被控訴人伊藤準備書面(1)

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平成18年(ネ)第2861号損害賠償請求控訴事件
控訴人  久 保 佐紀子 他3名
被控訴人 伊 藤 順 通 他4名

被控訴人伊藤準備書面(1)

平成18年11月13日

東京高等裁判所第4民事部ハ係 御中

被控訴人 伊藤順通訴訟代理人
弁 護 士 保  田  真 紀 子
弁 護 士 斎  藤      榮

I 控訴人らの平成18年9月25日付け準備書面(控訴審第1)に対する被控訴人伊藤順通の反論

第1 前記準備書面「第1 はじめに」に対する認否反論

1 1項について。
控訴人は前記準備書面で、被告村井、同青地が「・・・・・幹郎が意識不明の状態であることを現認」したというが、そのような証拠は原審で取り調べた証拠のどこにもない。控訴人らの主張は、証拠に基づかない主張である。
また、控訴人らは本項で「被告斎藤らが、監察医である被告伊藤を巻き込み、真実は幹郎の解剖を行っていないにもかかわらず・・・・・死体検案書等に虚偽の記載をした」と主張する。ここでいう「巻き込み」という表現は必ずしも意味するところが定かではないが、従前の主張通り「共謀し」という趣旨と思われるところ、この点も証拠に基づかない、控訴人らの妄想による虚構の主張に過ぎないことは原審の一件記録から明白である。

2 2項について。
控訴人らは、平成9年7月19日の未明パトカーが110番通報により出動していた事実が、控訴人らの独自の調査で同年7月25日頃に判明したことから、「警察が不祥事を犯し、それを隠蔽するために110番通報があったことを殊更隠した」という憶測をし、それが嵩じて「真実は幹郎が交通事故で死亡したところ、被告村井、同青地の救護義務違反による保護責任者遺棄致死という不祥事を隠蔽するために、被告斎藤と被告伊藤が共謀して解剖をしないで虚偽の検案書を作成した」という虚構の邪推をするに及んだものである。控訴人らが、そのようなことを主張する動機としては、交通事故死であった場合と、病死であった場合の死亡保険金の給付金の差額にあったものと推定される。控訴人らは平成9年7月25日には既に死亡保険金の請求をしているのである(平成17年2月18日付久保佐紀子本人調書45頁)。控訴人が主張する「被告斎藤と被告伊藤が共謀して解剖をしないで虚偽の検案書を作成した」等という事実は、原審判決で明確に否定されたばかりでなく、控訴人らが執拗に繰り返した刑事告訴においても、横浜地方検察庁の捜査によって何度も否定されている事実である。すなわち、控訴人らは本訴とは別に、2回に亘り、村井、青地に対しては「保護責任者遺棄致死罪」で、伊藤に対しては「虚偽検案書作成罪」でそれぞれ告訴し、不起訴処分に対する異議申立や、検察審査会に対して不起訴処分不当申立などを繰り返したが、これら伊藤に対する告訴については、横浜地方検察庁の不起訴処分の理由はいずれも「嫌疑なし」(嫌疑不十分や起訴猶予ではなく)なのである。

3 3項について。
 本項で控訴人らが主張する「あえて本訴を提起したのは、何よりも第1審原告ら自身が事件当夜に現認した幹郎の遺体に解剖の形跡が全くなかったという明晰判明な確信を抱・・・」いたとするのは、後から取って付けたこじつけの理由に過ぎない。事件当夜に確信を持ったのなら、何故もっと早い時期にそれを主張しなかったのかについての合理的理由がない。控訴人らの訴訟提起は平成12年7月17日(訴状の日付)であり、平成9年7月19日の死亡から約3年経過しており、不法行為による損審賠償請求の時効完成直前である。
平成11年9月19日放映の「サンデープロジェクト」(甲22)で初めて本件事案がマスコミで取り上げられ(この時は幹郎の頭部の解剖の有無や解剖開始時間等について問題としていた)、その後、誤報道が相次ぎ、平成11年暮れ頃に「ニュースの森」というテレビ番組を見た高橋栄行が、見覚えのあるジープと言うことで自らテレビ局に連絡し取材を受けた(証人高橋栄行尋問調書54、55頁)、この時、 高橋がいい加減な記憶に基づいて解剖がされなかった等と言ったと思われる。
 平成12年3月14日頃、テレビ局の人間が高橋と控訴人久保佐紀子を引き合わせ(甲47久保佐紀子陳述書25頁)、高橋の話から、控訴人らは解剖がなかったのではないかという疑惑を深めるに至ったものと推測される。
 つまり、高橋証人のいい加減な証言を鵜呑みにしたことが「(解剖なしとして)あえて本訴を提起した」動機であると推測される。この点は原審訴訟進行の初期の段階で、被告伊藤が控訴人らに対して、準備書面(平成12年10月13日付け)で「被告伊藤が解剖を行っていないことは明白であるという根拠」について釈明を求めたことに対して何らの回答もしなかった(出来なかった)ことからも明らかである。それにも拘わらず、今更、「あえて本訴を提起したのは、何よりも第1審原告ら自身が事件当夜に現認した幹郎の遺体に解剖の形跡が全くなかったという明晰判明な確信を抱・・・」いたからである等といっても全く説得力をもたない。
 また、控訴人らは本項で敢えて訴訟を提起した動機は「解剖不存在の事実は伊藤が保管していると主張する幹郎の臓器のDNA鑑定によって立証可能と考えたからにほかならない」ともいうが、これも後で取って付けたこじつけの理由に過ぎない。DNA鑑定によって立証可能であると考えたなら、比較対照すべき生前の幹郎のDNAを保有していなければならない。控訴人らの原審におけるDNA鑑定申立は、幹郎と子が親子関係にあるかどうかという鑑定である。換言すれば、幹郎と子が親子であることを前提としなければ成立しない鑑定方法である。鑑定の目的は、「伊藤が保管していると主張する幹郎の臓器が本人のものか否か」と言う点にあるのだから、本人のDNAと比較対照しなければ、直接的にはなんら意味がない。
 また、控訴人は原審判決が押田鑑定と本田鑑定の結果をそのまま認めなかったことが「原審判決が不当である全て」であるかのような主張をするが、原審判決理由を全く理解していない主張である。原審判決は、原審に出された全証拠(人証で10名、甲号証は合計64号証、乙号証はAB併せて合計78号証)を詳細に評価し、司法解剖の存在と検案結果である心筋梗塞による死亡等の結論を出したのである。原審で証拠とされたDNA鑑定結果については、原告が「解剖を否定する事情」として述べた@からFの事情に対する一事情としての判断を加えているに過ぎないのである(原審判決44頁以下)。この点は後述する。

4.4項について。
控訴人らは「本件訴訟の最重要証拠であるDNA鑑定」とするが、DNA鑑定に関する部分は、本件訴訟の「最重要証拠」ではない。前項で述べたように、DNA鑑定に関する部分は、控訴人が原審で主張した「解剖を否定する事情」の7つ事由の内の1つにすぎない。強いて言えば、原審における「唯一控訴人に有利な証拠」とはいえるかも知れない。しかしながら、仮に、本田鑑定が正しいとしても(この場合は結果的に押田鑑定も久保幹郎の臓器ではないという限りで正しいことになるが)、DNA鑑定の結果が他人の臓器だったからといって直ちに被控訴人伊藤の司法解剖の存在を否定することにはならない。仮に、本田鑑定の結果が正しいとしたらそれは、被告伊藤が幹郎の臓器であると信じて保管していたものが、何らかの手違いで他人の臓器を出してしまったのであるとしか考えられないのであり、このことは、原審取り調べの全証拠から推測されることなのである。この点は、控訴人らの控訴審第2準備書面の反論において後述する。
第2 前記準備書面「第2 村井らによる救護義務違反の有無について」に対する認否反論
1.1項について。
 控訴人らは本項において「解剖しなければ死因が心筋梗塞であることは絶対分からない」と批判する。しかしながら、本件事案は被控訴人伊藤の不法行為が成立する為には、死因が心筋梗塞であるか否かが争点ではなく、外因死であるか内因死であるかが争点である。解剖せずとも死因が交通事故等による外因死であるか、心筋梗塞や脳梗塞等による内因死であるかの区別は、状況証拠からある程度推測可能であろう。非控訴人が解剖せずとも推認可能であると指摘するのはこの点であって、内因死の種類(死亡原因)ではない。控訴人らの本項における主張は、誤解に基づく主張である。解剖せずとも外因死か内因死かについてはある程度推認可能である。  

2.2項について。
 平野鑑定(仮称)(甲54)と田ノ浦鑑定(甲52)は、さしたる証拠価値がない証拠であることは原審において被控訴人らが縷々指摘したところである。フロントガラスのひび割れは、幹郎が頭部を衝突させたために出来たものとは到底言えないこと、また、幹郎の死因が頭部をフロントガラスに衝突させたためであるとは到底言えないことは、原審で被控訴人らが再三、指摘したとおりである。
 控訴人らは、本項で「(幹郎の)頭部に大きな外傷が見当たらなかったのは幹即が帽子を被っていたためであり【乙A43など】、また衝突時から横浜市民病院での写真撮影までの間には少なくとも半日以上の時間の経過があるから、原判決の判示には説得力がない」と論難する。しかしながら、幹郎の頭部には「大きな外傷」はもとより小さな外傷もなかった(甲15、16 乙A24の5)。
 また、車の後部に帽子があったからといって、その時、幹郎は帽子を被って車の運転をしていた等というご都合主義的な主張は、真夏に近い日(7月19日)の夜中で車の運転中という状況も合わせ考えると無理なこじつけといわざるを得ないし、フロントガラスに頭部を強打したことが原因で死亡したと主張する者が、強打した等の頭部に外傷や打撲の後が全くない理由は、その時、野球帽を被っていたからだというのは、子供でも騙せない弁解であろう。加えて「衝突時から横浜市民病院での写真撮影までの間には少なくとも半日以上の時間の経過があるから」という弁解に至ってはその弁解理由を理解するのも困難である。衝突時(打撲時)から写真撮影までに半日近くあったから、打撲や外傷が治って消えてしまったとでも言うのだろうか、常識を持たない者の思いつきの弁解であるに過ぎない。
 控訴人らは更に本項で「原判決は、いったい何故にフロントガラスのひび割れが生じたと言うのであろうか。全く理解しがたい。」とするが、原審判決はフロントガラスのひび割れの原因は幹郎が頭部をぶつけたためではないと判示しただけで、何故生じたかについては判断する必要がないとして触れていないだけである。フロントガラスのひび割れは今回の機会に出来たものではなかったかも知れないし、あるいは、今回の機会に、蛇行した際、路側の上方に突き出した何らかの障害物にぶつけたかも知れない。原判決がひび割れの原因に触れなかったから、幹郎が頭部をぶつけたのだという論法が成り立つものではないことは多言を要しない。
 因みに、原判決理由中には、フロントガラスのひび割れが今回の機会に出来たかのようなことを窺わせる認定があるが、何故、フロントガラスのひび割れが今回の機会に出来たと認定できるのか証拠が明らかでない。

3.3項について。
被控訴人伊藤は、幹郎の遺体を司法解剖をした上、死因を心筋梗塞と検案したものである。
第3 前記準備書面「第3 伊藤らによる不法行為の成否について」に対する認否反論

1.1項について。
控訴人らは「本件訴訟の最大の争点」は解剖の有無であると主張するがそうではない。最大の争点は、幹郎の死亡につき「第1次的に取り扱った警察官の責任の有無」であり、幹郎が「交通事故死であったのかそうでなかったの(病死)か」という点である。前述したように、原審判決は、原審に出された全証拠(人証で10名、甲号証は合計64号証、乙号証はAB併せて合計78号証)を詳細に評価して結論を出したのである。原審で証拠とされたDNA鑑定結果については、原告が「解剖を否定する事情」として述べた@からFの事情に対する一事情としての判断を加えているに過ぎない(原審判決44頁以下)。この点は後述する。

2 2項について。 別に反論を述べる。

3.3項については、(2)の@乃至Fについて認否反論する。

(1)
@において、控訴人らが主張する「解剖」時間が実質的に30分〜40分程度しかなかったとするのは根拠のない主張である。確かに、原審判決理由中には「午後8時40分ころ、小巻は許可状を携えて研究所に戻ったが、既に遺体は研究所の外で待機していた草深(仮称)と倉田(仮称)によって白装束を着せられて納棺の上、葬儀社の車両に戻された後であった。」と認定している部分があり(原審判決38頁)、これを根拠に、控訴人らは解剖時間が実質的に30分〜40分程度しかなかったとする。しかしながら、被告斎藤清は「小巻巡査長が発付された許可状を持って研究所に到着したのは午後8時40分ころで、その時にはちょうど解剖も終了し、伊藤先生が死体検案書などの作成に取りかかっている時でした」 (乙A15号証13、14頁)と述べており、また、 小巻巡査長の陳述書でも「私が解剖室に入った時、解剖台の上に遺体はなく、すでに車の中に入れられてるようでした」(乙A29 5頁)と陳述しているに過ぎない。原審判決認定のように、午後8時40分には「既に遺体は研究所の外で待機していた草深と倉田によって白装束を着せられて納棺の上、葬儀社の車両に戻された後であった。」との証言はなく、被告井上二政の陳述書や証言にもない。
かえって、当日の運転日報(乙B2の2)には監察終了時間は「21時40分」とあり、解剖終了の午後8時40分過ぎから、遺体への死に装束がなされたことを窺わせる時間が記載されているのであり、原審判決理由のこの部分は証拠に基づかない明らかな事実誤認である。控訴人らの主張は、事実誤認を前提になされた推測である。

(2)
Aにおいて「解剖」状況を示す写真が存在しない、ことを以て解剖がなかったと指摘する。確かに、本件では心臓の写真は存在するものの遺体解剖経過を示す解剖写真はない。本件の場合、司法解剖写真は被告伊藤が撮影するものではなく、委嘱警察署の鑑識課員が撮影するのが従前からの通例である。司法解剖においては、通常、写真撮影がなされるが、当日は、生憎土曜日の夜ということもあって鑑識課員がいなかったため、刑事課の被告斎藤がカメラを携行していった。被告伊藤も被告斎藤も本件事案は事件・事故性が少なく行政検案解剖相当との認職があったため、本来の司法解剖に要求される手続きを十全には履践しなかったきらいがあったため解剖写真が残っていなかったものである。このことは、見方を変えれば、控訴人らが主張する「被告伊藤と被告伊藤が(警察の不祥事を隠蔽するため)共謀の上、解剖をしないで虚偽の検案書を作成した」ものではないことを裏付けているものである。 即ち、共謀して敢えて虚偽の検案書を作成するのであれば、司法解剖が命ぜられているのであるから、検案書の虚偽性を糊塗するための方策の一つとして解剖をし、且つ解剖写真もしっかり残した上、虚偽の検案書を作成するのが自然である。「解剖もしないで」ということと「虚偽の検案書を作成」したという控訴人の主張には無理または矛盾がある。

(3)
Bにおいて控訴人らが指摘する、頭部の解剖をしなかった理由については、被告伊藤において本件は司法解剖ではあったが、事件・事故性がある「変死体」ではなく、単なる「異常死体」との状況認織があり、先になされた胸・腹部開検において、心臓部において明らかに死因が心筋梗塞と認められ、後頭窩穿刺によって頭腔内の出血が否定されたため、頭部の解剖をしなかったものであることは原審で再三述べた。頭部の解剖をしなかったことが、本来あるべき司法解剖の観点から手落ちであったという批判は甘受せざるを得ない。しかしながら、だから解剖全体をしなかったという論拠にはならない。むしろ、前項で述べたように、このことは、見方を変えれば、控訴人らが主張する「被告伊藤と被告斎藤が(警察の不祥事を隠蔽するため)共謀の上、解剖をしないで虚偽の検案書を作成した」ものではないことを裏付けているものである。即ち、共謀して虚偽の検案書を作成するのであれば、司法解剖が命ぜられているのであるから、検案事の虚偽性を糊塗するための方策の一つとして頭部の解剖を割愛する筈がないからである。 また、控訴人らは、本項で、解剖時の写真がないことが解剖をしなかった根拠の一つであると主張する。解剖時の写真がない(死因を示す心臓部の写真は存在する)のは、鑑識課員が不在であったことと「変死体」との認識が充分ではなかったことに起因するものであったことは原審証拠からも明らかである。更に控訴人らは、高橋栄行証人の解剖しなかったという証言を根拠とするが、同人は自己が10年近く所属していた会社名「株式会社○○○○葬祭」すら正確に言えず勤務先の「有限会社●●●●葬儀社」と混同した「有限会社○○○○葬儀社」と言い張った(平成16年7月23日付高橋栄行証人尋問調書51頁 乙B12)など、同人の記憶能力には基本的な問題があり、同人が重度のアルコール依存症であったことと併せ考えると高橋証言の借憑性は極めて低い。現に、高橋証言は全体として他の証拠からは矛盾した内容が多く(例えば、当日午後2時半頃には幹郎の遺体を横浜犯罪科学研究所に運び検案をした、その時被告伊藤は、解剖もしないで心筋梗塞と検案した等)、また、証言自体の内容において事実関係を疑わざるを得ない内容となっており到底措信するに値しない。   

(4)
Cにおいて「3枚の心臓写真の不可解」を指摘するが、むしろ控訴人らの本項における指摘内容自体が不可解である。控訴人らの、本項における最も不当な主張は、解剖時撮影した3枚の心臓の写真 (乙A17)について「写真1と写真2・写真3」を見比べて「写真2と写真3は切片を並べた写真であることは明らか」と全く誤った推定をした上で「形状が伊藤の提出した心臓標本と合致しない」等と、何の根拠もない誤った推論をしている点である。乙A17添付の写真1,2及び3を見比べれば、写真1は遺体から取り出した一塊の心臓をバットにおいたもの。写真2及び3は当該心臓をバット上で切り開いたもの(切片に切り離してはいない)であることが観て取れる。梗塞の状憶を観察するために切り開いたものであるから切り離す必要はないし写真からも切り離していないことは明らかである。 また、乙A17添付写真の心臓と伊藤の提出した心臓標本(乙B1のBからD)が同一のものか否かは較べようがない。因みに、 乙B1のBからDに写されているスティック状の切片は、後日プレパラート標本を作製するために一塊の心臓から切り出した切片であることは言うまでもない。 逆に、乙A17の写真は司法解剖がなされたことを裏付ける、決定的といっても過言ではない証拠である。司法解剖において、後日、遺族らから解剖をしていないなどと言うことが問題視されること自体極めて前代未聞の異例のことであり、予想すらし得ないことである。だから、迂闊にも、解剖全体の写真を撮影することは重要なこととは考えていなかった。しかしながら、本件司法解剖の目的は死因を明確にする点にあるのだから、死因である心筋梗塞の状態を示す写真を最小限、残したものである。前述したが、充分な解剖写真が残されていないことは、見方を変えれば、控訴人らの主張する「被告伊藤と被告斎藤が(警察の不祥事を隠蔽するため)共謀の上、・・・・・虚偽の検案書を作成した」ものではないことを裏付けているものである。即ち、共謀して虚偽の検案書を作成するのであれば、司法解剖が命ぜられているのであるから、検案書の虚偽性を糊塗するため解剖をし且つ解剖写真もしっかり残すのが当然である。

(5)
Dについて。 原審判決は、控訴人らの指摘した疑問に答えて、被告伊藤が意図して第三者の臓器を亡久保幹郎のものであると偽って提出したと考えることは困難である、と認定したのである。この認定事実は敢えて言うまでもない当然の事実であるが、控訴人らが原審でこのような(被告伊藤が他人の臓器を敢えて提出したという)根拠のない言い掛かりを主張したため判断をした部分である。被控訴人伊藤が第三者の臓器を偽ってまで提出しなければならない理由は何ら存在しない。本当は解剖をしていないのに、それを偽るつもりなら、「解剖はしたが臓器などは保存していない」とひと言いえば済む問題(臓器保存義務はない)である。敢えて偽って、「臓器を嫡出して保存している」等と言う道理がない。解剖もしていないのに、嫡出した臓器が存在する等と言えば、DNA等による本人との同一性のみでなく、心筋梗塞という死因の真偽や血液型その他様々な科学的検征がされることになることは自明である。真実解剖をしたからこそ、また、死因が心筋梗塞によるという検案に自信があったからこそ、臓器を保存していると言い鑑定に付したのである。このように、被控訴人伊藤が、敢えて偽って他人の臓器を提出したことは全くあり得ないことであるが、久保幹郎の臓器と思っていたのを、他人の臓器と取り違えて提出した可能性を完全に否定するということはできない。被控訴人伊藤は年間平均100体程解剖を扱っていた。本件解剖は平成9年7月のことであり、臓器の提出は平成13年4月のことである。この間に何らかの予期せぬ手違いが存在した可能性を完全に否定することはできない。この点は別に述べる。

(6)
Eについて。 控訴人らは、解剖に基づいて当日作成された 検案調書(甲16)の内容が詳細であるのが不自然という。また、後日(平成12年1月31日)作成された鑑定書(甲15)が詳細過ぎて不自然ともいう。 検案調書鑑定書も本来詳細に記載すべきことが使命である。真実解剖をして検案をしなければ詳細な検案調書も鑑定書も作成できないであろう。解剖しないで、想像だけで書けば、必ずや内容が事実ではないという指摘になる。控訴人らが検案調書や鑑定書の内容の真偽には何ら触れず(触れることが出来ず)、内容が詳細すぎるとのみ指摘するのは、内容が真実で有るからに他ならない。このことは、被告伊藤が事実解剖をして検案をした証左であり、被告伊藤が極めてベテランの監察医である証左である。 被告伊藤は、検案時や解剖時、随時、傷や臓器の重さなどを取りメモしておき、解剖終了後には剖検記録を作成する(伊藤調書53頁。同56頁)と証言している。検案調書や鑑定書はそれらの剖検記録を基に作成したのであるから詳細なものであることは当然である。

(7)
Fについては反論に値しない指摘である。「死体検案調書は斎藤が作成」したとするが、死体検案調書は被控訴人伊藤が作成したものである。 証拠から推認される事実経過からして、被告斎藤が、解剖所見については備忘録(乙A19)の余白に後日つじつま合わせのために書き込んだとは到底考えられない。この点は控訴人らの単なる思いつきによる根拠なき主張である。 10

4 4項について。
被控訴人伊藤は死亡当日控訴人らに死体検案書(死亡届)を交付している(甲8の3)。これには、死亡の原因「心筋梗塞」解剖「有」と明確に記載されている。 控訴人らは、遺体を荼毘に付す前に死体検案書(死亡届)を見たかどうかについては曖昧な証言を操り返している。遺体が茶毘に付されたのは、7月24日とされているから、7月19日から4日間遺体は検案書と共に控訴人らの下にあったのである。また、控訴人らは、亡久保幹郎が乗っていたジープの痕跡から当時から交通事故死を疑い保土ヶ谷署に「事故を徹底的に調べ直して欲しい」と電話を入れたり、7月22日には次男が独自に現場の調査を開始したりした (甲47久保佐紀子陳述書5頁6頁)。このような事情から考えると、控訴人らが、死亡届に書かれた死因やその他の記載(解剖有)を見ていない筈がない。死亡届には、解剖有りと記載されていたのであるから、遺体を見れば解剖の有無は歴然と判明するはずである。当時、遺体を見て、解剖の痕がないと判明していたとすれば、その時点で大騒ぎとなっていたはずである。監察医からすれば、解剖の有無は遺体を見れば歴然とするものであるから、解剖をしないのに「解剖 有」と記載した死亡届を遺族に渡せるはずがない。控訴人らが平成9年10月下旬頃、血相を変えて被控訴人伊藤の研究所を訪れたのは、本項で控訴人らが主張する遺体に解剖痕がなかったからではなく、死因が内因死であったため事故死の場合にもらえる生命保険金がもらえないのは、被控訴人伊藤の検案書が原因であると考えていたからであると言わざるを得ない。

5 5項について。
高橋栄行証人の証言が極めていい加減で事実とは到底言えないということについては原審においでも再三述べた。同人は強度のアルコール依存症のため記憶の正確性において著しく劣るものと思われる。 11

6 6項について。
その他に指摘する控訴人らの主張も思いつきの無理なこじつけに過ぎない。数多ある110番通報をいちいち全てに亘って引き継ぎを受けるものではないことは容易に推測がつくことであるし、今日の警察組織の中で、組織ぐるみで事実を隠蔽するなどということは出来るものではない。当時作成された捜査記録等の公文書が極めて信頼性の高い証拠であることは多言を要しない。 12
第4
 「這っても黒豆」と言う諺がある。小さな黒い点を指して一方が「虫だ」と言い、他方が「黒豆だ」と言って意見が分かれた。その内、黒い点がもぞもぞと這い出した。「黒豆だ」と主張した者は、それでも黒豆だと言い張ったと言う故事から、動かぬ証拠を突き付けられても自己の主張を譲らない頑迷さを言うものである。「鴬(サギ)を烏(カラス)と言いくるめる」とも言う。控訴人らの控訴審における準備書面を読む限りこの辞を思い出さずにはいられない。
U 控訴人らの平成18年9月25日付け準備書面(控訴審第2)に対する被控訴人伊藤順通の反論。

第1 はじめに。

1 本件事案におけるDNA鑑定結果の位置づけ。

(1)
控訴人らの主張。 控訴人らは準備書面(控訴審第1)において、随所で「本件訴訟の最重要証拠であるDNA鑑定」(2頁下から2行目)とか、「解剖の有無にかかる最大の証拠は・・・DNA鑑定の結果である」(5頁12行目以下)としてDNA鑑定の結果についての原審判決の判断が全ての事実誤認理由であるかの如く糾弾するが、全く原審判決を正解していない主張である。

(2)
原審判決は原審に出された全証拠(人証で10名、甲号証は合計64号証、乙号証はAB併せて合計78号証、但し、枝番で出されているものはカウントしない)を群細に評価し、約5年半の歳月をかけて司法解剖の存在を認定し、その検案結果である心筋梗塞による死亡等の結輪を出したのである。DNA鑑定が本件訴訟の最重要証拠であるとか、DNA鑑定の結果が解剖の有無にかかる最大の証拠であるというのは、控訴人らの誤った主観的な一方的評価に過ぎない。 因みに原審証拠中、DNAに関するものは人証で10人中押田鑑定人1人、書証では甲乙併せて142号証中、甲37〜39、53、59、61〜64、乙B19〜21、乙A10、乙A12〜14の16号証に過ぎない。勿論、証拠の数だけで単純に比較はできないが、原審判決は他の多くの証拠に基づいて約5年半の歳月をかけて控訴人らが主張した事実を判断したのであって、現に、原審では、DNA鑑定結果については、原告が「解剖を否定する事情」として述べた@からFの事情に対する一事情としての判断を加えているに過ぎない(原審判決44頁以下)のである。 DNA鑑定に関する判断もこれら多くの他の証拠から導き出された結論の一つである。加えて、DNA鑑定の結論の正否は、提出された臓器(乙B1)が、全て被控訴人伊藤が亡久保幹郎の司法解剖の際嫡出保存した臓器であることが鑑定の前提であるところ、被控訴人伊藤において、他人の臓器混入の可能性を示唆している事情の下(平成14年4月16日付被告伊藤意見書2頁下行から2行目、平成17年12月16日付け被告伊藤準備書面8頁(6)、平成16年12月17日被告伊藤本人調書78頁下行から8行目以下)にあっては、控訴人らが言うように、DNA鑑定が本件訴訟の最重要証拠であるとか、DNA鑑定の結果が解剖の有無にかかる最大の証拠であると言うことは前提において誤りである。 13

(3)
そもそも、解剖だけで年間100体近くを取り扱うベテラン監察医である彼控訴人伊藤が、刑事祈訟法168条の鑑定処分を命ぜられた司法解剖において、解剖をしないで解剖報告書である検案調書を作成するなどという事は、通常はあり得ないことある。 しかも解剖有りと記載し、解剖所見を前提とした検案書(甲8の3)を遺体と共に遺族に手渡しているのである。更に、控訴人らは「警察が不祥事を犯し、それを隠蔽するために監察医は警察と共謀して(解剖もしないで)虚偽の検案書を作成した」とも主張しているのである。このような中で、解剖をしていないのではないかという疑問を遺族が有し、それに基づき訴訟を提起したのであるとすれば、その疑問を生じた根拠なり理由を、ある程度釈明させるべきではなかろうか。冷静に考えれば、「共謀の上、虚偽の検案書作成」と「(司法解剖が命ぜられているのに)解剖をしないで」という主張は、矛盾もしくは整合しない主張であることは明らかである。被控訴人伊藤は原審訴訟の初期の段階から「解剖していないと主張する根拠の釈明」を求め(平成12年10月13日付被告伊藤準備書面)、臓器の検証とDNA鑑定の申立には「原告らが解剖していないと主張する根拠、経緯等から、検証やDNA鑑定をするまでの必要はない」(平成12年12月1日付被告伊藤意見書補正2項、平成13年2月28日付被告伊藤意見書本文1行目以下)と主張した。 しかしながら、原審は、被控訴人伊藤の求釈明や意見になんら対応せずに無批判に控訴人らが主張したDNA鑑定を採用した。原審における訴訟の長期化と混迷は全てこの鑑定採用にあるといって過言ではない。被控訴人伊藤としては、仮に、鑑定を採用されたのであれば「公正な鑑定人の選任」に拘るべきであったと反省する。

2 控訴人らの主張の不当性。

(1)
控訴人らは控訴審第2準備書面で「供述証拠と非供述証拠が対立したときに、そのいずれに信用性を認めるのか、という問題でもある。」「供述証拠と非供述証拠が対立したときは、供述証拠の信用性が否定されなければならない。」「原判決は、保土ヶ谷署員らによる組織ぐるみの「解剖をみた」とする供述があるため、非供述証拠であるDNA鑑定の信用性を、強引に否定したと疑われる」(準備書面控訴審第2 2頁)などと主張するが、詭弁である。 控訴人らの主張は、「その他の証拠」と「DNA鑑定結果」を供述証拠と非供述証拠の対立構造と捉え、非供述証拠は供述証拠より証拠価値が高いから、非供述証拠であるDNA鑑定結果を重視すべきとする論法にあるようである。しかしながら、DNA鑑定結果である鑑定書も類型的には供述証拠である。従って、控訴人の主張はそもそも前提において誤っている。なお、披控訴人伊藤側から見れば、押田鑑定や本田鑑定は極めて偏った鑑定人であり内容に信用性が疑わしい供述証拠である。

(2)
控訴人らが原審判決の事実誤認を指摘するなら、DNA鑑定結果のみでなく、他の証拠に対する原審判決の事実認定経過についても指摘する必事があろう。
第2 DNA鑑定結果について。

1 押田鑑定に関する控訴人らの主張に関する反論。

(1)
控訴人らは、押田鑑定書に関して、「Cドット又はSドットの発色が認められないか、発色が極めて薄いものであるのに」無理に型判定を行ったと認定した原審判決を批判する(準備書面控訴審第2 4頁)。しかしながら、押田鑑定書添付の写真14のPM型のSドット、写真16のHLADQA1型のCドット及び写真17のPM型のSドットの発色は、本件鑑定資料に関しては僅かに写真17の「肝臓」に薄い発色が見られるだけである。 この点の疑問を被控訴人伊藤の意見書で指摘されると、鑑定人尋問当日印画条件変更写真を持参した。しかしながら、印画条件変更写真を詳細に観察するも写真17のSドットの発色は確認出来る(但しGCローカスのBも発色している様に見える)ものの、写真14や写真16の本件鑑定資料に関するS、Cドットの発色は確認できない。押田鑑定人は、肉眼では発色があったと強弁するが、鑑定人の主観にすぎず、客観的であるべき鑑定書からは確認できない。もし仮に、鑑定害の写真では分明ではないが肉眼で確認できたとするならば(そのような場合にもDNAの型判定をしても良いかはなお疑問であるが)、鑑定書中にその旨の説明があって然るべきであるが、その旨の記載はない。

(2)
押田鑑定書が法律的にも医学的にも鑑定の名に値しない杜撰な鑑定書であることは原審において縷々述べたとおりであり、S,Cドットの発色に関する点もさることながら、他にも大きな疑問が存在する。平成13年4月に裁判所は押田鑑定人にDNAの鑑定を依頼した。当初は3ケ月程度で鑑定が出来るとしていたが、そろそろ1年経過しようとしているがなかなか鑑定書が出来てこない、このような中で、裁判所は押田鑑定人に鑑定書の提出時期について電話で問い合わせた資料が証拠として出されている。中間報告等を提出する直前の裁判所書記官との電話によるやりとりである乙A12と13である。この中で押田鑑定人は「子供3人については・・・・DNAは分かりましたが、ホルマリン漬けのブロックについては、困難であり、ブロック間で異なるDNAが検出されており」(乙A12)と回答している。つまり、ホルマリン固定されている臓器からはこの時点でDNAの検出は困難で検出に成功しておらず、パラフィン包埋されたブロックからはブロック間で異なるDNAが検出されていると回答しているのである(乙A12,13)。

(3)
ところが直後に提出された中間報告書では、パラフィン包埋されたブロックから、ブロックa、ブロックbと呈示されたDNA型のみが示されており、上記書記官とのやりとりの中の、ブロック間で異なるDNAが検出されているという押田鑑定人の指摘が何ら反映されていない。極めて不当な中間報告書と言わざるを得ない。 しかも、それから1年後に提出された鑑定書で判明したことであるが、この時中間報告書で示されたブロックa、ブロックbは、実は、ブロックNo.2のことであり、同一のパラフィン包埋されたブロックであることが分かった。つまり、押田鑑定人は、パラフィン包埋されたブロック間で異なるDNA型が検出されていたにも拘わらず、他を出さず、ブロックNo.2のみのDNA型を呈示してこれが幹郎の臓器ではないといっているに過ぎないのである。その1年後に提出された鑑定書は、ホルマリン固定されている臓器の心臓と肝臓のDNA型を新たに追加しただけのものである。平成14年の3月時点では「ホルマリン漬けのブロックについては、(DNAの検出が)困難であり」(乙A12)としていたのに、その1年後にはDNAの型判定が出来たのは何故なのか全く不可解であり、何回も型判定をしたものと推測されるのに、一つの結果しか呈示しないのは鑑定書として不備と言わざるを得ない。また、より長期間ホルマリンに漬かっていた臓器の方がパラフィン包埋されたブロックよりSドットが発色している(押田鑑定書添付の写真14、16、17)のも不可解である。

2 神山鑑定(ティーエスエル社)に関する主張に対する反論。

(1)
控訴人らは、神山鑑定(乙B19)が「4つも5つものアリールが検出されたことから、確実にコンタミネーションを起こしている」(準備書面(控訴審第2)10頁)とし、更に、検査者自身のDNAとのコンタミネーション(汚染)を疑う。ティーエスエル社は民間においては最高レベルのDNA鑑定技術を有する会社であり、検査者自身のDNAとのコンタミネーションという初歩的なミスを犯す可能性は極めて低い。むしろ、神山鑑定書の記載は、鑑定試料自体に、過去に試料に接した人由来のDNAが混入されるなどのコンタミネーションを起こしていることの可能性を示唆するものである。現に、押田鑑定人においても裁判所とのやりとりで、ブロック間で異なるDNAが検出されていると回答しているのである(乙A12,13)。

(2)
鑑定試料から複数のDNA型が検出判定されたことが、鑑定試料自体のコンタミネーションなのか鑑定試料が長期に亘ってホルマリン固定されていたためにDNAが低分子化され検出判定が困難になったため生ずる問題なのか、その両者であるかは判断できないが、押田鑑定も神山鑑定も異なるDNAを検出したことでは一致している。ただ、押田鑑定では異なるDNAが検出されたことが鑑定書に記載されておらず、鑑定人尋問や、その他の証拠(乙A12,13)から判明しただけである。その意味からも押田鑑定書は、法律的にも医学的にも鑑定の名に値しない杜撰な鑑定書である。 14
  

3 本田鑑定に対する反論。

(1)
控訴人らが原審で提出した田ノ浦次郎医師(仮称)の意見書(甲52)を参照戴きたい。被告伊藤第11準備書面でも述べたが、田ノ浦次郎医師は日本法医学会に属する、S大学助教授であり、文部科学教官であり、医師であり、高度に専門的知識を有する科学者である。このような権威者が、「特別な理由」があれば、科学的検証も全くせずに、単に専門的知織を駆使して、亡幹郎の死因について「1 死因としては、脳挫傷及び急性脳腫脹で死亡した可能性が一番高いように思われる」とか「2 発見時に救護されていれば70〜80%の救命の可能性があったものと考えられる。」とか「3 解剖した証拠は何1つ無い」等と非科学的で偏見に満ちた杜撰な鑑定意見を述べたことに驚きを禁じ得ない。田ノ浦意見書が非科学的であることは原審でも指摘したが、簡単に述べれば、死因については、幹郎の頭部顔面に何の創傷もないことを全く不問に付したまま、幹郎が頭部をフロントガラスに激突させた事を前提としており、存命の可能性については、受傷の内容や程度等を何ら検証せずに救命の可能性は70〜80%あった等と、当てずっぽうとしか言えない鑑定意見を述べ、その上、解剖した証拠がないという根拠に至っては「既往歴のない腹壁の脂肪厚が0.5mm」等という思いつきの虚構の前提に立って、このような男性が心筋梗塞で突然死する可能性は有意にあり得ないから解剖はなかった等と鑑定意見として述べたものである。なお、田ノ浦医師は、本田鑑定の本田克也鑑定人とは、法医学雑誌で共同研究結果を発表している緊密な関係にある者であり、法医学会における仲間である(甲52添付資料参照)。

(2)
もともと本件は押田鑑定人が提出した平成14年4月8日付中間報告書に端を発して、マスコミがこぞって大々的に被控訴人伊藤の疑惑報道を繰り返した案件である。押田鑑定人は続いて平成15年3月31日付で中間報告書と内容がさして変わらない鑑定書を正式なものとして出した。これに対して、被控訴人伊藤は中間報告書提出後マスコミ報道で最も人権侵害がひどかったテレビ朝日を被告として損害賠償の訴訟を平成14年6月に提起した。テレビ朝日の報道は主として押田鑑定人の中間報告等の結果にその根拠を置くものであることが明らかである。 テレビ朝日に対する損害賠償訴訟(東京地方裁判所平成14年ワ第12562号)は平成15年5月19日一審原告敗訴、控訴審(東京高等裁判所平成15年ネ第3268号)でも平成16年1月29日控訴が棄却され、上告(最高裁判所平成16年オ第698号)したが平成16年9月9日上告が棄却された。 そのような中で平成16年3月25日付で作成されたのが本田鑑定書であり、平成16年5月15日付で作成されたのが田ノ浦意見書(甲52)である。押田鑑定人の中間報告書に端を発したマスコミ騒動の中で、押田鑑定人を擁護し被控訴人伊藤を陥れる役割を果たしたのが本田鑑定であり、田ノ浦意見書なのである。

(3)
もともと、本件鑑定試料はDNA鑑定をするには劣悪な試料であったことが判明している。劣悪な試料をDNA鑑定した場合、鑑定書の内容はそれなりにDNAの検出判定に苦労の跡が反映されていてしかるべきである。しかしながら押田鑑定書にも本田鑑定書にも何ら試料の劣悪性は反映されておらず、素人目には間違いなくDNA鑑定ができたかの如き内容になっている。本田鑑定に至っては、何回やっても同じ結果が得られた等の記述すら見られる。 押田鑑定については鑑定書以外の、鑑定人尋問であるとか、本来証拠に顕れにくい裁判所と鑑定人の電話のやり取り(乙A12)で試料が劣悪であったためDNA鑑定に苦労したことを窺い知ることが出来た。後に判明した事であるが、劣悪な試料であれば、DNAの専門家は「ミトコンドリアDNA」の抽出増幅に着眼する。この点を何ら指摘しなかった押田鑑定人は到底DNAの専門家とはいえない。つまり、押田鑑定人はホルマリン液がDNAの保持にどのような影響をもたらすかの認識が充分でなかったため、よりDNA抽出に可能性の高い「ミトコンドリアDNA」に着眼しなかったと思われる。因みに、パラフィン包埋された臓器ブロックは、摘出直後にパラフィン包埋されていればホルマリンの影響は受けないが、解剖直後にパラフィン包埋されたものではなく、何時の時点でパラフィン包埋されたかは鑑定嘱託時点では明確ではなかったし、あくまでも、パラフィン包埋された臓器ブロックは本来の鑑定の対象ではなく、「ホルマリン固定されている臓器」が幹郎本人のものか否かがDNAの対象であった。

(4)
被控訴人伊藤としては、本田鑑定の信用性には大いに疑問を抱かざるを得ないところであるが、万が一本田鑑定が正しくて、被控訴人伊藤が幹郎の臓器であると確信して保管していた心臓が幹郎のものでないとしたら、それは、保管の過程で何らかの手違いで他人の臓器とすり替わってしまったという他はない。被控訴人伊藤が幹郎の臓器であると確信して提出した臓器が幹郎のものではなかったからといって、被控訴人伊藤が幹郎を解剖しなかった等という結論が導き出せるものでないことは、原審で取り調べた他の多くの証拠から明らかである。


解説と意見
HP管理人

注1
民事訴訟の提起は平成12年7月17日であるが、それ以前に原告は刑事告訴(平成10年9月1日)をしている。刑事告訴が平成12年2月23日に不起訴になったので、民事訴訟に訴えたのである。 (地検による処分通知書参照。)

注2
筆者は平成11年の年末頃、原告とお会いし、その際に「切っていない体から臓器は出せない。司法解剖をすれば臓器を保管することになっているから、その臓器を出してもらい、DNA鑑定にかけて貰うよう地検にお願いしている」と自身の耳で聞いている。

原告によれば、葬儀の翌日(25日)、自宅と道路を挟んで反対側にあった「吉川葬儀社(仮称)」に社長を尋ね、「解剖があったのでしょうか」と確認を求めている。吉川葬儀社の社長は「なかった」と答え、告訴や裁判になれば、その旨証言をすると約束し、後刻、その通りに行っている。また、通夜・葬儀中は慌しく、その間は警察・監察医が市民を裏切る行為をするはずがないと信じきっていたため、検案書に「解剖有り」と記載があることを発見するのが、葬儀の翌日になったという。いずれにせよ、26日には保土ヶ谷署の山本副本部長以下が原告宅を訪れ、原告の一族は「解剖はしたのか」と山本副本部長以下に詰め寄っているのだから、解剖の有無を問題にしたのは、事件から一週間以内と言えるはずである。

注3
DNA親子鑑定は「幹郎と子が親子であることを前提としなければ成立しない鑑定方法」であることは論を待たないが、 母子の関係は分娩をもって生じ、戸籍と母子手帳など、社会的な証拠物をもって正否が論じられる。 当然、鑑定に先立ち、その確認は行われている。被告側は何を考えているのだろうか。

また、被告側は、平成15年1月頃からミトコンドリアによる本人鑑定を主張するようになっているが、裁判は当初から原告側がDNA親子鑑定の実施を求め、裁判所がそれを認めたからこそ、DNA鑑定人の選定となり、臓器提出命令となったのであって、被告側がミトコンドリアによる本人鑑定を主張するなら、平成13年4月6日の臓器提出の時点で、親子鑑定に同意するべきではなかったはずだ。

注4
被告監察医は、平成14年6月29日、押田教授による正式鑑定の実施に先立ち、「提出臓器一式は、亡久保幹郎のものに間違いありません」という陳述書(乙B3号)を裁判所に提出している。裁判所に提出する証拠によって人の運命を左右する立場にある監察医が、解剖の証拠である臓器を裁判所に提出し、確認の陳述書まで提出しているのに、いまさら「他人のものと取り違えた」などと言っていいものか、筆者は甚だ疑問である。その上に「出したものは本物と思うが、DNA鑑定で他人のものとされたのなら取り違えたのだろう」というのは、あまりにひどい主張ではないだろうか。

もし、他人の物と取り違えた可能性を考えたならば、どのようなミスがあって取り違えたのか、本物はどこにあるのか、裁判所に提出した臓器は誰のものか、できる限りの調査を行い、そして、本当に取り違えたことが明らかになった場合は、無駄な出費と時間と労力を強いたことについて裁判所と原告と鑑定人に陳謝し、更には広い世の中に向けても、個人の情報に抵触しない範囲で事情説明をしなければならないはずである。それが公の仕事に携わる「善良なる管理者の注意義務」であり「説明責任」であると筆者が考える。(真偽のどちらかが分からない物を出した場合も、その義務や責任は同じではないだろうか。)

被告監察医は、押田鑑定に対しては「臓器はまさしく亡幹郎のもの」と主張、正しい鑑定をしていないとして鑑定人忌避までしたが、平成16年6月、本田鑑定が世に明らかとなるや、横浜地検からの事情聴取に際して「他人のものと取り違えた可能性」を初めて疑った。その後、上述のような事情説明は、何ら行われていない。

注5
「判断する必要がないから触れていない」のではなくて、問題の核心だから「判断したくないし、触れたくなかった」のではないか。最初にストーリーを決め、その筋書きに都合の悪い事実は無視する日本の 裁判所の限界なのかもしれない。フロントガラスは車の中からの衝撃で割れていることが、科学的事実に基づいて証明されている(甲54・平野鑑定書)

注6
被告斉藤清元巡査部長の陳述及び小巻巡査長の陳述のとおりに、解剖が8時40分に終了したのであれば、「解剖P8:40〜10:10」と記載のある被告斉藤清元巡査部長の備忘録の信憑性を、被告側はどのように説明するというのだろうか。

注7
「運転日報」は、筆跡と記載時間がことなる2通のものが作成されている。原告側は、この2通を入手しており、原告による裁判所提出を待って、このHPで掲載したい。

注8
被告側の主張は、午後8時前後に解剖室に遺体があれば、の話である。原告側と吉川葬儀社の社長によれば、午後8時少し前に、原告側の子息と吉川社長が保土ヶ谷警察署から遺体を引き取っている。高橋栄行氏の証言が正しく、午後2時半に行政解剖を済ませてしまい、また、吉川社長が証言するように午後8時少し前に遺体を引き取ったのであれば、その間に司法解剖の命令があっても、遺体がなければ解剖はできない。頭腔開検をしなかったと認めたのは、通夜で多くの親族・友人が死に顔を見ている場合を考えたから、と推測できないこともない。

注9
被告側が主張するように、詳細なメモが土台になり、詳細な司法解剖鑑定書が書かれたのであれば、なぜ、そのメモを取る場面を立会警察官2名は見ていないのだろうか。原告側は、解剖に要した時間以外にも、そのことを問題にしている。

注10
被告斉藤清元巡査部長の備忘録にある「解剖P8:40〜10:10」の記載は、解剖は7時40分から8時40分にかけて行われたとする被告側主張と、明らかに矛盾している。

注11
アルコール依存症と記憶喪失との因果関係が、どれほどあるものか、筆者は疑問である。酩酊中に何をしたか忘れる人は多い。アルコール依存症の人も、その範囲内の記憶喪失ではないだろうか。また、被告側は、吉川葬儀社の社長の証言について全く触れていない。

注12
被告側は、渡辺泉郎元神奈川県警本部長が起こした「覚せい剤もみ消し事件」を忘れているのだろうか。本部長が事件もみ消しを指示したのは平成8年(96年)3月のことである。覚せい剤犯である警察官を逮捕せず、事件化しないため、県警は組織ぐるみで証拠の廃棄、でっち上げ捜査、公文書へのウソの記載を行った。その隠蔽工作には、県警監察官室が先頭に立っていた。県警は平成9年(保土ヶ谷事件が発生した年)・10年と事件を隠し続け、平成11年9月に至って発覚、トップに数人の逮捕者を出している。 (参考資料・神奈川新聞記事)

注13
監察医は、本人尋問の際、「他人の臓器と一緒にビニール袋に入れることはない」と証言し、更に「間違いないように東京医科大学に持参した」と証言している。もしも他人のものと取り違えたのであれば、取り違えた臓器及びプレパラートの箱に、なぜ「久保幹郎54才」とのラベルが貼ってあるのか?

注14
いかなる理由によるものであれ、私的鑑定がコンタミネーションを起こしていることは、科学的事実に照らして紛れもないことであり、それを疑っても否定しても、どうしようもないことである。私的鑑定の鑑定者自身が、3種類以上のアリールが検出され、アメロジェニン型判定で再現性が得られず判定を保留したと鑑定書に記載している。できなかったことを、できなかったと認める鑑定者の姿勢を筆者は讃える。その事実を法律家が否定して「コンタミネーションを起こしていない」と言っても、それこそ「這っても黒豆」のように無理やりな強弁ということになるだろう。


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