原告側の控訴理由書に対する、神奈川県警の反論。極めて特徴的な点は、(1)反論の大部分において地裁判決を引用している、(2)押田鑑定については文章を多く割いて反論している一方、本田鑑定については何ら触れていない、(3)「解剖痕はなかった」という吉川葬儀社社長の証言を憶測で否定し無視している、(4)司法解剖があったという主張の根拠は、もっぱら立会警察官の証言・関係書類に依拠していること、だろう。
HP管理人は、この県警による反論を読み進むうちに、その余りに詭弁・屁理屈で固めた主張の羅列と、原告に対する重箱の隅をつつくような難癖の数々に対し、怒りを抑えることができないほどであった。こうして、自らの組織犯罪を公然と隠蔽し、その罪を免れようとしている神奈川県警は、もはや警察の名にも公的機関の名にも値しない、市井の暴力団にも等しいものと考える。
原告側は、この県警の反論に対し、再反論を行っている(後日掲載予定)が、これとは別に、現時点でHP管理人に於いて気がつく点について、その屁理屈ぶりに注釈を付け、「解説」の形で後述し指摘する。
HP管理人・萩野谷敏明
■本文
■解説・注釈
(赤い文字は関連サイトへのリンク。は解説・注釈へのリンク)
平成18年(ネ)第2861号 損害賠償請求控訴事件
(原審横浜地方裁判所平成12年(ワ)第2704号損害賠償請求事件)
第一審原告 久保佐紀子外3名
第一審被告 神奈川県 外4名
東京高等裁判所第4民事部 御中
第一審被告神奈川県、同村井学、同青地隆宏、同齋藤清
訴訟代理人 弁護士 金子泰輔
第一審被告神奈川県訴訟代理人
弁護士 池田直樹
第一審被告神奈川県指定代理人 陶山 和美
同 小山 晃伸
同 高橋 義男
同 加藤 謙二
同 北村 正
同 椎名 啓之
同 山田 孝一
同 岩木 義信
同 高久 俊之
同 坂川智津子
同 三鬼 洋二
同 桜庭 嘉洋
同 坂田 悦朗
同 中村 隆志
同 東 尚幸
同 岩本 勝美
2 「2」について
3「3」について
第一審原告らは、「本件において幹郎の死因を具体的に特定しそれを直接証拠でもって立証することを困難にさせた原因は、本来行うべき幹郎の遺体の解剖を伊藤・齋藤らが共謀のうえ行わなかったという違法行為にある」、「幹郎の死因が事故死であることの証明を困難ならしめた責任は第一審被告側の違法行為にあるから、証明責任の公平な分担の見地あるいは証明妨害による証明責任の転換法理からして、第一審被告側が幹郎の死因は事故死ではなく病死であることの証明責任を負う(と)解するのが相当である」などと主張する(4ページ)。
しかしながら、亡幹郎の遺体が、警察官2名の立会いの下、伊藤医師の執刀によって解剖に付され、その結果、死因が心筋梗塞であると判明したものであることは、上述したとおり、原審において取り調べられた客観的な証拠資料等に照らせば明らかである。したがって、第一審原告らの上記主張はその前提を誤ったもめであり、失当である。
また、こうしたことから、この点に関する主張立証責任の所在が転換されるものではなく、依然として第一審原告らが主張立証責任を負っていることは明らかである。その上で、第一審被告神奈川県外は、原審において、亡幹郎の死因が事故死ではなく病死であることを十分に明らかにしているのであって、「証明妨害」などと非難される余地は全くない。この点からも、第一審原告らの上記主張には理由がない。
などと、7項目にわたる事項を個別に指摘して、「本件解剖が実際に行われていないことを示すものである」などと主張する(6〜15ページ)。 しかしながら、第一審原告らの上記主張が、いずれも理由がないことは、以下に示すとおりである。
ア 「i 写真の説明が第一審被告らの間で食い違っていること」について
第一審原告らは、乙A17号証の解剖立会報告書に添付された「3枚の写真」について、「これら3枚の写真に関しては、同じ心臓を向きを変えて写したものなのか一部を切り離したものなのか、あるいはトレーの上で切り離したのか否かという事実関係の重要な部分で、「撮影」者である齋藤と「解剖」者である伊藤の間の供述が根本から食い違っている」とした上で、「なぜ食い違っているのか、それは写真に写っている心臓は幹郎のものではないから、齋藤と伊藤が共にいる場で切除・撮影された心臓ではないからなのである」
などと主張する(12ページ)。
(ア)まず、第一審原告らは、上記主張を行う理由として、齋藤巡査部長が、「原告ら代理人の質問に答えて、3枚の写真は同じ心臓を向きを変えた状態や撮影したものであり、2、3の写真は3つの切片に見えるが、実はつながっていて切り離されてはいないと説明している」のに対して、「伊藤は、写真1が1個の心臓を大動脈から左心室にかけて開いた写真であり、写真2と写真3は写真1の心臓から一部を切り離したものだと断言している」として、伊藤医師による右陳述について、「これは齋藤の供述とは全く相反するものである」と主張する(11ページ)。
しかしながら、そもそも、齋藤巡査部長は、尋問期日における、第一審原告ら代理人からの、乙A17号証添付の写真を示された上での、写真1と写真2の違いに関する質問に対しては、「向きを変えた状態に撮ってあると思います」、「(写真1と写真2がどういうふうに向きを変えたかについては)今説明を求められても、記憶が定かではありません」(齋藤調書65ページ)と陳述している。その上で、写真2の心臓が3つの切片に切り離されているのか否かについては、提示された写真に対し、「つながってる写真に写ってると思うんです」(同65ページ)と、その場での印象を「記憶が定かではない」ことを前提に、陳述したに過ぎないものである。
このような齋藤巡査部長の、提示された写真を一見しての印象に過ぎない陳述を、法医学の専門家である伊藤医師の陳述と対比した上で、殊更に「全く相反するものである」とする第一審原告らの上記主張は、根拠が極めて希薄であり、理由がないというべきである。
(イ)また、第一審原告らは、上記主張を行う理由として、「写真2・写真3が切り離された切片の写真であるならば、井上巡査部長の「(伊藤は)心臓を手に載せて豆腐をすっすっすっと細かく切るように縦に何本もメスを入れて、その都度開いて、また切って開いて確認していました」との陳述や、齋藤巡査部長の「(手の上で)輪切りのような状態に切りました」との陳述は、「自らの手の上で切り離したのではない旨はっきり否定している」伊藤医師の陳述と相反し、「虚偽であることになる」と主張する(12ページ)。
しかしながら、伊藤医師は、尋問期日における、第一審原告ら代理人からの「メスを入れるときには、心臓というのは、どこに置かれた状態でメスを入れるんですか」との質問に対して、「バットに置いておく場合もありますし、それから、手に持つ場合もございます」(伊藤調書60ページ)と明確に陳述している。このように、伊藤医師は、「自らの手の上で切り離したのではない旨はっきり否定」などしてはいないのである。
してみると、井上巡査部長及び齋藤巡査部長の陳述が、いずれも事実に則したものであり、「虚偽」でないことは、明らかである。また、第一審原告らの上記「虚偽であることになる」との主張に、理由がないことも明らかである。
(ウ)以上のとおり、第一審原告らの上記「「撮影」者である齋藤と「解剖」着である伊藤の間の供述が根本から食い違っている」との主張、また、右主張を前提とする「なぜ食い違っているのか、それは写真に写っている心臓は幹郎のものではないから、齋藤と伊藤が共にいる場で切除・撮影された心臓ではないからなのである」との主張には、理由がないことが明らかである。
イ 「ii 形状が伊藤の提出した心臓標本と合致しないこと」について
第一審原告らは、「解剖立会報告書【乙A17】の3枚の写真に写された臓器の形状は、伊藤がDNA鑑定のために提出した臓器標本とも合致しない」、「押田鑑定書添付の写真3〜5は、鑑定書2頁によれば、心臓1塊と心臓細片5個を含むものであるとされるが、これと解剖立会報告書【乙A17】の写真1〜3を比較すれば、心臓標本がホルマリン固定されたものであることを考慮しても、同一の臓器であるとは到底思われない」とした上で、「解剖立会報告書添付の各写真に写された臓器は本件訴訟で伊藤が幹郎の臓器であるとして提出した臓器と明らかに異なるというべきであるが、こうした矛盾が生じるのはまさに本件解剖が実際には行われておらず、他人の臓器写真や臓器標本が証拠として提出されたことを強く示唆するものである」などと主張する(12〜13ページ)。
しかしながら、第一審原告らの上記主張は、何ら根拠のないものであり、憶測に基づいて、「解剖立会報告書【乙A17】の3枚の写真に写された臓器の形状が、「伊藤がDNA鑑定のために提出した臓器標本と合致しない」と決め付けた上での主張に過ぎず、理由がないというべきである。
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この点については、原判決においても、「本件臓器中には心臓本体以外にも、心臓本体から切り離されたとみられる複数の心臓細片が存在しており(乙B1)、これら細片と写真撮影された心臓とは、必ずしも形状が一致しないとまではいえないから、心臓本体と解剖立会報告書に添付された写真中の心臓の形状が必ずしも一致しないことから直ちに本件心臓と写真撮影された心臓が同一のものではないということはできない」(原判決47ページ)と判示されているところである。
ウ 以上のとおり、第一審原告らの上記主張は、その前提において誤っており、いずれも理由がないことは明らかであって、失当である。
ア @の事実認定について
第一審原告らは、上記判示における@の事実認定に対して、「確かに、第一審原告らはこのとき解剖痕はなかったとの明確な主張をしていなかった可能性があるが、このときは警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があったからであり(第一審原告はこの時、テープ録音していた)、そのために明らかに解剖されていなかった頭部についても、警察の「頭部解剖した」という虚偽の説明をわざとそのままさせていたのである」、「警察の捜査に重大な不信感を抱いた当事者としては、いきなりその不信の根拠となった具体的事実を警察にぶつけるのではなく、いわば自らの手の内を示さない形でまず警察の説明を聞き、その後に具体的事実を示してその不合理さを追及することは十分ありうることなのである」、「特に、佐紀子は1997年[平成9年]7月26日の保土ヶ谷署副署長ら来訪前に弁護士に電話でアドバイスを受けており、慎重かつ計画的に対応したと考えられるから、解剖痕がないことを現認しているという決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとしたものと考えられる」などと主張する(17ページ)。
しかしながら、第一審原告らの上記主張は、これまでの同原告らの主張と明らかに矛盾するものであり、いずれにしても理由がないというべきである。
すなわち、第一審原告らのこれまでの主張を前提とすれば、7月26日の保土ヶ谷署副署長以下による説明の際には、同原告らにおいて亡幹郎の遺体の「胸部」に「解剖痕はなかった」ことを知悉していたはずである。してみると、当該説明の場が、本件事案に係る事実関係を説明する初めての機会であったことにかんがみれば、同原告ら自身の認識と明らかに反することになる同副署長以下によるその場での説明(本件解剖が行われていること、胸も腹も開いていること)に対して、「解剖痕はなかった」ことを指摘ないし追及し、事柄の真相を明らかにしようとすることが自然である。
またこのことは、当時、警察の捜査に重大な不信感を抱いていたとする同原告らの主張、また、同原告らが当時、テープ録音を行っていたことを考慮すれば、より鮮明となる。このような不信感を抱きながら、「解剖痕はなかった」との趣旨の指摘をいっさい行わなかったことは、同原告らの上記主張を前提とすれば、極めて不自然であると言わざるを得ない。
これについて、同原告らは、当該説明の場を、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」などと強弁する。しかしながら、現実には、同原告らは、副署長以下の説明に対し、積極的に本件事案における取扱いの事実関係を問い質し、必要に応じて追及もしているのである(乙A52、同53)。
すなわち、7月26日年前10時40分ころから午後0時20分ころまでの間、保土ヶ谷暑副署長及び刑事課長が、第一審原告らに説明を行った際、同原告らは、「解剖はしたのか。胸や腹も開いたのか」との問を発し、これに対して、刑事課長が、「検事の指揮を受けて解剖した。勿論全部調べた」と即答しているのであるが(乙A52)、その後、同日午後5時35分ころから午後6時50分ころまでの間、保土ヶ谷署副署長、刑事課長、齋藤巡査部長、村井巡査部長及び青地巡査長が、改めて同原告らに説明を行った際、同原告らは、再度、「頭部」の解剖の有無に関しては、「これは調べればわかることだ。頭部は解剖したのですか」との問を発したのに対し、齋藤巡査部長が、「頭部は解剖していません」と答えたため、これを聞いた同原告らは、同日午前中の刑事課長の説明と内容が食い違うとして、刑事課長を指差しながら、「あんたの言ったことと違う。頭部は、このように解剖すると説明したんではないか。嘘をついた。また嘘が出た。本当はどうなんだ」と追及を行っている(乙A53)。
ところが、同じ席上で、同原告らは、胸部や腹部等の身体部分の解剖の有無に関しては、全く発問していないのである。
同原告らは、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」ので、「そのために明らかに解剖されていなかった頭部についても、警察の(中略)虚偽の説明をわざとそのままにさせていたのである」などと言うが、実際には上記のように、頭部の解剖の有無に関して、同日午前中の刑事課長の説明と午後の説明内容が食い違うとして、「あんたの言ったことと違う」、「嘘をついた。また嘘が出た。本当はどうなんだ」と追及しているのであり、到底「虚偽の説明をわざとそのままさせていた」などというような状況ではなかったことは明らかである。同原告らの主張は、こうした状況に照らしても真実とはかけ離れた主張である。
さらに付言するならば、同日午後の説明の席上における、同原告らの、「頭部の解剖の有無」に関する上記「追及」も、その趣旨は、同日午前中の刑事課長の説明と食い違うとの点に主眼がおかれていることは明らかであって、「解剖痕がなかったこと」を前提になされた追及であるとは到底思えない。要するに、仮にこの時点で、同原告らが、亡幹郎の「胸部」に「解剖痕がなかった」と認定し、身体部分の解剖の有無に疑義を感じていたのだとすれば、当然に「胸部には解剖痕がなかったではないか」、「したがって本当は胸部の解剖は行っていないのではないか」というような発問ないし追及がなされるはずである。また百歩譲って、「胸部に解剖痕がなかった」という事実自体を指摘することは、「決定的な事実はあえて示さない」との方針のもとに発問を差し控えるとしても、実際に本件解剖に立ち会った齋藤巡査部長が説明に来ている同日午後の席上において、「胸部を解剖したのか」という趣旨の発問すら行っていないということは、「警察の説明を詳細に聞き取り記録することに主眼があった」とする同原告らの主張とも矛盾する。
こうしたことからすれば、当時の同原告らにおいて、亡幹郎の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことなど認識しておらず、それ故特段の指摘ないし追及をしなかったと理解するのが合理的である。したがって、同原告らの上記「決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとした」との主張は、辻棲合わせの強弁というべきである。
また、同原告らは、副署長以下による当該説明の場において、「解剖痕はなかった」ことを指摘等しなかった理由について、弁護士からのアドバイス(「『解剖あり』の記載が書き間違いだったと医者に言われたらそれまでだろう」(甲47・原告佐紀子陳述書(2)9ページ))を受けたことからなどと釈明している。しかし、その一方で、当該弁護士について、「名前は分からない」(佐紀子第2回調書33ページ)などと極めて不自然な供述に終始していることから見れば、その真偽自体が問題であるというべきである。
なお、仮に、当該アドバイスなるものが事実であったとしても、当該説明の場では、本件解剖に立ち会っている齋藤巡査部長自らが、本件解剖を行った事実を明言しているところであって、同原告らは、これをテープに録音していたというのであるから、「書き間違い」などと言われることなどを前提とする当該アドバイスに従う必要は、そもそもなかったというべきである。
さらに付言すれば、同原告らは、原審においても、上記のとおり、平成9年7月26日における会話を録音したテープが存在することを明言していたものであり、当該テープを、原審において証拠提出する旨の意思表示も再三行っていながら、結果的にはこれを提出しなかったものである。このような事情を踏まえれば、同原告らは、当該テープの内容が詳らかになることによって、自己に不利益な真実が判明することを危惧しているものとも理解され得るところである。
13
以上のことからすれば、いずれにしても、第一審原告らの上記「解剖痕がないことを現認しているという決定的な事実はあえて示さないで、警察に不合理な虚偽の説明をさせてこれを証拠化しようとしたものと考えられる」との主張には、理由がないというべきである。
イ Aの事実認定について
次に、第一審原告らは、上記判示におけるAの事実認定に対して、「伊藤に宛てた手紙については、同年(平成9年)10月に第一審原告らが伊藤と面談したときに解剖の有無について追及しており、そのときに伊藤が解剖したと言い張ったという経緯があるため、その直後に手紙ではその点を蒸し返さずに交通事故を原因とした死亡保険金請求への協力を求めたにすぎない」と主張する(17ページ)。
しかしながら、仮に、第一審原告らが主張するように、「同年10月に第一審原告らが伊藤と面談したときに解剖の有無について追及しており、そのときに伊藤が解剖したと言い張ったという経緯があ」ったとするならば、当時、亡幹郎の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことを知悉していたはずの同原告らの立場からすれば、この後に作成した「伊藤に宛てた手紙」(乙B4−1)において、「解剖痕はなかった」ことを指摘ないし追及することが、至極当然の理である。
しかるに、同原告らは、同手紙の中で、この点に触れていない。これは、当時の同原告らにおいて、亡幹由の遺体の胸部に「解剖痕はなかった」ことを認識していなかったと理解するのが合理的である。したがって、第一審原告らの上記主張にも理由はないというべきである。
ウ Bの事実認定について
また、第一審原告らは、上記判示におけるBの事実認定に対して、「告訴状の時点では必要以上に第三者を刑事事件に巻き込まないようにとの配慮で吉川の供述を記載しなかったに過ぎない」と主張する(18ページ)。
しかしながら、同告訴状(乙B13)には、「目撃者である三菱自販平岩三郎氏と連絡」をとった、「第三者である寺田氏(司法書士・仮称)」とともに「伊藤監察医の医院に出向」いた、「吉川葬儀社社長談」として「通常伊藤医師は検死だけでも1万円以上、ほとんど注射1本打つだけ…伊藤医師の領収書金額が六千円は今までの経験ではない」などと、吉川を含む第三者が本件に関与しているとする主張が、明確に記載されているのである。
してみると、上記「第三者を刑事事件に巻き込まないようにとの配慮で吉川の供述を記載しなかったに過ぎない」との主張には、およそ根拠がないものと言わざるを得ない。
エ 以上のとおり、第一審原告らの上記各主張は、いずれも理由がないというべきである。そして、原判決が、上記判示における@ないしBの事実観定に照らし、第一審原告らにおいて、「本件紛争の当初」に、「解剖痕がなかった」ということを「問題としなかったことは、保土ヶ谷署及び伊藤の責任を追及していた原告らの立場からしてもいかにも不自然である」と判示したことは、まさに正当である。
ア 原判決は、「遺体の上には1個5キロ程度のドライアイスが8個載せられており、遺体は胸の上で手を組んでいたことが認められるから、ドライアイスによる白装束の凍時と死後硬直の影響で、容易に白装束がはだける状態にはなかったとみるのが相当である」(原判決49ページ)と判示した。
第一審原告らは、この判示に対して、「いかにドライアイスや死後硬直の影響があったとしても、遺体を棺から移し替える際に衣服が乱れないなどということは断じて考えられないのであり、胸元がはだけて見えた可能性は大きいというべきである」と主張する(18ページ)。
しかしながら、そもそも、当時の亡幹郎の適体は、ドライアイスによって冷凍に近い状態、かつ経験則上、死体硬直(死後の時間の経過とともに全身の筋肉が次第に硬くなり、各関節は固く動かないような状態)もかなり強度であったことが推察される状況下にあったのである。その上で、更に両手を合掌させていた亡幹郎の遺体の白装束が、「棺から移動させる」際にはだけること自体、経験則上は、むしろ極めて不自然かつ不合理というべきである。したがって、原判決における上記判示はまさに正当であり、第一審原告らの上記主張には理由がないというべきである。
イ また、第一審原告らは、自身の目撃供述について、「久保幹之(仮称)および久保幹也(仮称)が事故の傷痕を確認しようと遺体の胸や腹を確認したというのも、佐紀子が遺体の胸元をはだけて幹郎が事故の際に強打したと思われるあたりをなで回し、その後白装束を脱がせて着物に着替えさえようとしたというのも、突然夫や父を失った遺族の行動としてはごく自然に理解でき、むしろリアルで具体的で迫真性のある供述といえるのであって、これを疑うべき理由はない」と主張する(19ページ)。
しかしながら、当時の第一審原告佐紀子はもとより、同幹之及び同幹也を含めた「親族みんな、(亡幹郎が)事故を起こして心筋梗塞になったという認識はそれぞれ持って」おり、亡幹郎の遺体の解剖痕の有無を確認する理由も必要性も全くなかったことは、同原告ら白身が認めているところである(佐紀子第1回調書95ページ)。そのような状況の下で、同原告佐紀子や同幹之、同幹也が亡幹郎の遺体の胸部に注目する理由など全くないというべきである。
また、上述したとおり、当時の亡幹郎の遺体は、ドライアイスによって冷凍に近い状態で、かつ、経験則上死体硬直もかなり強度であったと推察される状況下にあった。その上で、更に両手を合掌させていた亡辞郎の遺体の白装束が、容易にはだけること自体、現実には起こり得ないことである。また、例え遺族の妻であっても、同原告佐紀子が上記のように遺体の着物を単独で着せ替えようとしたとの主張は、不自然かつ不合理なものと言わざるを得ない。
こうしたことから、第一審原告らの上記主張にも理由がないというべきである。
ウ さらに、第一審原告らは、吉川(仮称)証人の供述の信用性について、「とりわけ吉川が目撃事実をテレビ取材に応じて述べる前に、家族や従業員全員から「警察署から変死体の葬儀の仕事を回されなくなるからやめた方がいい」と反対され実際にその後警察署からの仕事は1つも来なくなったとされる点に鑑みれば、あえて自らに不利益な供述を行った点でその信用性は高いというべきである」などと主張する(19ページ)。
しかしながら、吉川証人の陳述自体、亡幹郎の遺体を保土ヶ谷署から引き取る際の時系列、また、同人において、亡幹郎の遺体に解剖の痕跡がなかったのを見たとされる状況について、極めて不自然な点があり、これが信用できないものであることは、第一審被告神奈川県外準備書面(11)(85〜91ページ)において詳述したとおりである。したがって、第一審原告らの上記「吉川証人の供述の信用性…は高い」との主張に、理由がないことは明らかである。
県警による、平野鑑定に対する反論のための実験。
問題点:
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平野鑑定は、フロントガラスのひび割れが生じた理由について、(1) 合わせガラスの外層のみにひび割れが発生し、内層には生じていないこと、(2) 自動車のフロントガラスは、引張強度が圧縮強度に比べて非常に弱い(1/20程度)ことから、内側から力が加わって生じたもの、逆に言えば、外側から力が加わっては発生し得ない(その場合は内層ガラスが割れる)と極めて合理的な判断をしている。また、(3) ひび割れの中心部に白濁が生じていないことから、接触面積の大きい、比較的硬度の低い物体が当たって生じた、と判断している。 県警は、上記の平野鑑定を否定するのであれば、いったい、フロントガラスのひび割れが、何によって生じたと考えているのだろうか?
実況見分調書(乙A4)より |
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県警は、平成11年には「フロントガラスのひび割れは、暗くて見えなかった」とマスコミに発表し、翌平成12年の9月、民事裁判になってから「こぶし大のひび割れが見えた」と見解を変遷させた。また、裁判の過程で交通課による実況見分調書が明らかになるや、こぶし大どころか、実際はフロントガラスの上下枠に達するまで、ひどく割れ目が生じていたことが明らかになった。 そして、検視調書も、死体検案調書も、フロントガラスのひび割れについて記載をしていない。(平成11年9月の各報道機関への発表「保土ヶ谷事案の概要」にも記載されていない。監察官室は、筆者の問い合わせに対し、内部調査をして発表した旨答えているから、彼らが交通課による実況見分報告書を見ていないわけがない。つまり、故意に発表しなかった疑いがある。)平野鑑定を否定する前に、おのれどもによる、このような矛盾した説明の方が問題ではないか。
ところで、事故の原因と、その発生機序を探ろうとする場合、あらゆる可能性を考えて、一つ一つを否定したり、立てた推論に対して裏づけが得られるか検討してみたりするのが、「分析」を行う人間の通常の行動パターンであろう。ところが、神奈川県警は、フロントガラスのひび割れと、久保氏の頭部衝突の因果関係について、全く考えてみようともしない。これまで、県警が(1) 実際は、何によってひび割れが発生したのか、その理由、(2) 車内からの力の作用による以外、ひび割れは発生し得ないとする平野鑑定を否定するような合理的理由、を示した例しがない。最近では、オフロード走行中に発生した可能性がある(県警の控訴趣意書)として、事件当日に発生したものではない、とまで主張し出している。久保氏が、バンパーを凹ませ、パンクをし、片側ミラーを失い、フロントガラスを割れさせたまま、車を乗り回していたとでも言うのか。県警は、このような屁理屈による空想と難癖つけを、いい加減に止めるべきではないか。
上述のように、フロントガラスのひび割れは、交通課の実況見分調書には明らかなのに、検視調書にも、死体検案調書にも、 平成11年9月の県警監察官室による報道発表の文書「保土ヶ谷事案の概要」にも記載されていない。単一の書類ならミスもあり得るが、3つの書類に記載がないのは、過失ではなく故意と考えざるを得ないのである。このように、殊更に否定しよう、無視しようとする姿勢こそ、そこに真の理由があるから、と考えられるのである。
横浜地裁の裁判官も、神奈川県警も、時系列という概念がないのだろうか?それとも、頭がおかしいのか?久保氏が、電信柱に衝突したのは18日の深夜であるから、その時に帽子を被っていたか、いなかったか、なぜ12時間以上も経って記述されたメモ、3週間以上も経って撮影された写真から分かるのか?衝突時のショックで外れる、痛みで額を押さえる際に外れる、傷の程度を見るために外す等の状況が考えられる。
久保氏の頭部に目立った外傷がなかったのは、事件発生から病院搬送まで12時間も経れば、既に瘤のようなものの腫れもひき、更に帽子を被っていたのなら、その程度は弱かっただろう、という推測も成り立つ、ということである。(吉川葬儀社社長によれば、額に赤い腫れがあったとし、証言の際に死体写真を見せられ、その位置を指で示している。)
つまり、基準ドットより薄い発色をしているドットがあるからといって、それで当該検査が不能だという県警の言い草は、曲解であり屁理屈である。
なお、押田鑑定人は一審の証人尋問の際、Sが発色していれば、それより濃いか薄いかで判定する。Bの発色は、Sよりはるかに薄いので鑑定上、何ら問題ないとしている。
更に、地裁判決は、血液の抗体反応を利用した血液型検査(解離試験:壁に張り付いて乾燥した血液や、肉片を用いる犯罪捜査で使われる血液型判定法)と、第9染色体からDNA鑑定をして得られる血液遺伝子型の区別もつかない、高校の生物講座程度の常識すら持ち合わせない根拠をもって、裁判所提出臓器と、久保氏本人の血液型の違いを否定した。横浜地裁の裁判官は、ただ、しゃにむに押田鑑定と本田鑑定を否定するために、コンタミネーションを起こして鑑定不能に陥った私的鑑定の結果を利用しただけである。法律を扱う裁判官は、DNA鑑定を専門にしている大学教授よりも、DNA鑑定に詳しいとでもいうのだろうか。このような恥ずべき判決が日本に存在している事実、解離試験が犯罪捜査で使われる血液型判定法だと知りつつ、その結果を無視している神奈川県警の存在に、筆者は愕然とする思いである。
また、押田鑑定においてはホルマリン固定された心臓と肝臓、本田鑑定ではホルマリン固定された心臓から鑑定用の肉片を切り出して、それがブロックの鑑定結果と一致しているのだから、県警の主張は不当である(混入があり、他人の臓器が鑑定対象に含まれていれば、それぞれの鑑定結果は一致しない)。
また、筆者自身が知人を介して現職の警察官から得た情報でも、司法解剖では、いやというほど写真を撮影するということである。この解剖記録という点について、法医学事件ファイル「変死体・殺人捜査」三澤章吾著 日本文芸社P40には、次のように記述している。
横浜地裁は、判決文で「実際は幹郎の臓器を所持していないのに、自ら幹郎の臓器を所持しているとの虚偽の事実を主張し、幹郎の臓器であると偽って第三者の臓器を提出することは極めて危険性が高く、これを避けるのが通常というべきである」としているが、これが最初から被告側に立った先入観でなくて、何であろうか。本物が出たか、他人の物が出たかは、重大な争点である。世の中、逆また真なり、ということもある。例えば、充分な量のホルマリン溶液に漬けていないために腐敗が進んだ臓器であれば、DNAそのものが破壊されて鑑定が難しい。敢えて鑑定が困難な臓器を提出した、という考え方も排除できないはずである。本物が出たか、他人の物が出されたか、いずれかを決める物差しは、このような勝手な憶測ではなく、第三者による客観的証言やDNA鑑定のような科学的根拠しか有り得ないはずである。
神奈川県警が作成する記録は、ことほどさように信用ができるのか? かつて、覚せい剤犯隠蔽事件を起こした神奈川県警トップは、その隠蔽の課程で数々の公文書偽造を行っていた。覚せい剤犯である警察官の尿から陰性反応が出るまで、この人物をホテルに軟禁し、陽性の尿反応検査記録を隠匿・破棄し、陰性の記録だけを使用した。事件の端緒記録を偽造し、押収した注射器と覚せい剤について領置調書を作成せず、犯人にウソの上申書を書かせて退職させ、この人物の自宅から注射器と覚せい剤を外事課の秘密部隊が押収した後に、薬物対策課が家宅捜査をするなど、狂言捜査まで行っていた。保土ヶ谷事件は、覚せい剤犯隠蔽事件と、発生時期がほとんど同じなのである。
このHPで繰り返し述べているように、筆者は、久保幹郎氏が保土ヶ谷署に連行され、そこで死亡していると考えている。筆者は、二人の初動警察官の証言は、あまりに不自然かつ事実と反するので信用できない。二人の警察官は、久保氏を本当に酔っ払いと勘違いしたか(脳内出血により、吐瀉しているため)、もしくは、破損した車の状況から、事故の様子を聴取するため、久保氏を保土ヶ谷署に連れて行き、覚醒するのを待ったのであろう。そして久保氏は、救急車を呼ばれないまま、死亡してしまった。そして、責任回避を考えた保土ヶ谷署トップにより、遺体は現場に戻されたのである。その証拠は、救急隊の出動でも、交通課の実況見分でも発見されなかった免許証が、午後1時半に車が保土ヶ谷署に移動したとたんに発見されているからである。車の中から発見したのではなく、遺体を現場に戻す際、保土ヶ谷署に置き忘れてあったものを、車の中に戻したのであろう。それ以外に、免許証をめぐるつじつまは、合わない。
警察は、繰り返し「憶測、思い込み、理由がない」を繰り返すが、原告に対し居丈高なふるまい・言動をする前に、一般の国民が聞いて納得をするような説明をするべきではないか?例えば、マスコミの取材に「ノーコメント」を繰り返すような卑怯なふるまいを改め、正々堂々、記者会見を開いて、報道機関との一問一答に応じるべきである。それが、説明責任(accountability)というものであろう。
保土ヶ谷事件は、恐らく、現場に於ける小さなウソから始まったのだろう。そして、県警監察官室がフロントガラスのひび割れを隠して報道発表し、その内容が1999年に吹き荒れた全国の警察不祥事とともに国会に報告されるに及び、県警としては、引っ込みがつかなくなった。県警は、この風船のように膨らんだウソを、どこで萎ませるつもりなのか?
もはや、たとえ県警が裁判で勝っても、真実は、県警が主張するところにはないことは、誰の目にも明白だ。警察の内部犯罪に立ち向かう勇気のない裁判官が、権威を振りかざして無理矢理な理屈で警察を擁護しても、真実は、そこにはない。そして、既に事件の本質を見抜いている多くの国民は、警察と司法への不信を深めることはあっても、いい加減な詭弁・屁理屈に丸め込まれたりはしないのである。
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