、上半身と下半身、皮膚の上からメスを入れている写真、死因に直接関与したと考えられる部分の写真(これらの多くは、解剖台に載っている状態で撮影される)が、最低限度のものとして必要だということぐらい、少しその道を調べれば誰でも分かることである。

また、筆者自身が知人を介して現職の警察官から得た情報でも、司法解剖では、いやというほど写真を撮影するということである。この解剖記録という点について、法医学事件ファイル「変死体・殺人捜査」三澤章吾著 日本文芸社P40には、次のように記述している。

    「解剖は、繰り返しがきかない。 一度解剖した遺体は、元には戻らない。 だから、常に一発勝負で臨まなくてはならない。そのためにも、遺体の各所の写真撮影、あるいは解剖検査の所見を私が口頭で話し、それをテープに録音し、後々に大切な証拠記録として活かさなければならない。写真は鑑識の写真班が撮影してくれ、その他に筆記者が遺体の所見を逐一筆記する。それに並行して警察側と私のカセットデッキで、念のためダブルで録音することも怠らない。」

注9
「理由がない」かどうかは、原告側・準備書面(3)を見て言ってもらいたい。

注10
話の流れから言えば、刑事捜査の過程で、伊藤監察医が「解剖の証拠となる臓器を保管している」と地検が遺族に語った事から、これが本人のものか、裁判所に提出してDNA鑑定にかけて欲しい、という原告の訴えから民事裁判が始まった。当時、ホルマリン固定された臓器はDNA鑑定が難しく、もしも鑑定不能であれば、原告側の立証不十分となり、伊藤監察医側の主張のみが通る可能性があった。裁判所への臓器提出は、当時の裁判官が強硬な姿勢を示したから実現したのであって、被告側から司法解剖の証拠として、積極的に提出されたものではない。そのことは、臓器提出に先だつ平成13年2月の原告側意見書にある「われわれは、なお伊藤医師がホルマリン固定臓器を最終的に提出しないのではないか、との心配に苦しめられている」という文言に示されている。より鑑定がやり易いブロック標本に至っては、被告側は「不提出の理由書」まで作成して抵抗していた。

横浜地裁は、判決文で「実際は幹郎の臓器を所持していないのに、自ら幹郎の臓器を所持しているとの虚偽の事実を主張し、幹郎の臓器であると偽って第三者の臓器を提出することは極めて危険性が高く、これを避けるのが通常というべきである」としているが、これが最初から被告側に立った先入観でなくて、何であろうか。本物が出たか、他人の物が出たかは、重大な争点である。世の中、逆また真なり、ということもある。例えば、充分な量のホルマリン溶液に漬けていないために腐敗が進んだ臓器であれば、DNAそのものが破壊されて鑑定が難しい。敢えて鑑定が困難な臓器を提出した、という考え方も排除できないはずである。本物が出たか、他人の物が出されたか、いずれかを決める物差しは、このような勝手な憶測ではなく、第三者による客観的証言やDNA鑑定のような科学的根拠しか有り得ないはずである。

注11
そのような「剖検記録」の元になるメモを、伊藤監察医は頻繁に鉛筆書きで取ったと証言しているが、その状況を立会い警察官2人は見ていないと証言していることは、何とも不思議としか言いようがない。

注12
これも、他の書類と同じく、警察官が作成したものは全て本当と信じろ、と言っているに過ぎない。 齋藤巡査部長作成の備忘録が、小巻巡査長の陳述書と解剖終了時間をめぐって矛盾しているのは事実である。

注13
このテープは、置いた場所が悪く(相手に公然と分かる場所に置くわけもない)、人の話し声が充分に聞き取れる状態にないので証拠提出していないとのことである。横浜地検には提出しているので、県警が反証として使いたいなら、おのれらで勝手に地検から取り寄せて使えば良いだけのことだ。出せば出したで、聞き取りにくい部分にまた難癖をつけるくせに、ごたいそうな物言いをするものだ。組織防衛にまわった警察は、かくもいやらしい、いちゃもんつけをするという例だろう。

注14
県警は、「村井らは、本件を駐車苦情事案として扱い、運転手が現れて車両を移動させた旨を保土ヶ谷署に報告して事件処理を終えた」としている。しかし、村井警察官は、「どこかで自過失事故を起こして交差点まで走ってきた」と認識していた旨、証言している。平成11年9月の県警監察官室発表でも、「自過失事故と思われた」と発表している。最初の通報がたとえ「駐車苦情事案」であったとしても、「自過失事故」と認識したのに、そのまま「駐車苦情事案」で片付ける事など、あるはずがない。「自過失事故」との認識は、充分に「要保護性の認識」に直結するはずである。

注15
県警が「司法解剖があった」とする根拠は、もっぱら立会警察官の証言と関係記録(検視調書、解剖立会報告書、備忘録、死体検案書、死体検案調書等)に拠っている。横浜地裁の判決も、同様である。なぜ、警察官の証言・関係書類が、100%正しいと言い切れるのだろうか。司法解剖の証拠として法廷に提出された臓器は、DNA鑑定によって他人のものと証明されている。DNA鑑定ばかりでなく、解離試験と呼ばれる血液型検査によっても、他人のものと証明されている。裁判所であれ、警察であれ、どのような理屈を並べて、これを否定しても、太陽を見て、天が動いているのか、地が動いているのかというほどに、その事実に於いて変わりはない。事実と証言・資料とが違っていれば、証言・資料の信憑性は、揺らがざるを得ない。

神奈川県警が作成する記録は、ことほどさように信用ができるのか? かつて、覚せい剤犯隠蔽事件を起こした神奈川県警トップは、その隠蔽の課程で数々の公文書偽造を行っていた。覚せい剤犯である警察官の尿から陰性反応が出るまで、この人物をホテルに軟禁し、陽性の尿反応検査記録を隠匿・破棄し、陰性の記録だけを使用した。事件の端緒記録を偽造し、押収した注射器と覚せい剤について領置調書を作成せず、犯人にウソの上申書を書かせて退職させ、この人物の自宅から注射器と覚せい剤を外事課の秘密部隊が押収した後に、薬物対策課が家宅捜査をするなど、狂言捜査まで行っていた。保土ヶ谷事件は、覚せい剤犯隠蔽事件と、発生時期がほとんど同じなのである。

このHPで繰り返し述べているように、筆者は、久保幹郎氏が保土ヶ谷署に連行され、そこで死亡していると考えている。筆者は、二人の初動警察官の証言は、あまりに不自然かつ事実と反するので信用できない。二人の警察官は、久保氏を本当に酔っ払いと勘違いしたか(脳内出血により、吐瀉しているため)、もしくは、破損した車の状況から、事故の様子を聴取するため、久保氏を保土ヶ谷署に連れて行き、覚醒するのを待ったのであろう。そして久保氏は、救急車を呼ばれないまま、死亡してしまった。そして、責任回避を考えた保土ヶ谷署トップにより、遺体は現場に戻されたのである。その証拠は、救急隊の出動でも、交通課の実況見分でも発見されなかった免許証が、午後1時半に車が保土ヶ谷署に移動したとたんに発見されているからである。車の中から発見したのではなく、遺体を現場に戻す際、保土ヶ谷署に置き忘れてあったものを、車の中に戻したのであろう。それ以外に、免許証をめぐるつじつまは、合わない。

警察は、繰り返し「憶測、思い込み、理由がない」を繰り返すが、原告に対し居丈高なふるまい・言動をする前に、一般の国民が聞いて納得をするような説明をするべきではないか?例えば、マスコミの取材に「ノーコメント」を繰り返すような卑怯なふるまいを改め、正々堂々、記者会見を開いて、報道機関との一問一答に応じるべきである。それが、説明責任(accountability)というものであろう。

保土ヶ谷事件は、恐らく、現場に於ける小さなウソから始まったのだろう。そして、県警監察官室がフロントガラスのひび割れを隠して報道発表し、その内容が1999年に吹き荒れた全国の警察不祥事とともに国会に報告されるに及び、県警としては、引っ込みがつかなくなった。県警は、この風船のように膨らんだウソを、どこで萎ませるつもりなのか?

もはや、たとえ県警が裁判で勝っても、真実は、県警が主張するところにはないことは、誰の目にも明白だ。警察の内部犯罪に立ち向かう勇気のない裁判官が、権威を振りかざして無理矢理な理屈で警察を擁護しても、真実は、そこにはない。そして、既に事件の本質を見抜いている多くの国民は、警察と司法への不信を深めることはあっても、いい加減な詭弁・屁理屈に丸め込まれたりはしないのである。


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